ひとつは、昔のお殿様です。
そもそも天子様(天皇のこと)は、スダレの向こうにあって顔出しはしませんし、将軍様も直接将軍のお顔を拝せるのは全国の大名と直参旗本だけで、それ以外の人は見ることも、顔を向けることさえもできません。
これは人の上に立つということが、その人の全人格的な人柄の良し悪しの問題ではなく、どこまでもその役割の機能を重んじたことによります。
早い話、将軍はいわば国内最強の権力者です。
しかしそれは将軍となった人が偉いからではなくて、将軍という地位がそうさせているのです。
従って人々は将軍個人に従っているのではなく、将軍という権力に従っているのですから、将軍を人として認識して顔を見る必要はないし、また見てはいけないとされたのです。
もっと昔には、「高貴な者は自分から名さえも名乗らない」というのが日本社会の古くからの伝統でした。
これは、名を名乗った瞬間から、相手に対して責任を負うからです。
権力と責任は常に等しい関係にあるとしてきた日本ならではの考え方です。
もうひとつは、これを商売として考えた時の、お金そのものへの日本人の認識です。
お金のことを、古い日本語で「お足(あし)」と言います。
どうしてお金が「足」なのかというと、お金が天下をめぐることで、人々みんなが潤うからです。
どんなに中央銀行が通貨を発行しようが、どんなに金(Gold)を掘り出そうが、ごく一握りの人がそのお金をストックしてしまったら、天下にお金は回らず、貧富の差ばかりが増していきます。
だからお金に足を生やして天下をめぐらせるのです。
これは上念司さんが著書の
『経済で読み解く 豊臣秀吉』に書いていることですが、だから小判はワラジの形をしています。
みんなが豊かになるようにという配慮からです。
貯め込むなら小判は円形か、長方形にします。
その方が取り扱いが容易だからです。
実際、金貨や金の延べ棒はそのような形をしています。
ですからお金さえも「貯め込む」ものではないのです。
万一の場合の蓄(たくわ)えは必要ですが、それ以上に貯め込んでも、下駄箱に履かない靴が山積みになっているようなもので、それでは天下のお役に立たない。
だからワラジを履かせて旅に出すのです。
それもできるだけみんなのお役に立つようにする。
江戸時代に活躍した人に、永田佐吉(ながたさきち)という人がいます。
赤穂浪士の討ち入りがあった元禄14年(1701)に生まれた人で、岐阜県羽島市の豪商です。
この人はたいへんな人徳者と言われた人なのですが、ものすごく人を大切にし、手広く商いをして儲けた富で道の整備、道標の設置、石橋の設置、神社仏閣への寄進等の社会奉仕を行ないました。
この人が人徳者と言われた理由は、彼が大金持ちであったことでも、社会奉仕活動をしたことでもなく、寄進や寄付、寄贈に際して、いっさい自分の名前で行うのではなく、常にそれらの貢献を、村人たち全員で行ったことにしていたことによります。
みんなのおかげで儲けさせていただいたのです。
だからそのお金は自分のためではなく、みんなのために、みんなの名前で使う。
なかなかできることではありませんが、だから永田佐吉は偉人としていまなお称えられているのです。
その永田佐吉について、昔の終身の教科書では、小学三年生で次の逸話を教えていました。
漢字等を現代語に起き直してご紹介してみます。
*****
尋常小學終身書 巻三
十 恩を忘れるな
永田佐吉は、十一のとき、田舎から出てきて、名古屋のある紙屋に奉公しました。
佐吉は正直者でよく働く上に、ひまがあると手習いをしたり、本を読んだりして楽しんでいましたから、たいそう主人に可愛がられました。
しかし仲間のものどもは、佐吉をねたんで、店から出してしまうように、いくども主人に願い出ました。
主人は仕方なく、佐吉にひまをやりました。
佐吉は家に帰ってから、綿の仲買いなどをして暮らしていましたが、主人を恨むようなことは少しもなく、いつも世話になった恩を忘れませんでした。
そうして買い出しに出た道のついでなどには、きっと紙屋へ行って主人のご機嫌を伺いました。
その後紙屋は、たいそう衰えて、見るのも気の毒なありさまになり、長い間世話になっていた奉公人も、誰一人出入りをしなくなりました。
しかし佐吉だけは、時々見舞いに行き、いろいろの物を贈って主人をなぐさめ、その暮らしをたすけました。
******
いかがでしょうか。
佐吉が寄付寄贈をしたとかそういうことではなく、佐吉ほどの人物でも人から妬まれてイジメられ、それでも決して人を裏切ることなく、主人の恩を忘れず、誠実の限りを尽くした。
そういうことが、佐吉の人望をあげ、商いを成功に導き、さらに村全体の豊かさや安全や安心に貢献するもとになったということを、終身の教科書は書いています。
いまでも特定宗教や会社や団体等で、大儲けをしている人はいます。
けれども、そういう人たちが、ではどれだけ社会貢献活動をしているのか。
そしてそれらの活動を、みんなの名前で行っているのか。
佐吉が現代に生きていたなら、自分の顔写真をデカデカと看板にしたりすることはありますまい。
誰かひとりが大事なのではなく、誰もが神々の子として尊重される。
それが、この世が神々の胎内にあり、人々はその胎児の細胞のひとつひとつなのだとする日本書紀に書かれた日本人の思考です。
だからこそ俺が俺がではなく、誰もがみんなのために自分ができる最善を尽くしていく。
それが日本の姿であり、日本人の持つもっとも大きな力です。
お読みいただき、ありがとうございました。
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