オバマ氏とブッシュ氏、故マケイン上院議員を称え ワシントンで葬儀
8月25日に脳腫瘍のため81歳で亡くなったジョン・マケイン米上院議員の告別式が1日、ワシントンの国立大聖堂で行われた。米政界の主だった顔ぶれが集まるなか、バラク・オバマ前大統領とジョージ・W・ブッシュ元大統領が弔辞を読み上げ、マケイン氏の人間性や政治家としての献身を高く称賛した。
告別式には、オバマ、ブッシュ両夫妻のほか、ビル・クリントン元大統領とヒラリー・クリントン元国務長官、アル・ゴア元副大統領、ディック・チェイニー元副大統領、ジョー・バイデン前副大統領など、歴代の政権幹部が参列した。ドナルド・トランプ大統領は欠席したが、長女イバンカ・トランプさんとその夫のジャレッド・クシュナー大統領顧問、ジョン・ケリー大統領首席補佐官、ジョン・ボルトン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)など、現政権の関係者も出席した。
同じ共和党に属しながら、マケイン氏とトランプ氏は繰り返し表立って対立し、互いを批判してきた。マケイン氏の遺族は、トランプ氏に参列を控えるよう伝えていたとされる。
地元アリゾナ州での追悼式を経て、マケイン氏の遺体はワシントンの連邦議会議事堂に安置された後、国立大聖堂での告別式に運ばれた。35年を過ごした議事堂から大聖堂に移動する途中で葬列は、ベトナム戦争従軍兵記念碑に立ち寄り、シンディ夫人が花輪を捧げた。
告別式の最初に家族代表で父親を紹介した娘のメガン・マケインさんは、ベトナム戦争で撃墜され、5年半の捕虜生活を送ったマケイン議員の思い出を、泣きながら激しい口調で語った。
「本物の偉大さ」
メガンさんは参列者を前に、「アメリカの偉大さが過ぎ去ったことを悲しむため、私たちはここに集まりました」と挨拶。「本物の偉大さのことです。父があれほど進んで捧げた犠牲には決して遠く及ばない、安っぽい口先だけの人たちとは違います。そして父が苦しみ、国のために尽くす間、ぬくぬくと恵まれた特権の中で生きた人たちが、機に乗じて都合よく立場を得たのとも違います」と強い口調で述べた。
メガンさんはさらに、時に泣きじゃくりながら、「ジョン・マケインのアメリカは思いやり深く、他人を温かく迎え入れ、勇敢です。能力豊かで自信にあふれ、しっかりしています。責任を果たし、物静かに語ります。なぜなら強いので」と語り、さらに怒りをこめて続けた。
「アメリカは自慢しません。その必要がないので。ジョン・マケインのアメリカは、再び偉大にする必要などありません。なぜならアメリカはいつでも偉大だったので」
メガンさんがこう言うと、参列者の間でしばらく拍手が続いた。
「アメリカはもっとまとも」
2000年大統領選の共和党予備選でマケイン氏に勝ったブッシュ元大統領は、マケイン氏の勇気や誠実さ、名誉を称えた。
「自由の欠落を知る人ならではの情熱で、自由を愛していた」
「ジョンは長い議員生活の中で、自分の国にふさわしくない政策や慣行と何度か対決した。ジョン・マケインはその時々の権力者に面と向かって、『自分たちはもっと、まともなはずだ。アメリカはもっとまともなはずだ』と力説した」
「ジョンは真っ先に、自分は完璧な人間じゃないと認めるはずだ。けれども、人間がこれまで作り上げた中で最も完璧な国の理想のために、人生を捧げてきた」
「そしてジョンは何より、権力の乱用を唾棄(だき)した。偏見と差別にまみれた人間や、えばり散らす暴君は、まったく受け入れなかった」
「同じチーム」
オバマ前大統領は、2008年米大統領選で戦ったマケイン議員を、「戦士、為政者、愛国者」で、アメリカを偉大にしている資質の多くを体現している「傑出した人」と称えた。
弔辞の読み手にオバマ氏とブッシュ氏をマケイン氏が自ら選んだことについて、オバマ氏は自分たちは大統領選で勝ったかもしれないが、最後に笑ったのは、いたずら心あふれるマケイン氏だったのではないかと述べ、「自分へのほめ言葉をジョージと僕に、全国民の前で言わせるなんて。最後に笑うのに、これほどのやり方があるか」と、会場を笑わせた。
その上でオバマ氏は、自分とマケイン氏は生まれ育ちも政治的立場も大きく異なっていたが、「同じチーム所属だというのは、お互い疑っていなかった」と述べ、党派を超えた共通理念で通じ合っていたのだと話した。
「この国の安全や影響力はただ単に軍事力や財力で得るものではないと、相手を意のままにする力で得るものではないと、ジョンは理解していた。そうではなくて、他人を感動させる力、法の支配や人権といった普遍的な価値観を死守する姿勢、そして全ての人間には神から授けられた尊厳があるのだと譲らないこと、そうしたことから、この国の安全や影響力は得られるのだと、ジョンは理解していた」とオバマ氏は述べた。
さらに、「この国の政治や公職や公の議論の大部分が、小さくて意地悪でせせこましいものに思える。大げさな物言いと侮辱と、にせの対立や加工された怒りをやりとりするばかりで。これは、勇敢でタフな振りをしつつも、実は恐怖から生まれる政治だ」と述べ、マケイン議員の党派を超えた信念や献身と対比させた。
式典ではほかに、長年の親友のジョー・リーバーマン元上院議員(元民主党)や、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官も弔辞を読み上げた。
政界の異端児
海軍提督の祖父と父のもとで育ったマケイン氏は、自分自身も海軍将校となりベトナム戦争に従軍。1967年にハノイ上空で撃墜され、5年半の捕虜生活を送った。撃墜時の負傷の手当てが不十分だったのに加え、たびたび拷問を受けたことから、両腕が上まで上がらないなどの後遺症が終生残った。
解放され帰国した後、アリゾナ州から政界入りし、連邦下院と上院で計35年間、議員生活を送った。
基本的には確固たる保守派の政治家だったが、問題解決のためには民主党との協力も辞さず、党の指導部にも率直に意見する大胆さから「異端児」と呼ばれるようになった。
選挙資金規正法の改正成立のため民主党議員と協力し、環境保護の推進を支持。イラク戦争開戦は支持したものの、米政府がテロ容疑などで拘束した相手を「水責め」などの手法で尋問するのは拷問だと呼び、激しく批判した。
葬儀で弔辞を読む人に加え、自分の棺を運ぶ担ぎ手の顔ぶれも、マケイン氏自身が選んだ。その人選は、党派を超えて活動した生涯を反映するもので、ハリウッド俳優でリベラル活動家のウォーレン・ベイティー氏、無所属のマイケル・ブルームバーグ前ニューヨーク市長、選挙資金規正法改正のため一緒に法案を作った民主党のラス・ファインゴールド元上院議員、ロシアの反政府政治家ウラジーミル・カラ・ムルザ氏、親友のバイデン前副大統領(民主党)など14人が交代で、議員の棺を大聖堂まで運んだ。
遺体は2日、メリーランド州の海軍兵学校で埋葬される。
(英語記事 John McCain: Obama and Bush pay tribute at Washington service)