現代の日本人は政治に無関心だと言われる。でも本当にそうなのだろうか。たんに、僕らの日常の問題に、政治が答えを出せていないだけではないのか?選ぼうにも、選択肢がないから、投票に行かないだけではないのか?
北陸の富山県を10年にわたって調査してきた僕は、いま、そんなことをぼんやりと考えている。
富山と日本の政治、両者にいったい何の関係があるんだ、と感じる人は多いだろう。富山といえば、薬売り、ホタルイカ、白えび、立山連峰と、いくつかの「売り」はあるが、どんな性格の土地柄なのかを知る人は、ほとんどいないと思う。
ざっと数字を追いかけてみよう。富山の人口は47都道府県のなかで37位、比較的小さな県だ。だが、一人当たり県民所得は6位、勤労者世帯の実収入は4位、さらにいえば、自動車の保有台数、持ち家率、家の面積、いずれも1位。意外なほどの豊かさだ。
土台にあるのは、男女がともに働き、三世代がともに暮らす文化だ。女性の就労率、とくに雇用されて働く割合は全国3位であり、正社員比率にいたってはトップだ。祖父母に世話してもらい、落ちこぼれの少ない子どもたちの学力は全国でトップレベル、また、家族が金銭的にも支え合う結果、生活保護の利用率も全国でもっとも少ない。
豊かで、格差が小さく、女性の就労やまなびを尊重する社会が北陸にあった。データだけ見れば、日本の左派やリベラルが泣いて喜びそうな地域だ。
だが、富山は、伝統的な家族主義、いわゆる保守的な風土がとても強い地域でもある。少なくとも、他県にもまして、女性の権利や個人の自立性を重んじる社会だとは、ひいき目に見ても言いづらい。
それでもなお、この保守的な土壌のうえに、格差の小さな、働く女性や子どものまなびを大事にする社会が生まれたという「矛盾」は重要だと僕は思う。有権者が求めるのは、左派やリベラルにありがちな、理念やあるべき論が先行する、「うわすべった」政策ではない。この社会の土壌にしっかりと根を張った、リアルな政策だからだ。
保守と革新、右派と左派、古いものを重んじる人たちと、新しいものを追い求める人たち、この線引きが現実を説明する力を失って久しい。
たとえば、保守政治の代表である小泉純一郎氏が「改革」の言葉を連呼し、第二次安倍晋三政権が「改憲」を訴え、革新勢力が「護憲」を求める状況などはその典型だ。
歴史の転換期には、古い、新しいという価値が混乱する。「すべて変える」を意味する「御一新(ごいっしん)」を目ざしながら、「王政『復古』の大号令」が発せられたのは、明治維新だった。僕たちは、いま、まさに歴史の変動期にいる。
そもそもの話、だ。保守派、革新派とは、正反対で、真逆の人たちなのだろうか。
保守派といえば、古い価値観を守ろうとする人たちを思い起こす。でも、保守主義の父と呼ばれるカール・マンハイムは、「昔からあるもの」を守ろうとする人間の本性を「伝統主義」と呼んで、これを「保守主義」とはっきり区別した。「守るべきを守るために、変えるべきを変える」保守主義と「古いものは変えてはいけない」伝統主義のちがいだ。
一方、革新派とは、守ることを拒む人たちだろうか。僕たちは、「新しくすること」を訴える左派が、変えることを自己目的化し、自分たちのその価値観を守るために、現状を否定し続ける姿をしばしば目にする。自民党政治が問題をかかえてもなお、左派が支持されない、大きな理由はそこにある。
保守であれ、革新であれ、自分たちの主義・主張に固執し、「これまでこう発言して来たのだから」という理由だけで、その正しさを信じて疑わないとすれば、いずれも「昔からあるものを守ろうとする人間の本性」、つまり伝統主義の「ワナ」にはまる。そして、歴史の転換期には、この悪い意味での伝統主義が、変化する社会のさまたげになる。
聞かなくてもわかる話を聞くのは、信者か、お人好しだ。多くの有権者は、保革左右の線引きを超えられない政治をどこかさめた目で見ている。そして、僕は、この思想的な閉塞感を突破するカギを富山で見つけたのだった。