ブラジル博物館火災、資金不足が原因と非難 デモも
リオデジャネイロのブラジル国立博物館で2日に発生した火災について、博物館や野党関係者は資金不足のせいだと非難を強めている。
この博物館は南北米大陸最大級の人類学や自然史の文物を所蔵していたが、そのほとんどが焼失した。
所蔵品には、南米大陸で発掘された最古のものとなる、1万2000年前の女性「ルチア」の頭蓋骨が含まれている。
創立200年のブラジル国立博物館をめぐっては、老朽化についても数々の苦情が寄せられていた。
ルイス・フェルナンド・ディアス・デュアルテ副館長は火災後の会見で「一度たりとも満足な支援を得られたことがない」と語った。
複数の専門家が何年も前から、建物に深刻な火災の危険性があると指摘していたという。
10月の大統領選に立候補している左派政治家のマリナ・シルバ氏は、博物館への投資不足を批判した。
シルバ氏は「リオデジャネイロ連邦大学やその他の国立大学の過去3年間の資金難を見れば、この悲劇は予想できたはずだ」とツイートした。
博物館の建物は、19世紀にポルトガル王家の宮殿だったもの。火は2日夜、閉館してから発生した。
出火の原因は明らかになっていないが、地元メディアはブラジルのセルジオ・サ・レイタオ文化相が、紙製の小さな熱気球が屋根に落下したのが原因ではないかと話したと報じた。
負傷者の報告はないが、2000万点に上る所蔵品のほとんどが焼失した。
ミシェル・テメル大統領はツイッターで、「全ブラジル国民にとって悲しい日」だったとツイート。「200年にわたる努力と研究、知識が失われた」と述べた。
サ・レイタオ文化相は「避けられた悲劇だった」と話した上で、再建作業を始めると述べた。
「扉を破って」
博物館の魚類学専門家パウロ・ブクップ教授は、現地時間午後7時半に博物館に到着し、動物標本のある一角は無事だと発見した。
BBCブラジルのジュリア・カルネイロ記者に対して同教授は、「不幸なことに、消防士が何かできるような状況ではなかった」と語った。
「水もはしごも、消火設備もなかった」
「なので我々は、取り出せるものは自分たちで出そうと、建物に入ることにした。扉を破らなくてはならなかった。兵士が運ぶのを手伝ってくれた」
ブクップ教授は延焼する建物にも駆け込み、「数千点」の軟体動物の標本を救出したが、これは所蔵品の「ごく一部」だという。
「何万点の昆虫や甲殻類が失われたか分からない」と同教授は話した。
「同僚がかわいそうでならない。30年、40年とこの博物館で働いてきた人もいる。その人たちは、これまでの業績の記録が全てなくなってしまった。生きる意味も」
火災に対する反応は?
デュアルテ副館長は「激しい怒り」をあらわにし、政府当局の「認識不足」を批判した。
「我々は数年前、複数の政権を相手に、きょう破壊されたもの全てを正しく保管するための資金を得ようと戦った」
3日朝には博物館の前にデモ参加者が集まり、予算削減が火事につながったと抗議した。警察が催涙ガスを使ったとの情報もある。
スプリンクラーシステムがなかったことが、問題のひとつとして指摘されている。ドゥアルテ氏は現地のグロボTVの取材で、6月に承認された予算530万ドル(約7億6000万円)の近代化計画で、最新式の防火設備が設置されるはずだったが、実施は10月の大統領選後の予定だったと話した。
同博物館では大規模な恐竜展が催されていたものの、5カ月前にシロアリの大量発生で中止され、募金活動の末に最近再開されたばかりだった。
博物館司書のエドソン・バルガス・ダ・シルバ氏は現地メディアに対し、建物の床は木製で、紙の文書など「すぐに燃えるものがたくさん」あったと話した。
なぜ資金不足に?
ブラジル最古のこの博物館は国立のリオデジャネイロ連邦大学が管理しているが、ブラジル政府はここ数年、財政赤字に悩まされてきた。
2017年の財政赤字は対国内総生産(GDP)比で8%に上り、2年前に記録した10%からわずかに下がっただけだった。
さらに、リオデジャネイロ州も財政危機に直面している。
AP通信によると、リオ消防局のホベルト・ロバデイ報道官は、博物館に最も近い消火栓が作動せず、消防隊は近くの湖から給水しなくてはならなかったと話している。
どんな所蔵品が?
2000万点に上る所蔵品には、化石や恐竜の骨などが含まれている。
訪問客にとっての目玉は「ルチア」だった。
パウロ・クナウス館長はAFP通信に対し、「文明に興味を持つ人にとってルチアは計り知れない喪失だ」と話した。
研究チームはルチアの頭蓋骨からデジタルで顔を作成し、復元した彫刻を作ったが、これも焼失した。
その他の有名な展示品としては、17世紀にミナスジェライス州で発見された重さ5トンのベンデゴ隕石がある。火災鎮圧後に撮影された写真に、焼失を免れた様子のベンデゴ隕石が写っている。
博物館はこのほか、1500年代のポルトガル人到着から1889年の共和国成立までの品々も展示していた。
民族学のコレクションには、米大陸にコロンブスが到着する前の貴重な品や、先住民族の工芸品などが含まれている。
ポルトガル王家は1808年、ナポレオンによる侵略の危機にさらされ、リオデジャネイロに遷都し、この建物を宮廷とした。
建物はその後、王家の所蔵品を専門家に提供し、科学的研究を促進するため、1818年に博物館となった。