性産業には水(水商売)と風(風俗)があると言われているが、それに当てはまらないものもある。わたしのしている、チャットレディ もその1つだ。
チャットレディ は、ネット上で性を売る。お客様とお話ししながら、服を脱ぎ、自慰行為を見せていく。男の人はネット上の女の子の待機映像から好きな女の子を選び、その子を「買っていく」。いわば、2.5次元のAVというかバーチャル風俗というか。
チャットレディ では、ネットという物理的な壁があるため、男性に触られることもないし、病気の心配もないし、密室でウッカリ危険なことになる、ということもない。だから彼氏以外の男性と、満員電車の中でスネ毛が当たっただけで不快感に襲われるわたしでも、できるバイトである。通勤。顔出しなしでもOK、昼働ける。他の風俗に比べれば、あまり稼げるものではないが、それでもこんなに条件の良いバイトはないと、わたしは思う。
もちろんチャットレディにはリスクも大きい。一番は身バレだろう。わたしは顔出ししていないが、顔認証があるようなこの時代に、技術的には身元を判明することは可能なんだろうなと思いながらやっている。
本当に怖い。
このバイトで失ったものは大きい気がする。なんだろう、この虚無感。
誰かに触られてるわけではないのに。
わたしはいくつかのチャットのサイトに登録しているが、多くのサイトでは不特定多数の男性から見られる存在であることを気づかせないような仕掛けがたくさんされてある。
たとえば。
普通の「パーティーチャット」だったら、男性は文字でのチャットでしか参加できないとか。(2ショットという、男性と2人だけで行うチャットでは映像や音声も可能。)そこでチャットしてる女の子たちは、見られているはずの男性が実体を伴うものではなく、ただ「文字」としてしか存在しないような錯覚に陥ってしまう。
わたしは、男性は誰でも映像参加可能なチャットのサイトに登録した時、それを痛感した。というのも、そこでお客が入って即、映し出されたものは男性の陰部だったからだ。ああそうだ、見えないだけで、わたしは勃起している男性に囲まれているのか。気づかなかった。吐き気がする。そう思った。そして、わたしの映像と画面に映る男性は、そのチャットを管理する誰かに見られている。だが、わたしからはいつ誰に見られているのか、知ることはできない。パノプティコンだと思った。
そしてチャットレディとしてのわたしは、誰かの身体的欲求を充足するためにしか存在できないということ。それは人間らしく存在できないことを意味する。
多分、それが、ネット上で性を売ることだと思う。それは人と人との対話から始まる、水商売や風俗とは決定的に違うのだ。
(自己紹介を飛ばしてしまったが、わたしは大学生で哲学科にいる。ほかに2つバイトをするも、金銭的に難しくなったため、チャットレディをはじめた。)
賢いつもりのバカほど生きにくいという実例だな