これも啓蒙だ!と思い、きわどい動画を貼ってみる。
迷惑かけたらすいません。でも無粋なことするなよ・・・。


知り合いの超音楽通が「1973年9月1日に『あなたに夢中』リリース!」と(頼まれてもいないのに)書き込んでいたので、なるほど僕の生まれる丸一年前にレコードデビューだったのか、と改めてキャンディーズを調べ直す。

僕はスーちゃんの葬儀に参列している。
そこで出棺の際にこの曲を聴いた。泣いた。
その姿がバッチリTVに映ってたらしく、「行きました?」とスタッフに訊かれた。


キャンディーズ。
何度研究したか解らないくらい、ありとあらゆる情報を仕入れた。
『WUG』の頃ではなく『かんなぎ』の頃から調べ始めたから、相当な年季だ。

アイドルの起源は諸説あるところなのだが、現代のグループアイドルの基盤を作ったのは、間違いなくキャンディーズだ。
そして「アイドルは物語」という確固たるテーゼを築いたのも、また彼女達だ。

僕は今でも、史上最高のアイドルユニットはキャンディーズだと断言する。

南沙織や天地真理、麻丘めぐみなどによって切り拓かれた「アイドル」という新ジャンルだったが、グループユニットはまだ受け入れ難かったようで、「烏合の衆」というイメージが付きまとったと推測する。
デビュー曲の『あなたに夢中』も、磐石の体制で制作されたが、オリコン36位と散々なもので、しばらくはブレイクに程遠い存在だった。

そこからキャンディーズの捨て身の努力が始まる。
ドリフの『全員集合』のマスコットガール的な仕事を確保して、体当たりのコントを繰り広げる。
かなりきわどい、エロいコントも懸命にこなした。

やがてようやく売れ始めたと思ったら、今度は最大のライバル、ピンク・レディーの登場だ。
天才・阿久悠の全面支援を得たピンク・レディーの快進撃の前に、キャンディーズは絶えず劣勢を強いられる。

しかしキャンディーズは鍛え上げられた歌唱力となんでもこなすド根性で、客層を広げていく。
こうして何とかピンク・レディーの尻尾に食らいついていたのだが、とうとう我慢の限界が来たのか、77年7月17日のライブ中、突然「普通の女の子に戻りたい!」と絶叫し、解散宣言をする。

これには事務所も慌てふためき、三人を説得し解散日時を78年4月4日にまで延長する。

ここから、後世まで語り継がれる、キャンディーズの「物語」が始まる。
ファンがキャンディーズを全面支持して、解散までの全力での盛り上げを誓い合う。
そこからのキャスト・事務所とクリエイター・ファンの三位一体となった、奇跡的な「物語」が、その後のグループアイドルの絶対的な見本となった。

そしてラストシングル「微笑みがえし」が、最後にして唯一のオリコン1位を獲得して、後楽園球場を満席にして、キャンディーズは伝説的な解散を果たす。
後にも先にも、これだけドラマティックな終結を迎えたアイドルユニットはないだろう。

すべて、プロデューサーやマネージャー、作詞・作曲家が一丸となってのチームプレイの賜物だろう。
皆がキャンディーズという「物語」を紡ぎ出そうと、全身全霊、死力を尽くしたのだ。

キャンディーズは傍で支えたスタッフも凄い。プロデューサーの大里洋吉や松崎澄夫は後にアミューズを創立し、今もPerfumeやBABYMETALを育て上げている。

一方でピンク・レディーは無配慮なマネジメントが響き、無謀なアメリカ進出の失敗の後敗走を重ね、中途半端な解散を余儀なくされた。
マネジメント会社は不審な経営の末破産している。


こう思い出すまま書き出してみただけでも、キャンディーズが絶対無二のアイドルユニットであることが明らかだろう。
僕も懸命にこれを参考にしようと勉強した。

結果、全然ダメだった。

僕のプロデュース能力が至らない部分もあるのだろう。
何より「アイドルは物語」だと、あれ程口酸っぱく言ったのにもかかわらず、マネジメント方面にまったく届かなかったのが残念だ。

これだけ知っているのに今指くわえて、誰も得しない無様な解散を見過ごすのは、やはりアイドルを愛する者として非常に不本意だ。
何とかしたい。何とかしなければ。