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これが教養だ! 『これは水です』

 書店に行くと「教養」を謳う雑誌や本の多いこと。

 ひと昔前のマジックワード「品格」「大人の~」と一緒やね。本来ソレが足りなかったり欠けていることを指摘して、その雑誌なり本を「買う」ことで補完できるというレトリック。あるいはソレに価値を見いだしている自尊心をくすぐるテクニック。騙されるほうが馬鹿なんだが、わたしもよく騙される(レジまで騙されたら負け)。

 つまり「教養」を人質に、コンプレックスを煽るビジネスなのだ。

エセ教養人の手口

 「ビジネスリーダーに求められる教養」とか「人生を豊かにする教養」という惹句で、人間関係を円滑にしたり信頼関係を築くためのツールとしての「教養」が重要だという。で、よくよく聞いてみると、ただの雑学や豆知識だったりする。要するに、アイスブレイクや知的マウンティングに使える小話のことを、「教養」と呼んでいるにすぎぬ。

 そうやって「教養人」を名乗り、まとめサイトやWikipediaのコピペを刷って小銭を稼ぐ。検索や蔵書から得たネタをカネに変えられるところは評価できるが、「教養」を振りかざす人が、必ずしも教養を身に着けているわけではない。

 だが、「教養」をそうやって使うのはダメだ。なぜなら、教養という言葉が、豆知識や便利ツールという意味になってしまうから。もう手垢まみれで手遅れだよという声もあるが、ここでは、「これが教養だ!」という狼煙をあげたい。

これが教養だ!

 まず言葉をつかまえよう。「教養」を辞書で引いてもふんわりした意味しか引き出せない(だからこそ似非教養人が跋扈できるのだが)。だから、その元となった言葉 ”liberal arts” 「リベラル・アーツ」から考えよう。”culture”語源もあるが、こちらは「文化」という訳語があるので、大学の一般教養の「教養」からつかまえよう。昔なら、哲学・数学・天文学・音楽だし、今ならSTEM(科学、技術、工学、数学)を挙げる人もいる。

 そして、「リベラル・アーツ」とは何かというと、「自由になるための技芸」になる。では、何から自由になるのか? それは、偏見やバイアス、固定観念やドグマである。わたしや自身の、ものの見方や考え方を制限するものから自由になるための技芸、これがリベラル・アーツであり、教養になる。

 わたしは放っておくと、「わたし」の考え方に囚われる。これは、脳のデフォルト設定と言っていい。「わたし」の目に見えるもの、耳に入ってくるもの、感じ取れるものがリアルだと考えてしまう。現実の判断は、「わたし」を中心に行われ、そこから逸脱したものはリアルではないとされる。

 たとえば、そのままの「わたし」だと、太陽や月や夜空の星を見上げると、あたかも自分を中心に回っているように判断してしまう。そして「わたし」の居るこの場所こそが、宇宙の中心であることが「リアル」だと考えてしまう。

 しかし、それは「リアル」ではない。自然科学のおかげで、天が動いているのではなく、地球が自転・公転していることを知っている。銀河系や太陽系における地球の位置や、地球における「わたし」の場所も知っている。このように、ものの見方を教えることで、囚われている観念から自由になれる。

 いま、天文を例にしたが人文だって同じだ。人間の本性を学ぶことによって、「わたし」に囚われているものを見出すことができる。わたしの隣人も、わたしと同様、人生を生き、喜びを見出し、悩み、疲れているかもしれない。今まで考えてすらいなかったことが、実は偏見だったことを知れば、それを「一つの価値観」として相対化することができる。理系とか文系とか煩い人がいるが、リベラル・アーツとしては一緒である。

ものの見方を教える

 「ものの見方を教える」という意味で、理系も文系も関係ない。文系は役に立たないからリベラル・アーツはSTEMだけやればいいという人は、かつて天動説がドグマであった歴史を知らない。いや、天動説と地動説ぐらいは知ってるよ、と反論するかもしれない。その反論が間違っている。天動説が支配していた時代は、それがドグマであるという認識すらなかった。

 別の「ものの見方」が出てきたときに初めて、「〇〇説」という名付けが行われ、「一つの価値観」として相対化され、比較され、実証されたのである。その、別の「ものの見方」を排除する態度は、ものの見方を教えるというリベラル・アーツとは反する。「〇〇だけで教養はOK」という主張は、リベラル・アーツの定義上成り立たない。あらゆる学問がそうであるように、「ものの見方」は常に発見され、更新され、追記される。そして、「ものの見方を教える」分野も、常に移り変わる。

これは水です

 教養についてつらつら書いてきたが、もっと優れたメッセージがある。"This is
Water" である。これは、2008年に急逝したデヴィッド・フォスター・ウォレスがケニオン大学の卒業生に向けたスピーチだ。

スピーチそのものはYoutubeで、英文はケニオン大学のアーカイブ"This is
Water"
、訳文は quipped ブログ「これは水です。」からアクセスできるが、書籍になったのでお薦めしたい。

 これが素晴らしい理由は、リベラル・アーツとは何かだけでなく、虚飾を取り去った、ナマの現実とは何であるかも伝えようとしているところにある。そして、「ものの見方を教える」ことが、最終的には人生のあらゆる局面で陥る視野狭窄から自由になることが分かる。

 スピーチの最後を引用しよう(訳文は書籍『これは水です』から)。

The capital-T Truth is about life before death. It is about making it to thirty, or maybe fifty, without wanting to shoot yourself in the head. It is about simple awareness-awareness of what is so real and essential, so hidden in plain sight all around us, that we have to keep reminding ourselves, over and over: "This is water, this is water."
大文字の「真理」とは 死ぬ以前の この世の生にかかわることです。

三十歳になるまで
いや、たぶん五十歳になるまでには
どうにかそれを身につけて
銃でじぶんの頭を撃ち抜きたいと
思わないようにすることなのです。

これが、ほんとうの教育の
ほんとうの価値というものです。
成績や単位とは無縁な
ごくシンプルな自意識をもって
行うことのすべてなのです―――
それはきわめてリアルで本質的であって
僕たちの身のまわりの
ごくありふれた光景に潜んでいるので
そのたびにじぶんを励まし
意識し続けなければならないと
肝に銘ずることです。

「これは水です」

「これは水です」

大文字の「真理」

 「真理」(大文字のTruthと言っている)は、言葉にするとちっぽけで、「自分の頭で考えること」とか「何かの価値観、信仰、崇拝の対象を相対化すること」なんてまとめてしまえる。だが、伝えたいのは言葉ではない。それは生き方であり、生きることへの実践である。もっと言うならば、生きることでの「選ぶこと」になる。

 同じ星を見ても、銀河系宇宙へ思いを巡らす人もいれば、ギリシャ神話のミルキーウェイを思い出す人もいる。輝きの美しさを讃える人、波長と色の関係を知りたい人もいるだろう。だが、そうした知識を身につけることで、「対象から引き出す価値や可能性を選ぶことができる」ことが理解できるようになる。知識そのものも重要だが、その習得の過程で、「選ぶことができる」ことに気づけるか、ここが極めて重要なのである。

 ややもすると、脳のデフォルトで停止しがちな人生に、そうではなく、「選ぶことができる」ことに気づき、実際に選ぶ。その選択肢なり価値基準が、そこに至るまでに積み上げられてきた「ものの見方」すなわちリベラル・アーツなのである。

おわりに

 実は、エセ教養人が使う「教養」は、中島らもの二番煎じである。エッセイ集『固いおとうふ』にある(”culture”の教養やね)。

    会社が毎日、同じことの繰り返しであるなら、
    自分の時間を楽しむための何かを見つけなくてはいけない。
    自分一人で時間を潰すことができる能力を「教養」と呼ぶのである。

 「人生を豊かにする教養」とか「オトナの教養」などと「教養」振りかざし、自尊心やコンプレックスを煽るビジネス。エセ教養人を観察する分には面白いけれど、「教養」という言葉がどんどん棄損されていくのが残念だ。だから、「教養」が効かなくなる前に書いておく。おまえら、ネコのウンコ踏めってね。

 生きることは選ぶことであり、「選ぶことができる」ことを知ることが、リベラル・アーツの目的であることを忘れるなかれ。そして、リベラル・アーツに完成はなく、常に学び続け、アップデートする必要があることも。それは結果的に、あなたの人生におけるさまざざまな選択を、より「あなた」に近いものにする行為なのだから。

 人生は、選べる。よい選択で、よい人生を。

Thisiswater


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