これまでのMMD杯でいつの間にか失われつつあった2つの自由がMMD杯ZEROでは確実に実感ができる。ではその2つとはなにか。
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1つはMMDで表現ができる自由(Freedom of Expression with MikuMikuDance) これはMMDが多くの人々に受け入れられた大きな理由である。 創作者は想像していたものをMMDを通じて創造できる自由を享受し、 視聴者はMMDが創り出す自由に表現される作品に感嘆し堪能する。
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もう1つはMMDで自分の好きなように表現する自由(Liberty of Expression with MikuMikuDance) MMD杯は見直すべきマイリスト投票、時間制限、微妙なテーマを主催者は未だ固持し続けている。そして主催者は不変である。 その事が多くの問題を生み、イベントは衰退への道を辿っていくこととなる。
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その事に危機感を持ったのか業を煮やしたのかはわからないが、鬱積した環境から解放を求めるべくして多くの派生イベントが発生していった。 そのどれもが衰退の要因となる制限は設けていない。一部テーマはあるがこれはカテゴライズであって作品内容に影響するものではない。
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それぞれの派生イベントは順調であり、参加作品数はMMD杯ZEROだけでも第20回MMD杯を大幅に上回っている。 これらは皮肉にも大本のMMD杯が抱えていた問題を改善しなかった事が衰退の要因であることが示している。
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MMD杯はMMDの自由(Freedom)を削いでいった。そしてMMDerは奪われていく自由(Liberty)を求め新天地へと移った。 中止になった第21回MMD杯が再開されるかわからない。 再開してもそこに参加者が集まるかわからない。 視聴者がそれを必要としているかわからない。 いずれにしても主催者次第だろう。
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