「親の背を見て子は育つ」と言います。
毎日の生活の中で子どもは親からさまざまなことを吸収しています。
親が子どもに対して直接教えることだけでなく、親が周りの人に接している姿や、ものごとに真剣に取り組んでいる姿などを見て、子ども自身が学んでいくということです。
それくらい親をよく見ているということですが、親だけでなく先生のこともよく見ているんだなぁと感じることがありました。
ピアノの先生の背中
先日、二女(小4)のピアノの発表会がありました。
習い始めて初めての発表会だったのですが、発表会の最後に先生の演奏があったのです。私は先生の演奏にとても感動しました。
演奏レベルもかなりのものなので演奏自体に感動したということもありますが、これほどの演奏をするには相当の練習をしたのだろうなということに感動したのです。
事実、二女に聞いてみると「うん、先生めっちゃ練習しよったよ。行ったらいつも練習しよってね、ピンポン押しても気づかんくらい。」と。
私は先生は完成された人というイメージがあり、練習や発表などしないものと思っていましたが、その向上心に驚き感動しました。
二女は先生が舞台でピアノを弾いているところを見るのはとても嬉しいとも言っていました。そしてピンポンが聞こえないほど集中して練習しているところを見ると自分ももっと練習したいという気持ちになるそうです。
ピアノの先生の背中からは私も学ぶことがたくさんありました。
担任の先生の背中
でも、一生懸命頑張っている姿だけを見ているわけでもないようです。二女は担任の先生の話をしてくれました。
「先生ね、昨日ビアガーデン行って家に帰ったん2時だったんやって。それで寝不足やけん、今日はゆっくりしましょうねってゆっくり授業した。」と。
25歳の男性教員、体力はありますが寝不足は堪えたようです。
「普通の先生はね、自分が寝不足でもそれを隠して授業するんやけどね、◯◯先生は疲れとるからゆっくりしましょうって自分がゆっくりするんで。」とも。
寝不足なのを隠してバリバリ授業してほしかったのかなと思ったので、そう聞いてみると「ううん、ゆっくりしてくれてよかった。その方が楽。」だそうです。
その日の授業がゆるめで楽だったということもあるのでしょうが、先生が素直に寝不足だということを子ども達に話してくれたことが嬉しかったようです。
素直さに学ぶ
子どもは大人の姿を見て、学ぶ。だから子どもには頑張っているところを見せなければいけない、と気負うことはないんじゃないかなと思いました。
もちろん担任の先生が常にお疲れモードではないからこそ、素直に疲れていることを話してくれたことが嬉しかったのでしょう。
常にダラダラしている先生からは、また別のことを学んでいるようですし。
この話を聞いて素直に表現するって大切だなぁと感じました。
つい、気丈なふりをしたり片意地を張ったりして、大丈夫な顔をしてしまう。ふりをしても、子ども達は見抜いています。
お母さんの背中
私は良い親でなければいけないという「べき」思考が強かったのですが、ここ数年でだいぶ緩くなってきたと自分でも感じています。
その変化は子ども達の反応を見ても分かります。
特に顕著なのが、今年の3月にマラソンに挑戦したときのことでした。私がマラソンに挑戦することは子ども達にとっても私自身にとってもあり得ないこと。
子ども達は驚き、心配していましたが、沿道から大きな声援を送ってくれました。私のよたよたと走る姿を見て不安そうでもなく、笑顔で応援してくれたことが印象に残っています。子ども達にとっては嬉しいことだったよう。
このマラソンがきっかけで私は上品な仮面が外れて、学校の廊下で転んだり、プールで日焼けして皮剥け剥けのまだら顔になったりと、子ども達にしたらお母さん恥ずかし~ことをしでかしていますが、「もうお母さん勘弁してよ」なことはなく、むしろ「お母さん面白い」と言われます。
そして、学校での嫌なことも楽しいことも微妙なことも全部話してくれるようになりました。今までだと「お母さん怒るかも‥」となかなか言い出せなかったことも。
何を学ぶかは子ども次第
親が素直になったら、子どもはその姿を見て自分も素直になっていいんだと学ぶんですね。それは子どもが勝手にそう解釈することなので、親には意図することはできませんが、自分の生きるさまが子どもに影響を与えるのは間違いないと感じています。
お父さん、お母さんの、かっこいい背中も無様な背中も子どもは見ている。
その背中を見て何を思うかは子どもに任せて、思う存分生きればいいんだと思いました。子どものために生きている姿も子どもにはお見通しなんですよね。
私は五重塔のように揺れることをヨシとするしなやかな背中を見せたいなぁ。意図しないと言いながら汗。