さくらももこさんの死去を受けて作品の注文が殺到し、集英社が漫画『ちびまる子ちゃん』やエッセー集『もものかんづめ』など、85万部を増刷すると報じられました。
さくらさんの死後もなお、多くの人に愛され続ける国民的漫画『ちびまる子ちゃん』ですが、単行本未収録の「封印回」があることをご存知でしょうか。
それが、「りぼん」1995年2月号に掲載された第98話「まる子 夢について考える」の巻です。
この号の表紙は『ママレード・ボーイ』(吉住渉)。ほかにも『ご近所物語』(矢沢あい)や『こどものおもちゃ』(小花美穂)など、りぼん黄金時代を象徴するような豪華連載陣の作品が載っています。
アニメの第2期がスタートする目前ということもあり、『ちびまる子ちゃん』はセンターカラーの扱い。扉絵には「国民的人気!! 少女まんが史上に残るフツーの人まんが」の言葉が躍ります。
フツーじゃない物語
ところが、ストーリーの方はまったく「フツー」ではありません。
物語は、仮面をかぶった邪教徒たちが洞窟のなかで火を囲み、歌い踊る描写から始まります。邪教徒に見つかり、逃げ惑うまる子を救い出したのは、王子様のような金髪のイケメンでした。
仮面を外した邪教徒の正体は、同級生の藤木と永沢君。かたわらには小杉の死体が転がり、ハエがたかっています。
「小杉はなんで死んだの?」と問うまる子に、イケメンは「食べ過ぎだ…それよりまる子 結婚しようぜ」と意に介することなくプロポーズします。
すると今度は、十二単をまとい「平安時代のお姫様」の姿をした野口さんが登場。時空を超えてニューヨークのブロードウェイへといざないます。
観劇に行くと、舞台の裏で座り込み、すすり泣く少女が。よく見ると、まる子のおかあさんの子どものころの顔でした。
気がつくとおばあちゃんの家におり、急激な眠気に襲われるまる子。少女時代のおかあさんが、山田君と一緒に「起きなさいっ ぶつよっ」と責め立てます。
こっちの「夢」だった
この間、わずか3ページ半。まさに怒涛の展開です。
読み進めていくと、実は上記のお話は全部まる子の見た夢で、学校の休み時間に親友のたまちゃんと夢の内容についておしゃべりしていたのだということがわかります。
「まる子 夢について考える」というタイトルの「夢」は、将来の夢ではなく、眠った時に見る夢のことだったのです。
夢のなかのイケメンに恋焦がれ、再会を願うまる子は、たまちゃんとともに妄想にふけり始めます。
まる子の前世は美しい村娘。イケメン王子との結婚を反対されて駆け落ちする。大冒険の果てに3人の子どもをもうけ、最後は結婚を許されて国王と王妃におさまる――という、なんとも都合のいい空想です。
暴走するまる子
「あーあ いい人生だった わたしゃこの休み時間の10分間で一生を体験したよ」と満足げなまる子ですが、次第に夢と現実の境界線を見失っていきます。
「あんた毎日食べ過ぎだね 顔に死相が出てるよ」と小杉を真顔で説教したかと思えば、お面をかぶった藤木を邪教徒扱いし、「でたな悪者めっ」と糾弾します。
授業が始まっても、うつらうつらのまる子は再び夢の世界へと入っていきます。
迫りくるマンモスをかわし、気球で空へ逃れるまる子。そこには、あの王子がいました。いい雰囲気になりそうだと思った矢先、「おい さくら ちょっとォ」と小杉の横槍が入ります。
「小杉は食べ過ぎで死んでりゃいいのっ わたしゃ前世でこの人とねェ」
大声をあげて我に返ると、そこは教室。静まり返ったクラスメートと先生の冷たい視線が刺さるのでした。
奇妙なシュールさ、他作品に通じる
最後に「今 まる子にとって大切なのは前世(ぜんせい)より反省(はんせい)であった」というナレーションが入り、結末を迎えます。
…と思いきや、直後のコマで、突然まる子の祖父・友蔵が節分の豆を盗み食いする描写へと切り替わります。
うまい、うまいと豆を頬張る友蔵に「いい加減にせい」とト書き。友蔵が「うるせい」と返す、ダジャレの三段オチで締めくくられています。
目まぐるしく突拍子もない展開は、小学3年生のリアルな日常をほのぼのと描く『ちびまる子ちゃん』のなかでも異質です。
毒気をはらんだシュールさは、むしろ『神のちから』や『コジコジ』に近いものを感じさせます。
多忙すぎるスケジュール
ではなぜ「まる子 夢について考える」は封印されてしまったのでしょうか。その答えは、本来この話が収録されるはずだった、単行本の13巻にあります。
さくらさん自身による「第98話についてのこと」という説明文によると、当時のさくらさんは、複数の仕事を抱えて多忙を極めていました。
漫画『コジコジ』の新連載と『永沢君』の最終回、エッセイ『そういうふうにできている』の締め切り、『ちびまる子ちゃん』コミックス12巻向けの描き下ろし作品、再開されるアニメの台本、主題歌の作詞、そしてこの98話を並行して進めなければならないという、常軌を逸したスケジュールです。
加えて、いつも来ているアシスタントの都合がつかず、子育てにも追われ、「何が何だかわからない日々だった」といいます。
《とにかく原稿を描かなければと思いつつ よりによって「夢について」などという表現がものすごく入り組んだ構成のストーリーにとりかかってしまい、「ああ、こりゃむずかしいやと嘆きながらも必死で描いてはみたものの、出き上がって読み返すともう一度じっくり挑戦し直したいと思う作品になっていたのでありました…》
《なので、今回のコミックスに第98話を収録することは悩んだ末に控えさせていただきました。またいつかこのテーマでちゃんと完成したものを発表できる時がきたらいいなあと思っております》
永遠にこない「いつか」
いわゆる「封印作品」には、外部からの抗議や、原作者と漫画家の確執、権利関係のトラブルなど様々なパターンがあります。
「まる子 夢について考える」の場合は、さくらさん本人が作品のクオリティーについて熟慮した末の決断でした。
60本以上の封印作品を紹介している赤田祐一・ばるぼら著『消されたマンガ』(鉄人社)は、次のように分析しています。
《「消されたマンガ」というより「消したマンガ」ではあるものの、「描いたマンガ」というよりは「何が何だかわからないまま描いてしまったマンガ」で、作者の意図しないものが予期せぬ結果を生んだ点では共通している》
これだけの量の仕事を抱えながら作品を描き上げたこと自体が、まず驚嘆に値しますし、通常の『ちびまる子ちゃん』の作風とは異なるものの、漫画としては十分に面白いようにも思えます。
それでも、そのまま単行本に収録することをよしとしなかった判断からは、さくらさんの作品に対する真摯なこだわりと高いプロ意識が伺えます。
「またいつかこのテーマでちゃんと完成したものを発表できる時がきたら」と綴っていた「いつか」が、もう永久にやってくることはないのかと思うと、残念でなりません。