カルビーの執行役員・人事総務本部長の武田雅子さんは乳がんと闘いながら、産業カウンセラーの資格を取った 年齢や役職を問わず、キャリアの危機は誰にでも起こりうる。出産や子育て、親の介護、自分や家族の病気――。カルビーの執行役員・人事総務本部長の武田雅子さんにとっては、36歳で経験した「がんの告知」がそうだった。武田さんはどのようにして、このピンチを乗り切ったのだろうか。(前回の記事は「きつい時ほどゲーム感覚で楽しむ しなやかな仕事哲学」)
「人生にはあらがえることと、あらがえないことがあります」と、武田さんは言う。武田さんにとって、「あらがえないこと」の1つが乳がんだった。
告知を受けたのは、36歳だった2004年4月のことだ。胸からの出血をきっかけに通院したが、原因がはっきりしないまま約1年が経過していた。通勤途中、検査の結果を聞こうと主治医に電話をすると、「がんでした」と告げられ、「一緒に治療をしていきましょう」と励まされた。
武田さんは当時、営業計画部トレーニング課と人事部人材開発課の課長を兼務し、教育、研修、採用などを担当していた。ちょうど新卒採用の時期と重なり、朝から面接の予定で埋まっていたが、人事部長に事情を説明すると「すぐに病院へ行きなさい」と促された。午前中の面接を済ませた武田さんは、午後、その足で大学病院へと向かった。
主治医から「粘液がんです」と説明され、治療法についての選択肢を提示された。メリットとデメリットを考慮し、悩んだ末に抗がん剤は使用せず、術後6週間の放射線治療と5年間のホルモン剤投与を受けることを選択した。
■薬の副作用に苦しむなか、産業カウンセラーの資格取得
術後は重いものを持てないといった体力的な問題にも直面したが、事情を知った周囲がカバーしてくれた。つらかったのは、薬の副作用で「うつ病」の症状が出たことだ。もともと明るい性格の武田さんだが、感情の起伏が激しくなり、入院中から自己を観察する目的で付け始めた日記に「死にたい」とつづるまでになった。
「正直、当時は一生懸命に仕事をしているつもりでも、七掛けぐらいしかできていなかったと思う」と振り返る。だが、武田さんは自分がうつであることを、職場では話さなかった。
「体力的なことなら助けてもらうこともできますが、こればかりは言っても心配をかけるだけなので、みんなには黙っていました。職場の人たちが、私がうつだったと知ったのは治療がすべて終わってからでした」
頭の中でこれは薬の副作用だとわかっている自分もいて、「頭と体と心の3つがバラバラだった」と話す。昼間は普通に仕事をこなしていたが、夜、帰宅すると悲しくて、涙があふれて、どうしようもなくなることもあった。
■病と闘いながらも、産業カウンセラーに合格
夜間、うつをまぎらわすためにネットサーフィンをすることも多かった。産業カウンセラーの養成講座があることを知ったのも、ネットを巡っていたときだった。とっさに「これはいい」と思い、約半年間、月に2回のスクーリングに通い、資格を取った。
「症状には波がありました。薬で少し落ち着いたときに、この貴重な経験をやり過ごすのはもったいないなと思ったんです。講座では傾聴を徹底的にトレーニングされましたし、人との向き合い方を教えてもらいました。修了して十数年経ちますが、いまだに当時の同級生とは仲がいいんです」
武田さんは自らの経験を生かし、働きながらがんの治療を続ける人たちを支援する社外活動にも取り組んでいる。「上下関係は全くなく、本音で話し合えるし、実力のぶつかり合いでおもしろい。時々、グループカウンセリングもしていますが、毎回、自分がエネルギーをもらっているから、忙しくても行っちゃうんです」
■採用を通じて「人事」のおもしろさを知る
営業と人事をほぼ交互に担当するような形でキャリアを積んできた。だが、実は「人事の仕事が嫌いだった」という。考え方が変わったのは、採用を担当するようになってからだ。
「人事って会社にとって何の役に立つのかなあと、最初は思っていました。ですが、採用を担当するようになり、人事の仕事がおもしろく感じられるようになりました。毎年、10人ぐらいを新卒採用するとしたら、その10人で会社は変わりません。ただし、採用プロセスに100人ぐらいの社員が関与し、その人たちが全員、会社のビジョンを理解して異口同音に働くことの魅力を語ってくれるようになれば会社は変わる。そのことに気づいてから、採用という仕事を通じて、いかに会社を変革できるかに挑戦したくなったんです」
クレディセゾン時代は取り扱い説明書を模した会社案内を作るなど、新卒者獲得に知恵を絞った(中央が武田さん) 採用に関して、武田さんは様々な工夫を凝らしていた。その1つが学生のインターンシップに、ボードゲームを導入したことだ。「クレジットカードの会社ってどこでもうけているか、分かりにくいですよね。だったらゲームにしてみたらと提案し、外部の研修ベンダーさんと一緒にカード会社のビジネスモデルを理解してもらえるゲームを作り、インターンシップに導入しました」
2000年代初頭のこと、就活イベントの合同説明会に行くと、会場近くのごみ箱に会社案内が大量に捨てられていた。「各社、力を入れて作っているのにもったいないなあ」と感じた武田さんは、捨てられないためにはどうすればいいかを考えた。「当時の若者は『マニュアル世代』と言われていたので、コピー機の横にあった取り扱い説明書を取り出し、こんな感じの会社案内が作れないかなと提案したんです」
新たに作った会社案内では、会社はあくまでも「人生をおもしろくするための道具」という位置づけにし、「会社に使われるのではなく、会社を使いこなす人材を求む」というメッセージを込めた。
「『お使いになる前に』という項目で、イエスマンはいらないと記したんです。『故障かなと思ったら』には、『机に入っているチョコレートをそっとつまみ食いする』とか『とにかく飲んで歌いに行く』とか、『オフィスの電気を全部消して夜景を見る』とか、実際に社員がしているストレス解消法を紹介しました。内定をもらったら、最後にはんこを押すしかけにしたら、最後まで大事に持っていてくれる学生が増えました」
■難しいことほど、失敗しても恥ずかしくない
「仕事の意思決定とがんの治療に関する意思決定は似ている」と武田さんは言う。乳がんの治療法を選択する際にも「自分の命に関するリスクと、やりたいことをマトリックス(分類図表)にかけ、最終的には自分で判断しましたから」。
人生には避けられないリスクもある。そんな場合でも、どのリスクを選択するかを決めるのは自分自身だ。すべての人にとってベストながんの治療法が存在しないように、誰でも成功できる万能のキャリアは存在しない。キャリアを形づくっていくのは、あくまで自分自身の選択だ。「どんな環境でも進む道を自分で選び、いったん決めたら、絶対に後悔しないと決めて生きてきました」と武田さんは語る。
「難しいことに取り組んだほうが、失敗しても恥ずかしくない」と笑顔で語る武田さん カルビーでは「全員活躍の組織を目指す」という。人事総務本部長として「全員に打順が回ってきて、全員がスポットライトを浴びることのできるステージづくり」に取り組む。工場や支社などの現場を回りながら、「誰も置いていかないための施策」を今、温めているところだ。
「全員活躍は理想ですが、なかなか難しいのでは」と尋ねると、武田さんは「『難しい』という言葉は人を思考停止させるので禁句です」と笑顔で言った。「難しいことに取り組んだほうが終わった後で楽しいし、失敗しても恥ずかしくない。難しいからやるんですよ」
(ライター 曲沼美恵)
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