昨日の9月1日は地域の防災訓練でした。
巨大地震が発生したという想定で、自宅から小学校への避難訓練、小学校ではバケツリレーやAED訓練、応急処置などの防災学習を行いました。
その防災学習の始まりのときに教室で防災ビデオを視聴したのですが、その中で流れたナレーションがずっと心に残っています。
それは「東日本大震災で助かったのは、早く逃げた人です。」という言葉です。
防災意識について
私の住むところは比較的自然災害が少ない地域です。
生まれてから40年あまり暮らしていますが、被災したのは台風のときで20cmほどの床上浸水のみ。それも自宅ではなく、職場が被災したものです。
出勤したときにはすでに水は引いていたので、浸水したところを見たわけではなく、泥だらけになった職場を2日ほどかけて片づけしただけでした。
そのため、防災意識は低いと思います。昨日のような防災訓練や被災のニュースを見たときには意識が高まりますが、普段はほとんど気にしていないに等しい。
でも、今回「早く逃げた人が助かった」という言葉がなぜか胸にズシンと響きました。
地震と津波の被害
南海トラフ大地震が30年以内に起きる確率は70%だそうです。防災ビデオでは、地震の揺れによる被害と津波の被害についての話がありました。
特に津波は1回だけでなく、何度も繰り返し襲ってくるとのこと。そして最初の津波が1番大きいとは限らないそうで、第2波、第3波でもっと大きな波が来る可能性もあるそうです。
東日本大震災では、津波で避難した人が最初の波が治まったあとに自宅に物を取りに帰ったり様子を見に行って、第2波第3波の被害にあったというケースが。
避難したら津波警報注意報が解除されるまで絶対に戻らないでくださいということでした。
早く逃げるためには早く決断すること
この「家に戻る気持ち」はとてもよく分かります。
家に残してある大事なものを思い出したら、私も取りに戻ってしまうなぁと考えたとき、避難するということはすべてを捨てる覚悟が必要なのかもと思いました。
家に執着があると、後ろ髪ひかれる思いは強くなります。
多少の執着はあって当然ですが、身の安全より大切なものなのか、命をかけて取りに戻るほどのものなのか、いま一度考えてみる必要があるように感じました。
そして「助かったのは早く逃げた人」これは早く決断した人だと思います。
7月の西日本豪雨も避難の遅れが被害の拡大につながったというニュースがありました。どの時点で逃げるべきなのか見極めるのは難しいですが、逃げるためには逃げると決断するしかないと思います。
逃げると決めて、その他のことを断つ。
私に他ごとを断つことができるのか、その漠然とした不安が「早く逃げた人が助かった」という言葉にズシンときた理由だと思いました。
私は被災時には家族の安否が確認できたら、家には戻らないと決めました。
避難準備として片づけを
今回の防災訓練で自分の本当に大切なものを再確認することができたように思います。あわせて家の片づけは必要だなと実感しました。
家のことが気にかかるのは、何か大事なものがあるかもしれないと不安になることも一因かなと。家に何があるのかが分かっていれば、それならなくなっても大丈夫と安心して避難できると思います。