ズバリ日本地図です。
都道府県の場所と県名、
出来たら、県庁所在地も覚えてしまえば、
中学生になったとき、楽です。
ちなみに
公立の中学校ですが、
都道府県の場所が分かり、
漢字で県名が書ける人は、
クラスに1割も、いません。
小学生の間は、
人生の中でも、記憶が強い時期だと云われ、
理屈なく、情報をインプットすることが出来ます。
1か月も繰り返せば、直ぐに覚えてしまいます。
日本地図を覚えてしまえば、
中学校の地理で、
楽になるのは、当然ですが、
実は、日本史でも、
「日本地図を覚えること」は、活きてきます。
例えば、
平安時代末期(1180年)に
平清盛が一時的に都を移します。
その都を福原京と呼びますが、
地図で確認すると、
そこから、
「神戸は、この頃から、貿易港としての歴史を持つんだな。」とか、
「宋船を神戸まで引き入れたかったんだろうな。」とか、
地理的な解釈も生まれます。
また、
「なぜ、大阪では、ないんだろう?」という疑問が
生まれる人もいるかもしれません。
実は、
大阪は、
「自治都市」のキーワードを持つ、あの「堺」です。
戦国時代、
堺は、日本でもっとも繁栄した商業都市となります。
兵庫湊(大輪田泊)があるにもかかわらず、
堺に新しい貿易港を作ったということは、
何か理由があるはずです。
堺の商人が新興商人だった(!?)のかもしれませんし、
室町時代に入ってから、港が出来たということは、
南北朝が関係している(!?)のかもしれません。
さらに、
「京都に繋げるためには、
兵庫湊(大輪田泊)や堺よりも
淀川の河口域の方が良いのにな。」と
思う人もいるでしょう。
何かないかと地図を捜すと、
大阪湾から淀川を少し登ったところに
大阪城を見つけることができます。
ここは、
戦国時代には、
ここが舞台です。
天下統一を果たした
秀吉がその場所に大阪城を築きました。
このように
日本地図が頭にインプットされていれば、
教科書レベルでは、ありますが、
自分なりの地形的な解釈や新たな疑問が生まれます。
そうならば、
学校で覚える単なる記憶も、深まるはずです。