ICPC引退を期に競技プログラミングに出会ってからの4年半を振り返る
この記事は、 「競プロ!!」 競技プログラミング Advent Calendar 2017 22日目 の記事です。公開が大幅に遅れてしまい申し訳ありませんでした。
はじめに
本記事は、「ICPCをきっかけに競技プログラミングに出会い、4年半の間ICPCに出場し続けた競技プログラマー」のポエムとなっております。この記事を読んでも、アルゴリズムの理解が深まったりだとか、プログラミングの有益テクニックが得られるということは残念ながらありませんが、読んだ方のモチベーションになれば幸いです。
読者のみなさんは、昨年のアドベントカレンダーで公開された「競技プログラミングを始めての10年間を振り返る( 前編, 後編 )」をご存知でしょうか?僕はこの記事を読み、当時の競技プログラミングを取り巻く環境や、skyさんの当時の気持ちを知ることができ大変興味深いと感じました。僕の実力は彼には遠く及びませんし、競技プログラミングに取り組んでいる時間も短いのですが、「プロじゃなくてもICPC引退を期にポエム書く権利くらいあるやろ」ということで、僕の競技プログラミングに出会ってからの4年半についてお話したいと思います。
書いてると結局ほとんど自分語りみたいになってしまったので、この先は「それでも良いよ」という方だけお読みください。
自己紹介
- 現在修士課程1年生
- 競技プログラミングに出会ってから約4年半が経過
- 先日のICPCアジア地区つくば大会をもってICPCを引退
- 2013年~2017年にかけてICPC国内予選に参加、うち2度アジア地区予選進出*1
- AtCoderレート: 1895(max 1997)
- TopCoderレート: 1515(max 1656)
2013年 ( 高専4年生 )
4月時点でのTopCoderレート: なし
競技プログラミングに出会った年です。ちなみに、高専*2の4年生は大学の学部1年生に相当します。
競技プログラミングとの出会い( ICPC2013国内予選参加 )
今となっては何の自慢にもならない話ですが、僕はいわゆる「クラスの中では比較的プログラミングができる」タイプの学生でした。そんな学生だった僕は、プログラミングの授業を受け持って下さっていた先生の誘いを受け、内容もよく知らないチーム戦コンテストに出場することを決めました。これがICPCと出会うきっかけでした。昨年もICPCに参加したという、プログラミングが得意な先輩2名とチームを組ませて頂き出場しました。
コンテスト開始までの時間は昨年出題されたA問題( ミレニアム | Aizu Online Judge )を解かせてもらっていて、もうすぐコンテストも始まろうかというタイミングでなんとかサンプルが合った*3のをよく覚えています。
コンテストの方はと言うと、先輩方が解法を思いつきA,B問題にそれぞれ取り組んでいたため、C問題( 階層民主主義 | Aizu Online Judge )を担当することになりました。結果から言うとC問題が解けることはありませんでしたが、「再帰的に計算することができる」や「複数ある選挙区のうち勝ちやすいものから貪欲に表を集めれば良い」といった考察を紙の上に並べながら悩む時間は案外楽しいものでした。
ICPC国内予選のメンバー探し&チーム練習
前回のICPCでの屈辱を晴らすべく、1月頃には次回のICPCに参加することを決めていました。去年通りなんの準備もなく挑んでもダメだと考えた僕は、早い段階でチームを組んでチーム練習をしておくことを考えました。
仲の良い友人2名に、「ICPC国内予選に一緒に出場してもらえないか」、「一緒に競技プログラミングを初めてくれないか」ということをお願いしました。彼らは快く受け入れてくれ、過去のICPC国内予選の問題を用いたチーム練習をしたりcodeforcesにそれぞれ出場してみたりといった活動を行いました。僕のワガママに付き合ってくれた友人には今でも心から感謝しています。
RUPC参加
DFSすら書けず「お前は一体何なら書けるんだ」という程度のレベルの僕でしたが、Twitterで見かけたRUPC( 立命館大学競技プログラミング合宿 )に果敢に参加しました。これは僕にとって初めてのオンサイト競技プログラミングイベントでした。日頃から競技プログラミングをしている人と、チームを組んだりお話をすることは非常に楽しかったです。実力問わず楽しめる本当に良い合宿だと思うので、興味のある人は是非物怖じせず参加してみることをオススメします*4。( 参考: 立命館合宿参加録 1日目 - あったこといろいろ, 立命館合宿参加録 2日目 - あったこといろいろ )
2014年 ( 高専5年生 )
4月時点でのTopCoderレート: 811
本格的に競技プログラミングにのめり込み初めた年です。競技プログラミング実質1年目程度にしてCODE FESTIVAL本戦進出などの目に見える成果が得られたのは、今にして思えば非常に幸運なことだったと思います。
AtCoder, codeforces, TopCoder出場
ICPC国内予選までに、AtCoderで50AC*5, codeforcesコンテストに3度参加*6, TopCoderコンテストに12回出場したようです。TopCoderで4月に行われたTCOのRound1を運良く通過できたことがモチベーションに繋がったことをよく覚えています( 今となってはTCOのRound1は0pt以下を除き全員通過しますが、昔はそうでもなかったんですよ! )。
ICPC2014国内予選参加
1月から3度のチーム練習をして国内予選に臨みました。が、僕がA問題で詰まってしまい、その上PCを占領し続けたため0完という結果に終わってしまいました*7。この経験が本当に悔しかったため、結果的に競技プログラミングに次第にのめり込んでいくことになります。( 参考: ぼくの二度目のICPC - あったこといろいろ )
CODE FESTIVAL 2014本戦出場
実力的には間違いなく予選落ちのはずだったのですが、偶然部分点を素早く取っていたため本戦に出場することができました。結果は196位*8だったので本当にギリギリ予選通過したという感じだったのですが、初めて予選を通過してオンサイトに出場できたことが大変うれしく、競技プログラマー人生を変えたイベントの一つだと思っています。ほとんど競技プログラミングを始めたての僕にとっては、iwiwiさんやchokudaiさんに直接会えたことや、トップレベルの人たちを間近で見ることができたのは非常に貴重な経験でした。( 参考: CODE FESTIVAL 参加記 - あったこといろいろ )
2015年 ( 学部3年生 )
4月時点でのTopCoderレート: 1049
高専卒業後はRiPProのある立命館大学へ進学し、本格的に競技プログラミングに取り組み始めました。すぐ近くに競技プログラミングに取り組んでいる人が居る環境は非常に良いものでした。
RiPProでの活動
RiPProは、競技プログラミングを専門としたプログラミングサークルです。数あるコンテストの中でも特にICPCに力を入れており、AOJでの練習を重視している点や、AOJ-ICPCを埋めたいという雰囲気が存在する点が大きな特徴ではないかと勝手に思っています*9。入部後は、AOJ virtual arena を利用した部内コンテストに毎週参加していました。入部前は気が向いた時以外に問題を解いていなかったことを考えると、格段に多くの問題を解くようになりました。また、幸運にも実力の近い人が部内にいたため、相手にAC数を抜かれまいとしてお互いかなりのスピードで問題を解くという良い循環も発生しました。
2016年 ( 学部4年生 )
4月時点でのTopCoderレート: 1229
RiPProに入部して1年間練習を続けたことで少しづつ実力が付いて来ました。ICPCアジア地区大会進出に次ぐ昔からの目標であった青コーダーになり、最もモチベーションが高かった年であったかもしれません。
ICPC2016国内予選参加
頼りになる先輩 tubo28 氏は卒業してしまったため、先輩Aと後輩Aにチームを組んでもらい出場することになりました。「RiPProの活動」の部分で述べた「実力の近い人」( ixmel 氏と T.M. 氏です )は別のチーム( SIMrit )で出場することを決めていたため、もし通過ラインを超える順位を取っても学内予選*12が発生する可能性がありました。お互いのチームメンバーのレーティングや模擬国内予選の結果を見る限り、順当に行けばアジア地区に進出するのはSIMritだろうなと思っていました。
しかし本番ではなんと、SIMritよりペナルティタイムが少なく4完したため、僕達のチームがアジア地区大会に進出できることが決まりました。A~Cまでのペナルティが僕達の方が大きく、4完直後も「この20分の間にSIMritが4問目を通せば逆転される」という状況になり、この時間が非常に長い時間に感じたことをよく覚えています。( 参考: ICPC2016 国内予選 参加記 - あったこといろいろ )
ICPC2016アジア地区つくば大会参加
大会本番では、あこがれのアジア地区大会に出られたことでかなり舞い上がっていました。他のオンサイトとは異なり名札にもチームプレート(?)にも大学名が記載されていたり、順位表にも大学名が大きく掲載されるのを見て、勝手に大学を背負っているような気分になったりしていました。
しかしコンテスト本番では緊張のためかかなり手こずってしまい、3完で下から4位という振るわない順位となりました*13。このとき、アジア地区大会は非常にレベルが高いものであり、2015年以前に偶然アジア地区大会に参加できていたとしても手も足も出なかっただろうなと強く感じました。( 参考: ICPC2016アジア地区つくば大会参加記 - あったこといろいろ )
2017年 ( 修士1年生 )
4月時点でのTopCoderレート: 1630
立命館大学とRiPProを卒業してNAIST*14に入学しました。
メンバー集め
入学を決めた当初はNAISTからICPCに競技プログラマーと一緒に出場することは叶わないだろうと思っており、名前を貸してくれる人を探さなければと思っていました。しかし、幸運にも ゆらふなさん が( ほぼ )同時期に入学したり、入学直後に声をかけた らてあ君 が競技プログラミングに興味を持ってくれたおかげで、なんと競技プログラマーが3人揃ってしまいました。本当に幸運だったと思います。
ICPC2017国内予選参加
A~Cが片付いてD問題に合流した時には ゆらふなさん がすでに解法を思いついていたこともあり、ほとんど何もしていないのにあっさり予選を通過できてしまったという印象があります。ちょうど一年前は予選を通過しただけでも大喜びしていたことを考えると不思議なものです。何はともあれ、国内予選を突破できずにICPC引退ということにはならずに済みひとまずホッとしました。( 参考: ICPC2017 国内予選 参加記 - あったこといろいろ )
ICPC2017アジア地区つくば大会参加
2度目のアジア地区つくば大会であり、昨年ほどの緊張はありませんでした。結果は4完で順位は30位/50位でした。もう少し時間があればもう1問解けそうではあったのですが、もっと上を目指すならばそもそもB,C問題あたりのレベルの問題はサッと解けて当然にしておかなければならなかったのかもしれません。こうしてあっさりと最後のICPCが終わりました。
コンテスト後の懇親会では、同年代の選手やコーチをしている知り合い等、昔からの知り合いとばかり話していました。最近の競技プログラマーの方や、彼らの使う構文にだんだん疎くなってきたことを考えると、そろそろ引退すべき頃合いなのかもしれないと妙に納得したりしていました。
まとめ
僕はICPCアジア地区大会出場を最も大きなモチベーションとして競技プログラミングを続けてきました。僕はアジア地区大会に出場できるようになるまで3年間もかかりましたが、悔しいことは多くても苦しいことはそれほど多くありませんでした。競技プログラミングが役に立つかどうかはよくわかりませんが、一つのことにこれだけ長い期間熱意を持って取り組み続けられたことは自分にとって良い経験になったと思います。これまで競技プログラミングを続けられて本当に良かったです。
「引退です」と何度も言ってはいますが、AtCoderを始めとするオンラインコンテストにはこれからも出場し続けたいと思っているので、これからもよろしくお願いします。
おわりに
こういうのなんか恥ずかしいし需要があるか謎なんですが、skyさんの記事以外にも数年を振り返るタイプの記事があっても面白いかなと思って書いてみました。あとは自己満足です。記事に書いた他にも様々なコンテストやオンサイトに出場し、それぞれで自分の考えに影響を与える事柄や競技プログラマーとの出会いがありました。ここに書いたものはごく一部に過ぎませんので、もしもさらに興味がある方がいれば、直接会ったときなどに気軽に聞いて頂けると喜んでお話します。
最後までお読み頂きありがとうございました。
*1:後述のアジア地区台湾regional除く
*2:高等専門学校。中学卒業後に入学し、基本的には5年間通う。
*3:submitはしていませんがサンプルが親切な問題だったのでおそらくACでした。つまり僕の初ACはこれです
*4:余談ですが、この時同じくB1だった怒髪さんと知り合いました。B1の3月にして「これは蟻本のNimに帰着できるのでは?」と発言する彼の姿が強く印象に残っており、ひっそり尊敬し続けています。
*5:コンテスト出場回数はよくわからず
*6:なぜわざわざこどふぉに出たのかは謎です。ちなみにその後2年半の間こどふぉに出ることは一度もありませんでした。
*8:kenkooooさんと仲良く2完 :)
*9:AtCoderでの練習環境が整った影響で最近のRiPProはそうでもないような気がしますが、実際のところは僕はよく知りません。
*11:交通費や宿泊費などは参加者負担です。幸いサークルへの助成金等を利用することができたので、僕達の場合大きな負担にはなりませんでした。
*12:一応補足しておくと、一つの大学から2チーム出ることは結構難しいので、多くの場合学内1位のチームのみがICPCに進出します( いくつかの強豪大学は例外 )。
*13:「今年は全チームが3完以上でした」というアナウンスを聞き、「もしも3完できていなかったら…」と震えていました