第三十六話 御曹司、暴れる(1)
「あ、そうだ」
今にも割れてしまいそうなほどに張り詰めた空気ではあるが、不意にキングキリヒトが声をあげた。メニューウィンドウからアイテムインベントリを開いて、複数のアイテムをオブジェクト化する。10センチ程度の小ビンに入れられたそれらを、キングはイチローに投げ渡した。
疲労回復剤である。
「こないだ、ダンジョンもぐったときに使わせてもらった分」
「あぁ、別に返してくれなくても良かったのに」
律儀だなぁ、と言いつつ、イチローはそれらのアイテムを自分のインベントリに収納した。
「おっさんがどう思ったって良いんだよ。オレが返したいから返すの」
「なるほど」
この偏屈っぷりは実にイチローそっくりである。御曹司もそう思ったわけではないだろうが、大いに頷いて見せた。
ちらり、と振り向けば、後方にて
大衆は、果たしてどちらに注目するべきか、ただただ迷っている様子であった。目の前に液晶を2台置いて、まったく違う映画を2本流すようなものである。建物の上で状況の記録をしている
周囲の動きなど、気にしたことではない。二人の興味は、周囲から完全に隔絶されている。強いていうならば、キングキリヒトは大量出現したMOBの掃討を引き受けていたはずだが、大量にいたアンデッドモンスターのうち半分はすでにキリヒトが片付けていたし、残り半分はイチローが着地の際に吹き飛ばしてしまった。
デルヴェ亡魔領のメインストリートで、二人はにらみ合った。果たしてそれは〝にらみ合い〟というほど、勇ましいものではなかったかもしれないが。
立ち姿にしたってそうである。キングキリヒトは、全身黒ずくめの軽装にレジェンド武器である
「キング、いまさらだけど、君はあれ、良いの」
イチローの言う、『あれ』とは、要するにグランドクエストの攻略である。彼の性格からして、ボス討伐の栄誉にそこまで興味があるとは思えないのだが、総じて飛びぬけた各種ステータスを持ち、ドロップする経験値もシャレにならないのがグランドボスだ。『強さ』に固執するキングキリヒトであれば、自らの手で倒したいと考えるのは自然の流れである。
だが、キングは武器を構えていない片方の手をひらひらと振った。
「良いよ。だって、なんかマツナガさんの思惑に乗っかるみたいで癪じゃん」
「君を伝説に祭り上げようっていう話なら、すでに乗っかっているルートな気もするかな」
「それって、おっさんがオレに負けるってこと?」
「ナンセンス」
砂と瘴気のエフェクトを孕んだ風が、びゅうびゅうと吹き抜けていく。いつまでも続くにらみ合いではないだろう。均衡する気迫は、ほんの些細なきっかけで崩れるはずだ。
今回の場合、それは隣の激戦の余波であった。妖魔ゾンビの四本腕が、前衛の重装歩兵を軽く投げ飛ばす。ドラム缶のようなフルプレートメイルが中央に投げ出され、ランスが大地に突き立てられる。瞬間、二人の最強プレイヤーは、弾けるように地面を蹴った。
はじまったのか。ストロガノフは思った。
後方わずか50メートルもないだろう。ぶつかり合う二つの力の余波は、ここまで伝わってくる。フィールド上ではPvPは互いの了承なく発生しうる。それはすなわち、攻撃範囲によっては容易にフレンドリーファイアが実現するという話でもあり、もっと言えば、広範囲に影響を及ぼすPvPのダメージ判定が、他の低レベルプレイヤーを巻き添えにしかねないという話でもある。
さすがに、二人のバトルの影響でトップ層15%を担うボス攻略パーティが消し飛ぶとは思えないが、なにやら背水の陣を敷かれたような気分だ。心なしか、後衛の射撃部隊や魔法攻撃部隊も距離をつめてきているように思える。
戦闘自体は安定感を保ったまま進行している。敵の攻撃パターンは意外と単調で、数が少ない。でたらめに設定されているのは純粋なステータス数値のみであって、最初こそは度肝を抜かれたものの、冷静に動けば対処しきれないものではなかった。
度肝を抜かれた結果、二人のトッププレイヤーが撃墜されたというのであるから、最強の攻略ギルドとしてお粗末な話ではある。それに関して忸怩たる思いが無いかと言えば、まぁ、かなりある。
「きェェェェ――――――――――――ァアアァァッ! ホアアァッ! ホァッ! ホォァアッ!」
苫小牧の奇声にもそろそろ慣れた。
すでに妖魔ゾンビの動きには明確な変化が見られる。ボスをはじめとしたMOBのHPゲージは表示されないゲームシステムではあるが、残体力に応じて行動パターンとステータスに変動がかかるため、ある程度憶測がたてられるのが、ナローファンタジー・オンラインの戦闘だ。
決着までそう遠くない、というのが、ストロガノフの確信であった。
ヒットストップやダメージエフェクトを見ても、妖魔ゾンビの防御系ステータスはかなり低下している。反面、その四本腕から繰り出される攻撃は、精度と威力を増していた。多くのボスモンスターに見られるステータス変動の傾向だ。ここである程度の損害を覚悟し、一気呵成に押し切るのがセオリーである。当然、タイミングを見誤ればサイクルが間に合わなくなって全滅の憂き目に合う。ここの判断は重要だ。
前線を支えるティラミスが、視線で合図を送ってきた。【防御】上昇のバフがかけられた彼女であっても、体力全快の状態から四連撃を食らうと8割以上を持っていかれる。攻撃力の上昇は劇的だった。これ以上はジリ貧になる。
ストロガノフはメニューウィンドウを開き、ギルドの項目を開いた。〝
使用承認はすぐに降りた。
同時に送られてきた顔文字つきのメッセージ(返信速度の割りに内容が多い)はひとまず無視し、改めてギルドスキル《乾坤一擲》を発動させる。今から1分間、効果を受けることを選択したメンバーに大幅なバフがかけられる。1分経てば全能力値が50%ダウン。この1分で決着をつけなければならない。
「カタをつけるぞ!」
『おおおおォ―――――――――――ッ!』
ストロガノフの怒号に、メンバーの掛け声が重なる。総てのプレイヤーは獲物を握り、妖魔ゾンビに殺到する。
前衛の
だが、偶然か判断ミスか、妖魔ゾンビは『ひるみ』によるモーション停止の直後と、連続して繰り出される技の間隙を突き、攻撃の態勢を整えた。それは、妖魔ゾンビが放ちうる最大火力、四本腕による小範囲連続攻撃。
セレスティアルソードを構え、《パニッシュメント》を放とうとしたティラミスに、わずかな逡巡が浮かんだ。一気呵成に攻め入るとの判断の後、彼女の体力ゲージは回復していない。最大火力を叩き込もうと、《カバーリング》による味方の守護を優先しようと、ティラミスはこの四連撃を耐え切ることはできない。
《パニッシュメント》による高火力攻撃と、後続による連続攻撃のどちらがより有効なダメージソースか。《カバーリング》の使用は是であるか非であるか。その判断にあぐねたが故の逡巡である。
だが、最適解は予想にもしない方向から飛び出してきた。
「露払いは任せろ!」
遠巻きに眺めていた野次馬達の中から、黒衣の戦士たちが駆け寄ってくる。後方で激しいぶつかり合いをしている片方によく似ていたが、装備のレアリティがまったく違う。
「攻略本隊からハブられた!」
「俺たち〝ザ・キリヒツ〟が!」
『命という名の、盾になろうっ!!』
7人の戦士たちは、驚くべき【敏捷】ステータスで割って入り、低レベルの《カバーリング》を発動させる。攻撃力に驚くべき補正のかけられた妖魔ゾンビの四連撃である。その軽装では到底耐え切れないのではないか。
ティラミスの予想を裏切り、彼らの頭上に踊ったダメージエフェクトは『0』の数値を示していた。2人1組。小範囲の四連続攻撃をかわるがわる受け止めることで、全員がダメージを均等に受ける。ただ、最後の1人は不幸なことに2回目のダメージを受け持ってくれる相手がおらず、頭上に『9835』という無慈悲な数字をひらめかせて消えていった。
怒涛の四連撃からティラミスたちを守ったザ・キリヒツは、追加アクションで繰り出された妖魔ゾンビのヤクザキックで、再び野次馬の中へと戻っていく。
「いったいあいつらはなんだったんだ」
「出番がほしかったんじゃないでしょうか……」
攻撃は再開し、ティラミスの《パニッシュメント》が5ケタの大ダメージを叩き込む。後方部隊からの支援火力も次々に着弾、苫小牧の鞭のような連打。ストロガノフは、片手で握っていた大剣を両手で握りなおし、最後の一撃を見舞うべく助走をつける。
「でああああああああッ!」
両手剣専用剣技《ダウンバースト》。下降噴流の如き一撃が、妖魔ゾンビの鈍重な肉体を捉える。
瞬間、大仰なフラッシュエフェクトが閃いた。妖魔ゾンビの巨躯が大きく揺れ、ゆっくりと大地に倒れこむ。ガラスが砕けるような音がして、猛威を振るっていたボスの姿は光の粒子となって散っていく。
突如、盛大なファンファーレが鳴り響いた。グランドクエストの終了を告げるサウンドエフェクトだ。ストロガノフを始めとした攻略パーティの目の前にリザルトウィンドウが表示され、『クエストはクリアされました』というシステムメッセージが踊る。空をつつんでいた暗雲が消えていき、都市全体を覆う瘴気のエフェクトもじんわりと薄くなっていった。
野次馬の間から響いてくる歓声は、思っていたよりも大きい。ティラミスや苫小牧、他のプレイヤー達の表情にも安堵が浮かんだが、両手をあげて万歳とまではいかなかった。どうやらグランドクエストは終わったらしい。だが、メインイベントはまだ済んでいないのだ。
「だっ、団長! あぶないっ!」
リザルトウィンドウを睨んだままだったストロガノフを、ティラミスが突き飛ばした。
直後、ダメージ判定を宿した中型サイズの物体が、投石器にかけらたように吹き飛んでくる。先ほどまでストロガノフが立っていた場所に着弾して、瓦礫と砂塵のエフェクトを巻き起こした。だが、脅威はそれでは済みはしない。追いすがるようにして一直線、黒い突風が直剣を振りかざした。
「うおっ!」
「ひえっ!」
砂塵の中に勢いよく切り込んだキングキリヒトではあるが、直後に吹き飛ばされて宙に踊った。空中で姿勢を整えて着地する動作に危なげはない。
砂塵エフェクトが晴れると、ツワブキ・イチローが立っていた。やはりポケットに手を突っ込んだままの、涼やかな出で立ちではあるが、表情にはいくらか緊張感が混ざる。
「おっさん、片手縛りはいい加減やめたほうが良いぜ」
キングがXANを構えなおしながら言った。それまでボスの討伐に安堵していた攻略プレイヤー達は、蜘蛛の子を散らすように退散し、野次馬の群れに加わっていく。ストロガノフは、歯噛みよりも苦笑した。そう、これがメインイベントだ。自分達が苦労してボスを倒したところで、そんなもの前座に過ぎない。観客達の視線は、いまやこの二人にのみ注がれている。
近くにいれば巻き添えを食らうだろう。ストロガノフは、リザルトウィンドウを表示させたままティラミス、苫小牧と共に野次馬の列に加わった。
「別に縛ってるわけじゃないんだ。もしも僕が君のことを侮っていると思うんだったら、そのうちに倒してしまったほうがいいよ」
そう言いつつ、イチローはインベントリから一本の剣を呼び出した。初期装備のメイジサーベルでもなければ、散々振り回して周囲を戦慄させた
キングキリヒトがこの剣を見るのは二度目だ。〝亡却のカタコンベ〟下層にて、ゾンビレギオンを三体丸ごと葬り去ったときの、あの剣。半分は自分の力であると信じて疑わないキリヒトだが、もう半分はこの剣を握ったツワブキ・イチローの力なのだ。警戒を強める。
イチローは剣を、煌剣シルバーリーフを逆手に構え、両足を開いたままゆっくりと腰を落とした。同時に、ポケットに入れたままだった握り拳を引っ張り出す。キングキリヒトは納得した。彼の拳はしゅうしゅうという音を立てて、エネルギーのエフェクトを垂れ流しにしている。魔法系アーツに関して造詣が深くないキングでも、これが次の攻撃魔法に備えた魔力充填アーツ《チャージキャスト》によるものであることは理解できた。
この男は、最初の大技を決めるつもりであるのだ。
キングは、完全に記憶する無数の『構え』の中からひとつを選び取り、迎撃の態勢を整えた。
おそらくイチローの構えは、
ならば、《ストラッシュ》の攻撃判定より早く、カウンターを叩き込む。
キングキリヒトはカウンター系のアーツを取得していない。だが、システムアシストはなくとも、アタリ判定とダメージの発生タイミングを見極めれば、擬似的なカウンターは可能だ。何よりキリヒトには、高レベルまでたたき上げた《バッシュ》がある。
ひとつ、不安があるとすれば、
いや、
キリヒトはかぶりを振った。その不安すらも食い破ってこそだろう。相手の攻撃に集中するのだ。余計なことに脳味噌の処理能力を費やして、勝ち筋を潰すというのは、えぇと、なんだっけ。そう、『ナンセンス』という奴ではないのか。
相手方には200
彼に『戦って勝つこと』の面白さを教えてくれた人物は『マシンスペックの差が戦力の決定差ではない』と言っていた。技量でいくらでも覆せる。もちろんその人物は、そう断言した上で常に財力の許す限り最高の環境を整えていたのだが。
ツワブキ・イチローが大地を蹴る。キリヒトは微動だにしなかった。カウンターを当てるタイミングにはまだ早い。相手の《ストラッシュ》の剣筋を見極め、そして、
そう思ったキリヒトは、次の瞬間自身の判断ミスを呪った。イチローが最初に繰り出したのは《ストラッシュ》ではない。武器を握っていない片方の手に、光のエフェクトが集中した。《ファイアボール》。それ自体は取るに足らない下位攻撃魔法アーツだ。
だが、《チャージキャスト》の力で数倍にも膨れ上がった火球が、同時に複数放たれる。致命傷まではいかないだろうが、直撃すれば相応のダメージは免れまい。火属性魔法特有の派手なエフェクトが、キリヒト目掛けて殺到する。
火属性や光属性ともなれば、エフェクトの大きさは必ずしも厳密にアタリ判定の範囲を示さない。キリヒトは身をよじり、魔法のエフェクトに身を掠めながらも、脱出の最短ルートを導き出した。弾幕シューティングというジャンルならプレイしたことはあるが、バーチャルリアリティでこれをやるのは初めてだ。
当然、脱出した先には、イチローの《ストラッシュ》が待ち構えている。すでにアーツは発動の手順に入っていた。だがキリヒトも、脱出の時点ですでに《バッシュ》の発動を間に合わせていた。一度アーツが発動してしまえば、剣筋の修正はほとんど効かない。
キリヒトの『読み』がわずかに勝ったのは、僥倖以外のなにものでもなかった。ダメージ判定の発生する直前に、どうにかXANの剣筋がシルバーリーフを捉える。《ウェポンガード》を発動させていない状態で、攻撃を受けた武器はどうなるか。通常攻撃の3倍、武器耐久値が減少し、ダメージはそのまま所持者に貫通する。
耐久値がたった3しかないシルバーリーフは、あえなく砕け散った。
「やぁ、ストロガノフ。こっちこっち」
マツナガがのんきな声でそう呼ぶものだから、ついつい顔を向ける。そこにはマツナガだけではなく、ゴルゴンゾーラにあめしょー、それに、ツワブキ・イチローのギルドメンバーであるアイリスやキルシュヴァッサー卿が顔をそろえていた。初期装備に身をつつんだガスパチョとパルミジャーノも苦笑いで手を振っている。
勢ぞろいだな。
ストロガノフはそう思って、歩をそちらに向けた。ティラミスや苫小牧も一緒だ。ガン首をそろえるトップ集団に対して、周囲が少しおののくのがわかる。普段ならわずかに優越感も感じるが、今はどちらかというと、決まりの悪さが先に立つ。
「これがおまえの目的か? マツナガ」
「いやぁ、どうだろう。話題を掻っ攫うって点じゃ、そうかなぁ。とりあえず、おつかれ」
「お疲れ様でした」
銀髪の騎士がにこやかな笑顔で、ティーカップを差し出してきた。気が効くことだ。そういえば、キルシュヴァッサー卿は《茶道》スキルを上げていると言っていたな。カップの中身はややグロテスクな色合いだが、匂いは悪くない。
「ボスを倒せたようで何よりだ」
ゴルゴンゾーラが言う。
「あとでドロップ見せてー」
あめしょーが言う。
「あの、うちの御曹司が何か迷惑かけなかった?」
アイリスが言う。
それぞれに対して言いたいことはいろいろとあるのだが、ひとまずストロガノフも、他の観衆同様腰を下ろした。何のシャレか、ブルーシートまで敷かれている。
そう、観衆だ。グランドボス討伐という前座が終わり、野次馬たちはその視線を、二人のプレイヤーの激突に注いでいる。キングキリヒト対ツワブキ・イチロー。どちらも伝聞でしかその強さを知らないであろうプレイヤーが大多数を占める。だが、彼らも、あの光景を目の当たりにしては、受け入れざるを得まい。神話は現実なのだ。
キリヒトがイチローの剣を叩き折ったときは、大きな歓声が上がった。やはり最強はキングキリヒトか。そう思われた次の瞬間、ドラゴネットの青年は涼しい顔で二本目の煌剣を取り出し、周囲を唖然とさせた。
さて、強者が雁首をそろえて、更なる強者同士の戦いを観戦するともなれば、やることはひとつである。
「この戦い、どう見る?」
わざとらしい咳払いの後にそう言うと、マツナガは『おっ、やっぱそう来たね』と言った。キルシュヴァッサーも非常に嬉しそうに頷いている。
「プレイヤースキルやレベル、ステータスで言えばキングのほうが上じゃないかな。ただ、スキル数で言えばツワブキさんがね。このゲーム、スキルの依存度が高いし、あのひと2倍ブーストいっつも使ってるから」
「スキルと言えば、」
かねてよりの疑問であったのだろうか。やや食い気味に、アイリスが発言した。
「御曹司、バリアフェザーいっぱい持ってるはずなんだけど……あれ、ダメージ食らってるわよね?」
果たして彼女の指摘は正しい。ツワブキ・イチローは、先日の課金アイテム騒動の際、当の課金アイテムをひそかに、かつ大胆に大量購入し、
「いい質問ですねぇ」
喜色を滲ませて答えたのはマツナガだ。
「それこそが、あのキングの異常性というか強さのひとつでしてね。《●●の心得》のスキルレベルをカンストさせることで取得できる《極意開眼》っていうスキルがあるんですよ。これが鬼のように強い補正がかかる奴でして、ダメージ無効化を貫通する効果もあるんですね。サービス開始当初から、運営によって存在は明らかにされてたんですが、取得しているのはたぶん、キングだけでしょう」
ぺらぺらとしゃべるマツナガである。
《心得》系のスキルが、物理戦闘職にとって必要不可欠なスキルであることはアイリスも聞いていた。イチローやキルシュヴァッサーも取得しているが、いずれもスキルレベルは200に満たない。カンストというからにはスキルレベル999なのだろうが、しかし、1年間もプレイしているヘビーユーザーが追いつけない数値だとは思えない。
「なんでキングだけなの?」
「スキルレベルを999まで上げるなんていうのは、単に経験値を積めば済む話ではないからだ」
重々しく告げたのはストロガノフである。
「スキルスロットにスキルレベルを最大値まで詰め込んで、初めてスキルレベルをあげる条件が整う。例外的に、スキルスロット<スキルレベルであった場合は、スロット総てを同じスキルで埋めればことは足りるわけだが、まぁここまで言えばわかるだろう」
「ああ……」
トッププレイヤー層がどうであるかは知らないが、アイリスのスキルスロットは現在100をようやく上回ったところである。御曹司のスロットが、2倍ブーストを込めて700オーバー。シルバーリーフの空きスロットで都合160枠も確保していることを考えると、素のスキルスロットは300を越えない。
すなわち、スキルレベル999なんていうのは、無駄の極みなのである。
どれだけスキルレベルを上げたところで、スロットに収まるのはせいぜい300。その300をギリギリまで使わなければ、スキルレベルを上げられない。ともなれば、確かにそれは相当な苦行だ。スキルレベルを上げている間は、他のスキルをスロットに入れることもできない。
「キングの強さを見れば、その苦行も価値があるのかも、なんて思いますけどね。なかなかフォロワーはできませんよ。効率が悪いとまでは言いませんが、だってそうでしょう。そんなの、楽しくありませんからね」
アイリスも、RPGのレベル上げをときおり苦痛に感じてしまうタイプだ。その意見は確かにわかる。一方で、そうした苦行じみたレベル上げが好きなゲーマーだって、もう少しいると思ったんだけど、とも思う。まぁ、そこはこう、中堅レベルのプレイヤーにはわからない壮絶な経験値の壁があるのだろう。
キングキリヒトと御曹司の激突は、更に苛烈さを増している。どちらが優勢とも言いがたい。強いていうならば、武器の耐久値で圧倒的に劣るイチローが、ことごとくシルバーリーフを叩き折られているのだが、そのたびにインベントリからまったく同じアイテムを取り出してキングを閉口させていた。あいつ、グラスゴバラに行っていたと思ったら親方に何をさせていたというのだ。
「しかし、よくそんなにスキルレベルを上げられましたな」
「でしょう? そこが凄いところですよ」
「いえ、そういうことではなく」
キルシュヴァッサーが、顎を撫でながらそう言う。
「キングは学生と聞きましたが。ストロガノフ殿やマツナガ殿はバイトを使ったり時間がたっぷりあったりしますし、ティラミス殿は有給やボーナスをたっぷり注ぎ込んでいるという話ですが、キングはどうやってそんな時間を捻出したんでしょうな」
「そこ、触れてしまいますか?」
この話題に対して、マツナガはどうもあまり乗り気ではない。
「お母さんに手伝ってもらったんじゃないの?」
「botという可能性もありますね」
アイリスと苫小牧が次々に仮説を立てる。だが、ゴルゴンゾーラは懐疑的に首をかしげた。
「bot? VRMMOでか?」
「キルシュさん、ボットってなに?」
「自動化プログラムのことですよ。ロボットの略ですな。ここで話題にしてるのはクライアントbotという奴で、要するにプレイヤーが楽して経験値を稼ぐためにそうした作業を代行させたりする目的で使用します。昔のMMOなんかではよくあったんですよ」
「ズルじゃん」
「まぁズルですな。利用規約で禁止しているゲームもあります。ナロファンは違いますが」
キルシュヴァッサーは遠い目をして言った。なにやら昔を懐かしむ様子でもある。マツナガやティラミス、ゴルゴンゾーラにあめしょーなども同じ表情で、ゲーマーとしての年季を感じさせた。反応を見るにストロガノフやガスパチョ、パルミジャーノはそこまで古参ゲーマーでもないらしい。
キルシュヴァッサーの言葉を、マツナガが繋げる。
「でもVRMMOでは技術的に難しいんです。パソコンで遊ぶMMOとは違って、動作が複雑ですからね。人体の動きをある程度正確に模倣するアーキテクチャと、五感にしたがって行動するアルゴリズムが必要になりますよ。MOBを操作するのとはワケが違います。そんなの、無理でしょ?」
「まぁ、無理とも限りませんけれどね」
穏やかな笑顔で苫小牧が言った。
一同は、サービス開始以来一度もログアウトしたことがないという勇者の発言に思わず視線を寄せたが、なんだかこれ以上は深く追求しないほうが良い気がして、話題を変える。こういうときに先陣を切るのはあめしょーだ。
「ストロガノフぅ、なんか面白いドロップとかあったぁ?」
「面白いかどうかはわからんが、グランドボス討伐の証というのかな。それっぽいレアアイテムはあったぞ」
そう言って、ストロガノフはインベントリからひとつのアイテムをオブジェクト化する。赤く脈動する不気味な結晶体だ。意識のカーソルを向けると『イヴィルハート』というアイテム名と、説明テキストが閲覧できる。
妖魔ゾンビの心臓部を担っていた魔力の結晶体であり、グランドクエスト攻略の証であるときっちり明記されていた。これがストロガノフのリザルトに出現した理由は不明だが、こうしたアイテムは基本的に参加プレイヤーの中からランダムで一人に与えられるのだと、騎士団のメンバーが口々に説明した。ストロガノフが選ばれたのはシステムが空気を読んだからなのだろう。このゲームはこういうところが割と杜撰だ。
「で、ストロガノフ、あんた、それ欲しい?」
マツナガが鋭くえぐりこむような質問をした。
「トロフィーのようなものだからな。最初は欲しかったんだが……状況がこれではなぁ」
「だよねぇ」
マツナガはにやりと笑ったあと、メインストリートで激しい火花を散らす二人のプレイヤーに、大声で手を振ってみせた。
「おぉーい、お二人とも! ストロガノフが、このバトルの勝ったほうに、ドロップアイテム譲ってくれるってさぁー!」
「なっ、おいマツナガ!?」
「ほらぁ、観衆の皆さんも立って立って! 騎士団のリーダー・ストロガノフが、太っ腹なところを見せてくれるんですよ! どうでしょうねぇ、ここいらでひとつ、トトカルチョなんかやってみては!」
ストロガノフに組み付かれながら、大声でアピールするマツナガに、観衆は大いに盛り上がりを見せる。
祭りだわ。
アイリスは思った。そのままマツナガの言葉を思い出す。『神』とか『祭り』とか。そんなことを言っていたか。確かにこれは、まさしくそうだ。周囲を巻き込んで、状況を煽る。事態をもっと劇的に、ドラマティックに作り上げていく。話が盛り上がればアクセスも増える。アフィリエイト収入で万々歳だ。という話だけでもないのだろうが、この男も、なかなかタダでは起きない。
マツナガの言葉が聞こえていたのかいないのか、メインストリートでぶつかり合う二人の火花は、よりいっそう苛烈なものに変化していった。
8/10
誤字を訂正
×と担っていた
○を担っていた