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VRMMOをカネの力で無双する 作者:鰤/牙

『キリヒト』編

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第三十一話 御曹司、準備を整える

 会議は11時前には終わった。現実世界での仕事があるストロガノフとガスパチョがサインアウトし、そのあともまだしばらく会場のざわめきが収まらない。作戦の決行が明日である以上、多くのプレイヤーは、ここから退屈をもてあます。もちろん抜け駆けして、先に最下層を目指す連中も多少は出るだろうし、それを禁止する術はルール的にもマナー的にもあり得ない。突撃したければ、すればよろしい。ただ、彼らが最下層にたどり着けるかはまた別の話しだし、そこで障害を取り除けるかと言うと、やはりまた別の話だ。

 マツナガの提案で、このあと、いわゆる『一般参加者』の募集が行われた。前もってマツナガが一時的に組織した即席ギルド『デルヴェ亡魔領攻略隊』への参加者を集う。ギルドの設立は、マツナガのほかにはティラミス、そしてあめしょーの連名で行われていた。


 グランドクエストにおける討伐対象は、当然ながら一体しか存在しない。過去マギメタルドラゴンなどがそうであったように、討伐後ふたたび一般クエストのボスとして配置される場合もあるのだが、『グランドクエストのボス』を倒せる機会は、今回限りとなる。

 だからこそ、ストロガノフ達が異様な執着を見せ、合同作戦の立案にも賛同を魅せたわけだが、さてここでひとつ懸念が生じる。

 この会議の結果で得られた合意は、あくまでも円卓を囲んだキャラクター同士のものでしかない。そこに参加していない以上、大多数を占めるプレイヤーには関係のない話であるのだ。すなわち、彼らの最終目標であるグランドボスの討伐を、ストロガノフ達に先んじて行うことそのものは、マナー違反にはならない。これが今までのグランドクエストであれば、ボスはダンジョンの深奥部にて待ち構えていた。そこにたどり着く実力を有したプレイヤーにのみ、栄誉は報酬という形で支払われる。

 今回のグランドクエストが騎士団の頭を悩ませたのは、ボスの出現地点がメインストリートであるという点だ。それを倒す実力の有無はともかくとして、多数のプレイヤーがボスの出現地点にてイベントの発生を待ち構えることは容易である。赤き斜陽の騎士団レッドサンセット・ナイツが、その手で栄誉を掴み取る過程での、この上ないノイズだ。


 それに関して、マツナガが弄した策はふたつ。


 ひとつは、会議の存在そのものを周知させること。自身のブログで大々的に告知を行い、会議の内容を動画サイトで生放送したこと。

 これにより、グランドクエストに興味を寄せるプレイヤーの大半は、会議の具体的内容を知ることになる。グランドボス攻略のためのトッププレイヤー集団を作り上げ、『邪魔はできない』『手を出せない』という空気を作り上げる。

 おそらくは『それは単なるレイドボスの独占行為だ』という冷静な意見も浮上するだろうが、大衆を味方につけてそれを押し流す。ティラミスやあめしょーという、一部にアイドル的な人気を持つプレイヤーは、そのためにも非常に良い仕事をしたはずだ。加えて、ウェブ上での恣意的な情報操作も、マツナガの得意とするところである。抜かりはない。


 そしてもうひとつが、この『デルヴェ亡魔領攻略隊』の編成だ。蚊帳の外であったプレイヤーを、編成したギルドにあえて組み込むことで、『クエスト攻略に参加している』という事実と実感を与える。もちろん彼らが、直接グランドボスと戦うことはほとんど無い。あったとしても露払いのような役割しか与えられないだろう。

 だが、もとよりグランドボスほどの敵は、一部のトッププレイヤーでしか討伐できない。そこに参加できない大多数のプレイヤーであっても、ボスの討伐に貢献していると思わせることができれば、不満は表面化しない。いわば、心理的な押さえ込みである。


「では次の方、どうぞ」


 マツナガとティラミスが受付席に座り、参加希望者の応対をする。


「えぇと、お名前は? あとは種族とクラスもね」

「アイリス。エルフの錬金術師アルケミスト

「ん?」


 聞いたことのある名前に顔をあげると、そこには勝気そうな顔をしたエルフの少女が立っていた。体格は小柄だが、一風変わった防具を着ている。ファッションには疎いマツナガなのだが、えぇと、これはジャケット? カットソーというやつか?

 どのみち、こんなオシャレファッションを装備しているプレイヤーなど、このゲームにおいてそうそう見かけるものではない。


「あ、アイリスさん。こんにちは」

「やっほー、ティラミスさん」


 隣からにこやかに微笑みティラミスに、彼女はひらひらと手を振って見せた。


「あんた、アイリスブランドの。よく出てきましたね」

「それどういう意味?」


 アイリスは唇を尖らせる。

 VRMMOにおいては、脳波スキャナーが精神状態を読み取り、感情パターンをダイレクトに反映する。そのため、表現パターンの少ないマシンナーなどを除けば、その感情は現実世界よりも相手に伝わりやすい。人の心は丸出しの状態なのだ。

 アイリスの様子を見て、まだ精神年齢はそう高くないな、とマツナガはあたりをつけた。中学生か、高校生。まぁそのあたりだろう。


「言ったままですよ。あんたんとこの社長ギルドリーダーはともかく、あんたも参加するんですか?」

「んー、っていうか……」


 アイリスは何やらいいにくそうに頭を掻いていたが、


「うん、まぁ参加はするわ。大して力になれないかもしれないけど」

「そりゃあまぁ構いませんよ。地上か地下かの希望はありますかね。希望通りになるとは限りませんがね」

「それなんだけど、参加者の中に、ユーリって子いない? ミウでも、レナでもいいんだけど」

「ん、知り合いですか?」

「そんなとこ」


 探し人か何かか? フレンドならば、直接メッセージを送りなりすればよいものを。

 すでに参加希望者はかなりの数に膨れ上がっている。メニューウィンドウを開き、ギルドメンバーの検索を選択すれば、探し出すことは可能であるが。マツナガは興味のない詮索など後回しにして、ひとまず『ユーリ』という名前のプレイヤーを探してやることにする。


「一応、該当するのは二人いましたけど」

「人間の格闘家グラップラーなのよね。サブは確か戦士ファイター僧兵モンクだったかなぁ」

「じゃあ違う人だ。ミウさんとレナさんも探しますかね?」

「いや、良いわ。ありがとう……。希望は一応地下にしておいて」

「はい。地下組の希望は少ないからたぶん通りますよ。ツワブキさんと同じところにした方が色々良いだろうしね」


 マツナガがそのままウィンドウの操作を続けると、アイリスの目の前に、ギルド参加の是非を問うタッチウィンドウが出現する。彼女が『はい』にタッチすれば、手続きは終了だ。

 どこか落胆した様子を見せるアイリスだったが、やはりマツナガは興味がわかない。人探しくらい、気がのればいくらでも手伝ってやる気前の良さくらいはあるつもりだが、今は忙しいし、何より自分の目的に深謀をめぐらすので精一杯だ。


「そういえば、うちの御曹司どこ行ったの?」

「ツワブキさんなら、グラスゴバラに行くって言ってましたね。武器の耐久値が落ちたらしいので」

「あー、使ったんだ。シルバーリーフ……」

「他に聞きたいことはないですかね。いちおう、後ろも詰まってるんで」

「あっ……はい、うん。ごめん。ありがとう、マツナガさん」

「いえいえ」


 アイリスは列を抜け、やはり周囲に溢れかえる雑踏の中に消えていく。彼女のレベルはそんなに高くないと聞いていたが、このデルヴェのど真ん中に置き去りにしてしまうとは、ツワブキ・イチローも少しばかり冷たいのではないか。あるいは、すぐに用事を済ませて戻ってくるのか。

 確か、アイリスブランドにはキルシュヴァッサーという騎士ナイトもいたはずだし、彼女が護衛に専念すれば、メインストリートを無事に抜けることくらいはできるか。特に今日は人が多い。普段は異常に湧き出るグレーターゾンビも、サーバー負担を考えてかやや少なめだ。行きずりのプレイヤーが数人がかりで挑めば苦戦するようなMOBでもない。


 まぁ、どうでもいいことだな。


 マツナガはすぐに思い直して、意識を戻した。


「はい、次の方、どうぞ」





 グラスゴバラ職人街、最後に〝アキハバラ鍛造組〟の門を叩いてから2週間も経ってはいないはずだが、なにやら妙に久しぶりに感じる。イチローはワープフェザーを用いてここまで飛んできた。亡魔領から戻ってくるのは簡単だが、亡魔領をポイント登録したワープフェザーはまだどこのNPCも販売しておらず、またあちらに出向くのは少しばかり面倒くさい。

 アイリスとキルシュヴァッサーに対しては事後承諾となる。なにぶんあの大観衆の中だ。彼女達もそうそう身動きが取れそうにはなかった。やや不誠実ではあるが、私用は早めに済ませて再度合流したいところだ。どのみち作戦の決行は明日であり、それまでの間、アイリス達もおおいに退屈をもてあますこととなる。


 だがそれでも、彼には今日の内にここを訪れておかねばならない理由があった。


 イチローが〝アキハバラ鍛造組〟のギルドハウス、UDX工房に踏み込むと、そう多くない客や鍛冶師たちの視線が、一様に彼へと突き刺さった。珍しいものを見るような目つきではあるが、敵愾心のようなものは無い。

 実は、先ほどの会議の内容は、このUDX工房のロビーに配置された中央ビジョンで生中継されていたのだが、イチローは露とも知らない。一部の動画サイトのサービスと提携したハウスアイテム『マギビジョン』は、一定のギルドレベルに達した場合のみ、運営から直接寄贈される。いまのところ、ギルドハウスにマギビジョンを置いているのは、ナローファンタジー・オンラインを代表する三大ギルドだけである。


「やぁ、」


 イチローはひとまず、通りがかりの鍛冶師ブラックスミスを捕まえて声をかける。


「親方はいるかい」

「いるよ兄ちゃん、後ろだ」


 返答を待つまでもなく、求める答えは後ろから届いた。相変わらず色気も気品も上品さも欠片と感じられないダミ声である。振り返ると、大量の口髭を蓄えた、見るからにナチュラルボーンなドワーフが立っていた。頭の上には『↓こいつ最高にアホ』というアバターネームが燦然と輝いている。


「なんかストロガノフやマツナガと一緒にやるらしいじゃねぇか。たいしたもんだ」

「ナンセンス。僕がたいしたものなのはわかりきった話さ」

「かわんねーなぁ。まぁ良いや。用件は工房のほうで聞くぜ。ビジネスかい?」

「変わる必要も無いからね。ビジネスだよ」


 親方に案内されて、鍛冶場に入るのも2回目だ。やはり甲高い製鉄の音がそこかしこで鳴り響き、《痛覚遮断》をオミットしたイチローの感覚神経に、こもった熱気が纏わりつく。どうにも悪くない気分だ。少しばかり亡魔領の廃墟を眺めすぎたか。例えそれが数値化された味気ない作業であるとしても、息づいた職人芸の音色は心地よい。

 以前訪れたときに比べ、鉄を叩くプレイヤーの数はそう多くない。たまたまなのか、夏休みだからなのか、はたまたグランドクエストの真っ最中だからなのか。理由はわからない。デルヴェでは〝アキハバラ鍛造組〟のエンブレムを見かけなかったが、出張サービスをしていてもおかしくはない。


「ああ、一部はデルヴェ、あとは始まりの街に出払ってるよ」

「へぇ。初心者に武器や防具を売るってことかな」

「まぁ、サービスみたいなもんだ。もうすぐ一周年だし、やっぱ夏休みだからこれから始める学生さんも多くてよ。そいつらがうちの常連さんになってくれるように、ま、先行投資だな」


 どうにもこの親方、根っから商売というものが好きらしい。


「ひとまずシルバーリーフの耐久値を直してほしいんだけど」

「お、使ってくれたんだな。いいぜ。50万な」

「ん、いいよ」


 話を聞いていた一人の鍛冶師が、危うくハンマーを取り落としそうになっていた。

 鍛冶場の一番奥に、親方専用のスペースがある。NPCが販売する最高級品の金床と、親方自身が鍛え上げた専用のハンマーが置いてあった。イチローから受け取ったシルバーリーフを金床の上に置き、親方はハンマーを握る。


「エドもいないんだ。彼はどっちに?」

「どっちでもねぇ。あいつはデスマーチの真っ最中だ。なかなかログインできないって嘆いてたぜ」

「時間があるときで良いんで、アイリスにはしっかり謝っておくよう言っておいてくれないかな。まぁ、彼女は気にしていないみたいだけどね」

「あー、まぁ、ケジメとしては必要だな」


 親方が《ハンマーフォージ》を発動させ、シルバーリーフの繊細な剣身を何度も叩く。

 他のプレイヤーが使用する《ハンマーフォージ》との違いは、単純にアーツレベルのみである。アクションそのものに違いは見られないはずだが、やはり親方の振るうハンマーには、他にはない迫力じみたものが漂う。加えて、スキルレベル500以上であるという《製鉄》スキルが、シルバーリーフの耐久値を回復させていった。


「それで、親方、ものは相談なんだけど」

「お、ビジネスか?」

「ビジネスだよ。そのシルバーリーフ、あと19本くらい作ってもらえないかな」


 少し、間があった。


「おいおい兄ちゃん、マジで言ってんのか」


 親方の声には、怒りも動揺もなく、ただ呆れがあるだけだ。


「ナンセンス、僕は冗談を聞くのは好きだけど、言うのは好きじゃないんだよね」

「まぁ兄ちゃんの人生そのものが冗談みたいなもんだからな。ほら、一応こっちはできたぜ」


 耐久値が最大値(3)まで回復したシルバーリーフを、親方はイチローに手渡す。


「俺は職人だが頑固じゃねぇつもりだ。理由を聞こうか」

「ん、明確に優劣をつけたい相手がいるんだよね。シルバーリーフを使って、最大のパフォーマンスを発揮する攻撃をしたんだけどさ、彼も同じくらいの威力がある一撃を撃ってきたんだ。疲れるからあんま使いたくないって言ってたけど、僕がシルバーリーフを使って1回、損壊を覚悟でも2回しか撃てない威力を、彼は連発できる可能性がある」

「へぇ、じゃあ兄ちゃんは負けるかもしれねぇのか」

「ナンセンス」


 イチローは、涼やかな態度を崩さぬまま肩をすくめた。


「僕は自分が負けるとは思っていないよ。ただ、理屈の上でそうなる可能性があるのは否定できない。だから、親方にシルバーリーフの予備を作ってもらいたい、ってところかな」

「すげぇなぁ、兄ちゃんにそんなこと言わせる奴がいんのか。名前は?」


「キングキリヒト」


 その名を告げた瞬間、鍛冶場にこもる熱の総てが、冷気に変わったような感覚があった。空気がぴんと張り詰め、衣服の隙間から北風が吹き込んでくるようである。もちろん、そんなはずはない。このゲームにおいて、プレイヤーの仮想肉体と装備の間に、『隙間』は生じ得ない。

 親方は、一瞬表情を失っていた。だが、それはすぐに険しいものへと変わり、やがて、口元に微笑を浮かべる。


「へぇ、あいつとやろうってのかい」

「うん」


 親方はくっくっと笑った。


「あいつの武器なぁ。知ってるか?」

「いや、かざりっけのない直剣だとは思っていたけど」

XANザンって言ってな。一応、レジェンドアイテムだ。運営かみが作り、このアスガルドに封印した七つの武器の一つ。攻撃修正は、3800だったかなぁ」

「シルバーリーフとは200しか違わないんだ」

「攻撃修正はな。そういう意味で、シルバーリーフは傑作だよ。ただまぁ、XANは耐久値もぶっ飛んでるし、いろいろ追加効果もあるんだ。見た目は地味で、スキルスロットは10くらいでもな」


 レジェンドアイテムの取得にどれほどの苦労と困難が付きまとうのか、イチローは実感として知っているわけではない。ただ、それぞれ一つのゲームに一つしか存在しない究極のレアアイテムで、熟練したプレイヤースキルと類稀なる幸運を兼ね備えなければ入手することはできないという。そこに、イチローが自由気ままに振り回せる『カネ』の力は関わってこない。

 あるいは、本来運営が禁止しているリアルマネートレードを通じて入手することは不可能ではない。だが、禁止行為への抵触はナンセンスだ。定められたルールの中で最大限気ままに振る舞ってこそ、石蕗一朗の美学がある。


 イチローは、再度親方に提案する。


「で、どうだろう。通貨ガルトは惜しまない。素材にリアルマネーが必要なら、そっちもね」

「なるほど、悪くねぇな。運営が作った最強の武器に、俺の武器で挑もうっていうわけだ」

「親方の主観で見ればそうなるかもしれないね。ただ、僕は僕がキングキリヒトと優劣を決めるだけだと考えている。挑む、という言葉もナンセンスだ。この戦いにチャレンジャーはいない」

「兄ちゃんの屁理屈はどうでもいいや。わかったよ。あと19本な」


 このような流れで、親方はシルバーリーフの量産を快諾してくれた。素材となる嵐剣ブリンガーソードは、様々な課金サービスの中でイチローが唯一手を出していなかった『ガチャ』のレアアイテムである。タイアップ武器であるためにレアリティは高いが、攻撃力はしょっぱく、アロンダイトと同じく運営が批難を浴びた武器だ。

 あざみ社長達は本当にこのあたりのバランス取りが苦手らしい。イチローは、目の前に出現したガチャのハンドルを回しながら一人ごちる。彼のリアルラックを以ってしても、19本の取得までに50回の試行が必要だったのだから、やはり過去の批難は当然のものであろう。余ったアイテムは、そっくりそのまま親方にプレゼントしておいた。


 さすがに19本すべて完成するのは明日の朝であるという。イチローは親方に挨拶をしてから、グラスゴバラUDX工房をあとにした。


 また急いでデルヴェ亡魔領に戻らねばならないな、と、思ったときである。


「あの……、」


 と、イチローの背後から声をかける影があった。


「ん、」

「アイリスブランドの人ですよね?」


 そうだよ、と振り返ると、そこには見慣れない冒険者が三人、立っていたのである。





 その日、キリヒトはデルヴェ亡魔領を離れ、大砂海から南方にある〝中央魔海〟にいた。

 この広大な湖においては、現在アスガルド大陸では珍しい水棲系のMOBが多く出現する。水中での行動制限を解除する類のスキルもまだ公開されておらず、いくら高レベルのMOBがわんさか出現するフィールドであったとしても、好き好んでこの場を訪れるプレイヤーなどいない。

 だからこその、魔海ここである。

 彼自身、グランドクエストにまったく興味がなかったわけではないが、ここ最近の亡魔領はやや騒がしすぎる。矜持としてソロを貫く彼には、どうにもいづらい場所であった。


「はっ……!」


 《バッシュ》の一撃が、淡水性クラーケンの軟性の高い身体に食らいつく。極限まで鍛え上げられたアーツレベルとエクストラスキルが、クラーケンの持つ《超絶軟体ボディ》を貫通して、その図体に致命の一撃を叩き込んだ。淡水性クラーケンは断末魔をあげて、その触腕を水面に力無くたたきつけた。波が立ち、小船が揺れる。キリヒトの【敏捷】ステータスと元来のバランス感覚が、彼を不動の姿勢のまま小船の上に固定していた。

 リザルトが入る。レベルが上がる。

 珍しいドロップアイテムが手に入った。『クラーケンの塩辛』。食材アイテムか。レアリティの高い食材アイテムは嫌いではないが、現実世界の塩辛はそんなに好きではない。あとで売ろう。もっとこう、ハンバーグとか、エビフライとか、そういったものはないのだろうか。このフィールドなら、エビ系の食材アイテムくらいは手に入るかもしれない。


 ただ、《料理》スキルは持っていないから、食材アイテムを入手してもエビフライは作れないな。ソロプレイヤーを続けていて悲しみを感じるとすれば、それくらいだった。

 小船を操作し、岸につける。丘でのんびりと寝そべっていたサハギンの群れがこちらに気づくが、襲ってくる気配はない。キリヒトは小船をインベントリに収納すると、彼らのわきをすり抜けて桟橋がかかっている別の岸へ向かった。五里霧中、おどろおどろしい中央魔海だが、出現するMOBはどこか間が抜けたアクションと行動パターンで憎めない。ずっと亡魔領で潜っていたから、このフィールドは新鮮だ。


 しばらく歩いていると、彼の【知覚】ステータスが、霧の中から近寄ってくるキャラクターの存在を捉えた。砂を踏みしめる足音だけが響いてくる。サハギンかと思ったが、そうではない。彼らの足音エフェクトは、もっとこう、ぺったりしているのだ。

 プレイヤーか?

 わざわざこんなところに?

 キリヒトは警戒から背中の愛剣XANザンの柄に手をかけた。


「どうも、キング」


 足音の主が霧の中から姿を見せる。記憶の片隅にはあるような男だった。昨日、ダンジョンの最下層に来ていた双頭の白蛇デュアル・サーペントの一人である。得物であるボウガンは携えていない。


「そんなに警戒しないでください。害意があるなら、ハイドコートの能力を使って、足音も消して近づきます。そうでしょう」


 小人族の斥候スカウトは、もっともなことを言う。

 確かに、隠密行動に長けた斥候スカウトが近寄ってくるには、気配遮断が杜撰すぎる。だが、この男がわざわざここまで来て、自分に会いに来る理由が、キリヒトには思い浮かばない。


「何しに来たのさ」


 ゆえに、当然の疑問をぶつけるより他はなかった。


「本日行われた会議の結果を、お教えしようと思いまして」

「ああ、その話」


 キリヒトは興味なさそうに言って背中を向ける。


「別に良いよ。ボスを倒すのはちょっと面白そうだなーって思ったけど、オレ、あんた達みたくがっつきたくないしさ」

「それでは困ります」

「なんでさ」


 不可解に皺を寄せるキリヒト。小人族の斥候スカウトは、あくまで事務的な態度を崩さないまま、インベントリからひとつのアイテムをオブジェクト化した。

 巻貝のように見えるそれは、シェルフォン。遠く離れた場所にいる相手とも、直接通話によるチャットが行えるレアアイテムだ。会話の内容は秘匿され、周囲に音が漏れないという利点もある。男は何も言わずにシェルフォンをキリヒトに手渡し、彼は怪訝そうな顔でそれを受け取った。


 話をしろ、ってことなのかな。


 キリヒトは、シェルフォンを耳に当てる。


「オレだけど」

『やぁ、キング』


 巻貝の向こうから、やけにねっとりと絡みつくヘビのような声が聞こえた。やはり、この男か。


「マツナガさん、何の用?」

『いや、あんたが連れないからさ。グランドクエスト攻略は明日決行になったんだ。それだけ教えておこうと思ってね。滞りなく状況が進行すれば、昼過ぎくらいにはメインストリートにボスモンスターが出現する』

「でもそれ、オレが倒すんじゃないんだろ」


 キリヒトも、今日ログインする前に少しだけマツナガのブログを確認した。デルヴェ亡魔領におけるグランドクエスト攻略会議。列席者の中に赤き斜陽の騎士団レッドサンセット・ナイツの名前があった。過去、グランドボスを3回も討伐しているプレイヤー集団だ。今回も彼らがやるのだろう、というのは、想像がつく。

 キリヒトだって、6回行われたグランドクエストの内、2回は単身でグランドボスを討伐している。ただそれは、強さを求めてダンジョンに潜っていた結果、倒してしまっただけのことであって、別に最初からどうしても倒したかったわけではない。


 赤き斜陽の騎士団がやりたいなら、やらせればいいんじゃない。

 そう考えるキリヒトであったが、次のマツナガの台詞は予想もつかないものであった。


『いいや、あんただよ。キングキリヒト』

「え?」

『グランドボスを倒し、一周年記念のクエストをソロでクリアした英雄として、歴史に名を刻むのはあんただよ。あんたでなくっちゃいけない。神話を作るんだよ。最強のソロプレイヤー、だろう?』


 この男は何を言っているのだろう。

 いや、理解はできる。できなくはない。だが、さすがに納得は心が拒む。


「マツナガさん、あんたがオレに何を求めているか、知ったこっちゃないけどさ」


 ひとまず、言えることだけは言うようにしよう。シェルフォンの向こう側、無言で続きを促すマツナガに、キリヒトは続けた。


「オレは別にあんたの為に最強やってるんじゃないんだよ。オレの為だ。オレの戦いはオレが決める。あんたじゃない」


 くっくっ、と、マツナガのくぐもった笑いが耳に届く。


『まぁ、そうだろうなって思ったよ。キング、でも気が向いたら来てくれよ。どうせストロガノフ達じゃあ、ボスには勝てないしさ』

「さすがにそれはないんじゃないの」

『俺だって根回しとかさ、頑張ったんだよ。これでも舞台を整えるのは大変だったんだ』

「わかったよ。なんかあんたの言ってること気持ち悪いけどさ、気が向いたら行くよ。でもオレは舞台役者じゃない」

『ああ、構わないよ。あんたの神話はあんたが作ればいいさ。じゃあまた、キング。明日を楽しみにしているよ』


 それだけ言って、マツナガからの通話は切れてしまった。キリヒトはため息をついて、シェルフォンを斥候の男に返却する。

 明日、グランドクエスト攻略。地上戦。そこに来いとマツナガは言っている。別に行く必要なんて微塵も無い。マツナガの言葉だってどこまでが本気か怪しいものだ。ストロガノフ達だってトッププレイヤーだし、彼らの連携には一目を置いている。如何に強力なグランドボスと言えど、そうそう倒せないとは思えないのだが。


「あのさぁ、ひとつ聞いていい?」


 どっと出てきた疲れを押し流す意味でも、疑問を素直に口にした。


「なんでしょうか」

「なんであんた達そんな悪役っぽいの」

「そういうギルド方針ですので」






 イチローがデルヴェ亡魔領の小さな村に戻ると、そこには黒山の人だかりが出来ていた。すごいな、これがマツナガの宣伝効果か。最初はそう思った彼であるが、どうにも違うらしい。プレイヤー達の間には殺気だった雰囲気があり、たった一人の男に詰め寄っている。男の顔には見覚えがあった。マッチョなウサ耳男。ラズベリーだ。

 如何に腹立たしい外見をしているとは言え、ラズベリーはゲームマスター。運営側の人間である。それを多数のプレイヤーで囲むなどというのはただ事ではない。しかもプレイヤーは一様に、怒りと不満を表情に浮かべているのだ。


 取り囲むプレイヤー達の外壁に知り合いの姿を探し、イチローはひとまずキリヒト(リーダー)を見つけた。近くにあめしょーもいる。


「やぁ、キリヒト、それにあめしょーも」

「あ、ツワブキさん」

「おいすー、ツワブキぃー」


 この二人はそこまで冷静さを欠いているようには見えない。事情を理解するためにもとりあえず聞いた。


「これ、何?」

「課金アイテムに関してはみんな動く」

「抗議デモだよ」

「それはなにやら他人事じゃないなぁ」


 二人の話では、今朝、課金サービス欄に並んだアイテムのことが大手掲示板で物議をかもし、様々なコミュニティ・サービスを通じて伝播して、いま、このような形でゲームマスターに詰め寄る自体が発生しているらしい。元々『運営は守銭奴』などと揶揄されてきたナローファンタジー・オンラインである。プレイヤーの不満をここまで爆発させる課金アイテムとは、一体なんなのか。


「バリアフェザーっていって、ダメージ無効化アイテムだよ」

「なるほど……。さっきガチャを回すときに見慣れない課金アイテムがあるなーって思ったけど、……これだね」


 キリヒト(リーダー)は重々しい口調で続けた。


「課金アイテムはさ、それ自体はアリだと思うんだよ。やっぱり社会人とかが手っ取り早く強くなるにも必要だしさ。でもこれはバランスブレイカーすぎる。使い捨てとはいっても、お金をかけた分だけダメージを無効化できるなんてさ。ちょっと運営の良識を疑っちゃうだろ?」

「そうだね。とりあえずこれだけ買っておこうかな」

「あんた今なにやった!?」


 コンフィグから課金画面を開き、個数選択まで済ませていたイチローである。キリヒト(リーダー)は勢いよく詰め寄ってきたが、すでに購入は成立してしまった。目にこそ見えないが、イチローのアイテムインベントリにチート級のアイテムがずらっと並ぶ。

 あめしょーはケラケラ笑っていた。


「すっごぉい、ツワブキ、お金持ちだぁ。ぼくにも一枚ちょうだい」

「いいよ」

「ツワブキさん、俺の話聞いてたのかよ! だいたいこんなアイテム、何枚も持ってたらゲームが面白いわけないだろ! でも一枚なら良いよね! 俺にもちょうだい!」

「6枚余分にあげるからザ・キリヒツのみんなに配ってあげなよ」


 イチローがインベントリからバリアフェザーをオブジェクト化し、配るまでの間に、抗議デモ隊の視線がラズベリーに向いていたのは僥倖であった。あめしょーは全身で喜びを表現し、キリヒト(リーダー)もまんざらではない顔をしている。強アイテムなんていうのはそんなものだ。

 僥倖といえばもうひとつ起きる。抗議デモ隊に押し込められていたラズベリーが、とうとう白旗をあげたのだ。


「わかりました! わかりましたみなさん! 運営とも連絡を取って、たった今、バリアフェザーの課金サービスを終了させていただきました! 大変ご迷惑をおかけしましたっ!」


 抗議デモ隊の間に勝利の歓声が響き渡る。


「こういうのもタッチの差っていうのかにゃー」

「もうちょっと多めに買っておいても良かったね」

「これで俺たちも安心して一回死ねる」


 思い思いの言葉を口にしていると、抗議デモとはまた違う方向から、アイリスがひょっこり顔を出した。


「あ、御曹司。戻ってたんだ」

「やぁ、アイリス。勝手にグラスゴバラまで行っていて悪かったね。君には3枚渡しておこう」

「あんた、勝手に行動したことを謝罪する機能とか備わってたんだ……。ありがとう」


 特に防御力の低いアイリスである。これから発生するグランドクエスト攻略において、バリアフェザーが役立つことには間違いない。

 あめしょーがアイリスの服に津々の興味を示しているが、アイリスは一枚のバリアフェザーをもてあそびながら、残念そうにこんな報告をした。


「まだユーリ達と会えないのよね。巡り会わせが悪いのかなぁ」


 アイリスが亡魔領にやってきた本来の理由である。

 巡り合わせも何も、彼女達はフレンド同士であるのだから、メッセージで直接やり取りすれば落ち合うことも簡単であろうが、何故かアイリスはそれを頑ななに拒んだ。再会をサプライズにしたいのか、それとも単に照れくさいだけなのか、本人はわざわざメッセージを送るほどのことでもない、と言っているのだが、それにしては落胆の度合いが大きいように見える。


「ああ、アイリス。そのことなんだけど」

「あ、ううん。良いの。ごめん御曹司。あたしのわがままでここまで連れてきてもらっちゃったけど、色々新しい出会いとかもあったし、会えないなりに楽しんでるわよ」

「そう、良いの?」

「うん、良いの」

「じゃあ良いや」


 そのしばらく後にキルシュヴァッサーも合流し、丸一日ぶりくらいにアイリスブランドが雁首をそろえる。一日の割りに随分会ってなかった気がするわねー、というアイリスに対して、キルシュヴァッサーはそうですなー、と頷く。どこに行っていたのかと思えば、デルヴェ亡魔領のフィールドで、茶葉となる植物アイテムを採集していたらしい。一人で亡魔領のフィールドを闊歩できるようになったのだから、一日の割りにまぁ大したレベルアップである。


 攻略作戦の決行は明日である。

 ひとまず、イチロー達はザ・キリヒツとあめしょーを交え、退屈な午後をお茶を飲んで過ごすことにした。

8/4

 表記ミスを修正

×6枚あげるから

○6枚余分にあげるから


8/15

 誤字を訂正

×俺の武器に

○俺の武器で


10/13

 誤字を修正

× 最下層に着ていた

○ 最下層に来ていた

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