ページの先頭です。本文を読み飛ばして、このサイトのメニューなどを読む
サイト内の現在位置です:
2011年6月のこと、10年あまり勤めた職場を離れた。今後の身の振り方に「アテ」があったわけではない。ただ「同じことを続けていてはダメだ」という直感に、素直に従ってみた。3ヶ月前に起こった震災は、身近に被災者が1人もいない私にさえ、強い影響を与えていた。
それまでの仕事は、テレビ番組を作ること。紀行番組、美術番組、歴史番組…。「人々の暮らしに潤いを与える仕事」と言われたりもするが、正直なところ、人々の役に立っている実感はなかった。単純に、私の実力不足もあっただろう。ならば今からでも、実力を発揮できる仕事を見つける責任がある。自分の人生に対する責任。
まずは自分が最も活きる場所として、学生時代を過ごした京都へ移住。ほどなく、大きなテーマは定まった。「お商売を通じてお金の循環を促し、志を持って働く人たちが報われるようにしたい」。それまでの私は「お金もうけ」に対する偏見があったのだが、「それぞれの人や組織が、得意なことで他者に貢献する。その評価の証(あかし)として、お金をいただく」ということの健全さに、遅まきながら惹かれたのだ。
そんなわけで、これまで縁のなかった経済学や経営学を学ぶことにした。MBA(経営学修士)の人たちが手にするような本を数十冊、自分なりに咀嚼していったのだが…。 どんなに経済や経営の理屈を学んでも、解けない謎が残った。
「『お金』という道具って、いったいどんな性質を持つのだろう?」
経済活動における、評価尺度としてのお金。その存在は(「存在」の定義はさておき)、私たち1人1人の意識や行動にどんな影響をもたらすのか。この部分を理解しないままでは「お金を循環させる」というテーマじたい、人生をかける意義があるのか自信が持てなかった。
そんなとき出会ったのが、この本だ。1999年に放送されたNHKの特集番組を下敷きに、取材班の手で執筆された。本書で提示されている警告、ざっくりいえば「現在の金融システムは、それ自体が過度の膨張志向を持ち、地球環境の持続性に懸念を与えるほどの影響力を持つ」という分析は、私の認識とも一致するものだった。また、こうした懸念をすでにファンタジーの世界に描き出していた童話作家・ミヒャエル=エンデ(1929〜1995)の慧眼にも驚かされた。
そして「人々のあいだに、温かな交流を促すための独自貨幣(コミュニティ通貨)の創造」という挑戦が、過去も現在も多くの有志によって試みられ、それが一定の成果を上げていることは、これから”未来を創造する事業の当事者たらん”とする私に大きな勇気を与えてくれた。
「京都でコミュニティ通貨の創造を!」といった大きなテーマを手がけるのは、現実にはずっと先のことだ。しかし「お商売を通じて、温かな交流の輪を広げる」という、これまでの生き方とは異なる道を行く決心、それを揺るぎないものにしてくれた大切な1冊である。