第十三話 御曹司、ギルドを作る(2)
電車で30分、バスで20分、自転車で10分。合計1時間。あいりの学校から自宅までの移動にかかる時間だ。普段なら、学校が終わったあと友人たちと軽い談笑をし、帰宅するのが夕方の6時。両親が仕事でいない家に入り、さらっとシャワーを浴び、軽い夕食をこしらえてからログインすると、だいたい7時くらいになる。夏場はじっとりと汗をかくのでシャワーの時間も長くなりがちだが、今日に限ってはカラスもびっくりの行水時間だった。
夕食も帰宅途中に買ってきたファーストフードで済ませてしまう。まだ6時半。いつもより時間としてはだいぶ早いのだが、あいりは使い慣れたミライヴギア・Xをかぶり、ベッドの上に横になった。意識の中に表示されるポニー社のタイトルロゴが鬱陶しい。早く、早くあの世界に連れて行って!
ナローファンタジー・オンラインを起動し、杜若あいりは
目を覚ますと、いつものこじんまりとした工房。勇んで外に出れば、昨日と同じように、あのドラゴネットの青年がずうずうしい笑顔で立っているのかと思ったが、さすがに今日はそんなこともなかった。ちょっとだけがっかりする。
深呼吸して気持ちを落ち着けることにしよう。この世界において、深呼吸が身体に及ぼすリラックス効果(詳しい原理はあいりも知らない)がメカニズム的に発生しないことはわかっている。が、数回息を吸い込み、吐き出すだけで、アイリスの心はだいぶ落ち着きを取り戻した。
売り子アバターに設定している複数の質疑応答パターンがあるから、アイリスが毎日夜7時にログインするのは御曹司も知っているはずだ。その時間までには彼も来るだろう。フレンドリストからツワブキ・イチローの名前を探し出し、露店の前で待っている旨のメッセージを送る。
あと30分、何をしていよう。
いつものようにポーションを作ることも考えたが、それ以上に優先するべきことがあるのを思い出す。そうだ、《防具作成》のスキルレベルを上げなくちゃ。
アイリスは知識として知っているだけだが、防具を作るには
アイリスは、ステータス画面の
あと30分で、どれだけ熟練度を溜められるのかはわからない。が、スキルレベルは1でも上げておかなければ。アイリスはアイテムインベントリから魔法陣を起動し、買ってきた中古のチェインメイルと、フィールドゴーンの角、バルチャーの羽根を中に置く。
複数のパーツから合成後のデザインを決定できるようだが、時間も惜しいのでデフォルトを選択した。目を閉じ、意識を集中する。魔法系のアーツを使用する場合、特殊な装備やアクションはあまり必要ではない。大事なのは強いイメージだ。
工房がうっすらと暗くなり、魔法陣から光の粒子が立ち上るエフェクト。陣の上に、光による紋章が形成され、ひときわ強い光を放つ。確かな手ごたえ。心の中で小さくガッツポーズを決めた。
ぽん。
でーでででーでー。
安っぽいBGMが鳴り響いて表示されたのは、非情にも『作成に失敗しました』のメッセージウィンドウ。魔法陣の上には、なんだかよくわからなくなったゴミが散乱していた。手にとってみると、今度は『残骸をアイテム化しますか?』というメッセージがポップアップする。『いいえ』を押してゴミ箱にぶち込んだ。
「う、上手くいかないわね……」
でも、めげるものか。どうせ失敗したって良いのだ。成功のほうが熟練度も溜まるのは確かだが、時間をかけて成功しやすい組み合わせを模索するよりは、ただひたすら失敗を繰り返すほうが今は良い。アイリスは、再び魔法陣の上にアイテムと防具を置き、イメージを膨らませる。
ぽん。でーでででーでー。
ぽん。でーでででーでー。
ぽん。でーでででーでー。
ぽん。ちゃらららっちゃらー。
ぽん。でーでででーでー。
結局、何十回とわたる試行錯誤の末、成功したのはたったひとつだけだった。残った残骸は全てゴミ箱に叩き込み、完成した防具を見る。偶然、特殊な組み合わせによる合成が成功したようで、合成前のレザーアーマーとは異なる専用グラフィックができていた。
はっぱアーマー。防御修正+2。スキルスロット+1。耐久値5/5。
お話にもならない! そもそもこれのどこがアーマーだというのか。アイリスには、たった一枚の葉っぱにしか見えないのだが! これを自らの装備フィギュアに着せる勇気は、いかなファッションモンスターとしてありはしまい。
アイリスは知らなかったことだが、はっぱアーマーは成功による熟練度の上昇値が高く、防具作成者の入門課題とも言える防具である。一発で成功したのはまったくの僥倖であったが、おかげさまで《防具作成》のスキルレベルが2ほど上昇した。
結局失敗ばかりだったが、なかなか楽しい作業だった。衣装のデザインを考案するのとはまた別の、〝生み〟の楽しみがある。それはシステムの構築したレールに乗っかって、正解を探すだけの作業ではあるが、難しい問題を試行錯誤して解く快感に似ている。このゲームにおける生産職の、本来の楽しみ方なのだろう。
だが、そればかりに乗っかっていてもいけない。御曹司は自分にしかないアイテムの作り方を求めてきたのだ。それを見失ってはいけない。
そんな折、ぽーんという軽い電子音が鳴って、メッセージの新着を示すウィンドウが開いた。
差出人は、ツワブキ・イチロー。御曹司だ! メッセージを開梱するのももどかしく、彼女は工房を飛び出す。夜7時ちょうど。そこには昨日と変わらず涼しげに笑うドラゴネットが立っていた。
「やぁ、どうも」
「よく来たわね。えーっと、隣のは
御曹司の隣には、重厚なフルプレートアーマーに身をつつんだ、壮年の騎士が立っていた。顔に刻まれた皺は歴戦の年輪だろうか。オールバックの銀髪に、精悍な容貌をたたえる。ま、歴戦と言っても、この世界では丸一年にも満たないわけなのだけれど。
「お初にお目にかかります。私はキルシュヴァッサー。
「あー、卿。そういうロールプレイは今はいい。ナンセンスだ」
恭しく礼をする
「そうですか。一応、現実世界でもツワブキには世話になっている身です。主人がギルドを作るというので、ま、頭数合わせにですな」
そういえば、昨日、料理を作っているのは使用人と言っていたか? まさかとは思うが、御曹司は本当に
「そういえば、メッセージも送ったけど、君のデザイン画は見たよ。一晩でよくあれだけのものができたね」
「ふっふーん」
御曹司がその話題に触れると、アイリスも得意げに鼻を鳴らした。『君に頼んで良かった』とまで言われたのだ。ここは胸を張って良い場面だろう。
「自分で言うのもあれだけど、なかなかでしょ」
「うん、なかなかだ。ダンヒルとかアルマーニとかプラダとかの影響が見られるけど、君みたいな子が一晩で作ったにしてはなかなかだと思う」
威勢が硬直し自信にヒビが入る音がした。加えて次のひとことだ。
「客観的な話をすれば、僕のほうが良いデザインを作れたかもね」
御曹司の横で、キルシュヴァッサーが頭を抱えていた。
さすがにアイリスも、顔を真っ赤にして怒る。ミライヴギアの脳波スキャナーが、杜若あいりの感情パターンをトレースし、漫画のようなオーバーアクションで、錬金術師アイリスに反映した。持ち上げるだけ持ち上げておいて、この男は!
羞恥のあまり、目の前のドラゴネットを八つ裂きにしてやりたくなる。
「じゃっ、じゃああんたがデザインすれば良かったじゃない!」
「ナンセンス。僕は客観的に評価される〝いいもの〟に興味はないよ。僕にとってのいいものは僕が決める」
しかし、男は飄々と言ってのけたものだ。
「君が一晩かけて僕のためにオリジナルのデザインを組んだ。その事情が重要なんだ。例え世間がどんな評価を下そうと、僕にとってそれは〝いいもの〟だよ。君に頼んで良かった。それは嘘じゃない。デザイン自体も僕は好きだよ。僕はね」
どうして彼はこう、素直にこちらを喜ばせるような褒め方ができないのか。キルシュヴァッサーの顔にも呆れが浮かんでいる。前半のくだりと後半のくだりがまったく必要ないと言いたいのだ。まったくである。
アイリスはぷるぷると震えながら言った。
「次は、あんたじゃなくて世間をアッと言わせるようなデザインにしてやるわ……」
「うん、そうしてくれると僕も助かるな」
その言葉は御曹司らしからぬと妙な違和感を感じたが、あんまり深くは追求せずに置く。
ともあれ、よくわからない言い合いをしてすっかり疲弊してしまった。言い合いと認識しているのも疲弊しているのもアイリスだけだが。御曹司は顔色ひとつ変えていない。イビルトードのツラに《アシッドレイ》である。
「で、どうすんのよ。ギルド作るの?」
「ああ、作りに行こう。グラスゴバラにも冒険者協会の支部があったからね」
「と言っても、三人揃って受付のNPCに話しかけるだけなんですがなぁ」
ドラゴネットの
グラスゴバラの冒険者協会は、メインストリートに出てまっすぐ行った突き当たりだ。アキハバラ鍛造組のUDX工房を、左手に拝む形になる。宿屋を除けば、メインストリートでは唯一製鉄の煙が立ち上っていない場所でもある。
「そういえば、ギルドリーダーは御曹司?」
「ん、まぁそうだね。どうしてもやりたいって言うなら、譲っても良いけど」
「いや、別に良いわ」
受付に到着し、NPCと話をつけがてら、そういう話題になる。
「ギルド名はどういたしますかな」
「別に適当でいいんじゃない。すぐ解散するんでしょ?」
「いや、実はもうギルド名は決めてあるんだ」
ツワブキ・イチローは、彼にしては珍しくなにやら含みのある口調でそう言った。初期メンバーとギルド種別の決定が完了すると、NPCがギルド結成処理を実行し、そのギルド名をどうするかと質問してくる。目の前に出現したタッチ式のウィンドウに、御曹司の指が触れる。
『Iris Brand』
「アイリス・ブランドぉ?」
素っ頓狂な声をあげたのは、勝手にキャラクターネームを使われた当のアイリスである。
しかしというかやはりというか、御曹司は当然意に介した風を見せない。
「そうだよ。僕の防具を作ってくれるんだから、それっぽい名前にしておきたいじゃないか」
「で、本音は?」
「ナンセンス。今は言いたくないな」
「だったらせめて偽る努力をしなさいよ!」
次にNPCは、なんらかの事情で解散した場合ギルドの所有する財産はどうするか、設立に伴う出資金を用意するかどうかと言った質問を繰り出し、御曹司はそれに対してよどみなく答えていく。まるで最初からそうする予定であったかのようである。
『ギルドスキルはどうしますか?』
「どうしようか」
こちらに聞いてきたのはここくらいだ。
生産系ギルドであれば当然《製鉄所》なり《研究施設》なりを取得して、アイテム生産の効率を少しでも上げるべきであるが、アイリスが防具を完成させるまでの短い間、これらの恩恵を受けるのはそのアイリスただ一人しかいない。
防具の作成にあたり、素材を集める必要もあるのだし、ドロップの発生判定を1度だけやりなおす《手探り》や、出現頻度の低いMOBと遭遇しやすくなる《未知との接近》なんていう選択肢もある。ギルドスキルは、ギルド評価を上げることで取得可能数が増えるが、その辺はあまり期待しても仕方が無いだろう。
結局、二つ取得できるギルドスキルは《製鉄所》と《手探り》に決まった。あとはギルドハウスの決定だ。これは必ずしも必要というわけではないし、どうしてもと言うなら裏路地のアイリスの部屋を設定しておけば、
『メインストリートにハウスを作成する場合、100万ガルト必要になります』
「じゃあそれで」
「なんでよ!」
ちゃりーん、という気前の良い音とともに、御曹司の所持金が一気に100万減った。
「あたしに支払う分残ってるんでしょうね! 同じギルドっつっても、防具を作るのはビジネスなのよ!」
「あと900万くらいは残ってるけど、足りないかい」
「ぜんっぜん足りないわよ! お釣りが!」
結局これである。アイリスが一方的に突っかかり、イチローが余裕を見せ、結果的にアイリスが一人でルームランナーの上を走っているだけだったという、哀れな結末に至る。こんなこともうゴメンだわ、と、思う一方で、今後もこのパターンを何度も繰り返しそうな予感がしているアイリスである。
ギルドの作成が完了し、ギルドハウスの建造に伴ってグラスゴバラの地図が一部書き換わる。地図を眺めながら、キルシュヴァッサーがぽつり。
「これ、グラスゴバラUDX工房の真向かいですなぁ……」
漏らしたひとことが、なにやら怪しい雲行きを示唆しているようでならなかった。
7/18
違和感のある部分を修正
×あいりの自宅から学校
○あいりの学校から自宅
×仕事で両親のいない家
○両親が仕事でいない家