マニュライフ生命保険の吉住公一郎社長兼CEO カナダ系のマニュライフ生命保険の社長兼CEO(最高経営責任者)に2018年4月、吉住公一郎氏(56)が就任した。1999年に前身の第百生命から営業権を譲り受けて同社が発足して以来、初の日本人社長だ。新卒で都市銀行に入行後、外資系3社を渡り歩いた末にトップまで上りつめた。異なる環境でどう成果を出してきたのか、コミュニケーションの秘訣は何か。転職で成功する働き方の極意を聞いた。
■前向きにならないと成功はない
「チャンスと思ったら、GOだ」。吉住氏は転職のたびに、自分をこう奮い立たせてきたと語る。新しい世界に飛び込むのは誰でも勇気がいる。決断が吉と出るか、凶と出るかは誰にもわからない。「確かなのは前向きにならないと成功しないこと」。何事もポジティブに考えることで、困難を乗り越えてきた。
1985年、当時の埼玉銀行(現りそな銀行・埼玉りそな銀行)に入行。父も叔父も銀行員で、幼い頃から親しみがあった。「お札の匂いかどうかわからないが、父のスーツについてくる銀行の匂いが好きだった」という。入行してからは海外派遣の希望を出し続けたが、支店で営業回りの日々。ちょうどバブル景気真っ盛りの頃で、不動産やリゾート開発への融資業務に追われ、将来への展望が見えない。
そんなとき、外資系のアイ・エヌ・エイ生命保険が社員を募集していることを知る。生保は顧客への直接営業が主流だったが、同社は税理士や公認会計士など新しい代理店網の拡大で伸びているといい、興味がわいた。「何よりも、外資系に行けば海外で働くチャンスが増えるだろうと考えた」。面接で社長に聞くと、「もちろん、行けるよ」との返事。29歳で1回目の転職を決める。
だが、現実は甘くない。人事部に社長の言葉を確かめると、「それは支社支店で優秀な成績を取れば、という話。外資系の会社なのに、海外勤務の店舗があるわけないだろう」。自分の無知ぶりにあきれたが後の祭り。とはいえ、しょげている暇はなかった。大阪支社に配属されて間もなく、かなり上の上司から「営業成績で勝負しよう」と持ちかけられたのだ。
「今から思うと、都銀から来た若造を試してやろうと考えたのだろう」。銀行時代は営業にそれなりの自信があったが、結果は惨敗。これで負けん気に火が付いた。保険ビジネスで業績を上げるには優良な代理店と組むしかないと考え、支社長に「自分に担当させてほしい」と直訴。それが認められ、土日も昼夜もなく働いた。徐々にコツをつかみ、年々実績を重ねていった。
そして34歳のとき、同社では最年少で大阪支社長に抜てき。「ここでの体験がキャリアづくりの上で大きな転機となり、今の自分を支えるリーダーシップの土台になった」
■お互いにリスペクトすることから始める
新卒で就職したころ、銀行員だった父(後列中)ら家族と(左端が本人) まず痛感したのが、「一人では何もできない」ということ。支社の成績を上げるには、性格も経歴も違うメンバーそれぞれに最大限の能力を発揮してもらう必要がある。そのため、社員に徹底したのがお互いにリスペクト(尊重)し合うことだ。人の話をよく聞く。そのうえで、自分の意見もはっきり言う。そこで合意形成したら、それぞれが自分の役割をしっかり果たす。「老若男女を問わず、意見を出し合う風土づくりを心がけた」
営業成績を伸ばす上で最も大事だと学んだのが誠実さだ。特に失敗したとき、真剣に誠実に謝れるか。「人には謝り上手と謝り下手がいる。誠実さがあれば許されるが、取り繕えば信頼を失ってしまう」。社長になった今も、新入社員にまず覚えてほしいこととして「謝ること」を挙げる。自分自身も会議などで部下の意見が正しいと思えば、「ごめん、俺が間違っていた」と率直に謝る。
「チームをナンバーワンにすることばかり考え続けた」という大阪支社長時代。毎年のように「ブランチ・オブ・ザ・イヤー」とよぶ年間表彰を受けた。実績を買われ、東京本社に戻ったころ、2度目の転職の機会が訪れる。別の外資系生保から、同じように代理店網を立ち上げてほしいと誘われたのだ。「その会社の直販と代理店販売の比率は9対1。これを5対5にしたいと言われ、挑戦心をかき立てられた」
その後、今の会社に移る3度目の転職も新たな代理店開拓のオファーだった。「とにかく、新しいことにチャレンジするのが好き。地位にこだわるよりも、自分が成長できるかどうかを判断基準にしてきた」と振り返る。
とはいえ、新しい環境に飛び込むのは誰でも不安なものだ。吉住氏は転職して成果を出すための秘訣として、コミュニケーションの大切さを指摘する。「最初の一歩は勇気を持って乗り越えるしかない。僕の場合は、とにかく話しかけることを心がけた。人と話して損することはないから」。メールが普及しても会話を重視してきた。
2度目の転職からは経営幹部として入社したが、組織のベクトルを一つにまとめる一番の早道は話すことだと強調する。最近は上司と部下が一対一で対話するミーティングも盛んだ。ただ、組織が大きくなれば全員と話すことは難しいし、いきなり面と向かっても部下の立場からすれば、本音では話しづらい。そこで「普段から社内で会ったときに声をかけるようにして、相手が話しやすい雰囲気をつくっている」と話す。
■他人の意見を受け入れる度量を
他人の意見を取り入れる度量が必要だと説く コミュニケーションに関しては、イエスかノーかをはっきり言うことも重要だという。特に外資系企業で外国人と話す場合、日本人の話し方は誤解を受けやすい。最初に自分の考えを明確にし、説明は後から続ける。「これは意識しないと身に付かない」。今も社員に口を酸っぱくして説いているという。
成果を出すために、もう一つ大事なのが柔軟性だ。自分は部下の意見をよく聞いているという管理職がいるが、「実は最初から自分の意見を決めている人は多い」。以前の会社で実績を上げてきた人ほど、自信は膨らみやすいだろう。もちろん、自分なりの意見を持つことは必要だが、「他人の意見を取り入れることで、より良いものにしようという度量を持てるかどうか」。それが、新しい挑戦の成功率を高めるカギになる。
最近、同社は元サッカー選手の中田英寿氏を起用した「Life 2.0」と呼ぶキャンペーンのテレビCMで話題を集めた。ここにも転職を通じて吉住氏が培ってきた「自ら人生を切りひらく生き方」への思いが投影されている。「2.0というと定年後のセカンドキャリアを想像されるかもしれないが、転職、結婚、出産などさまざまなライフステージの変化を想定している」といい、自分らしく生きたい人を支援していきたいと力を込める。
社長となり、あらためて「仲間を信じることの大切さをかみしめている」と話す。転職によってネットワークを広げてきたゆえに、人一倍その思いが強いのだろう。これから転職を考えたいという人には、こうエールを送る。「新しく人と出会うことは、人生にとって決して損にはならない」
吉住公一郎
1985年青山学院大学経済学部卒業、埼玉銀行(現りそな銀行・埼玉りそな銀行)入行。91年アイ・エヌ・エイ生命保険(現損保ジャパン日本興亜ひまわり生命保険)入社。2002年ウィンタートゥール・スイス生命保険(現アクサ生命保険)入社。07年マニュライフ生命保険入社。10年常務執行役員、18年4月から社長兼CEO(最高経営責任者)
(村上憲一)
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