20世紀の新しい建築スタイルを示したモダニズム建築が、各地で取り壊されている。増田友也(1914~81年)が設計した鳴門市役所本庁舎も、建て替え論議の真っただ中にある。この時代の建物を残す意義は何なのか。モダニズム建築の記録・保存を行う国際学術組織DOCOMOMO日本支部(ドコモモ・ジャパン)代表の松隈洋京都工芸繊維大教授(近代建築史)に聞いた。2回に分けて紹介する。
―ドコモモ・ジャパンは日本の評価すべき近代建築を「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」として選定しています。モダニズム建築はとかく、レンガ造りのような旧来の様式建築と比べて「分かりにくい」と言われますが。
フランス人建築家ル・コルビュジエが世界各地に残したモダニズム建築17件が、2016年に世界文化遺産に登録された。このことは、私たちの身近な生活環境をつくってきた住宅や工場など20世紀の建築が、同じ世界遺産のパルテノン神殿やアルハンブラ宮殿、姫路城といった19世紀以前の建築物と同等に、大事だという目が注がれ始めたことを意味している。
巨大な権力や大きなお金が投下されて造られた19世紀以前の建築物と、20世紀の建築とは明らかに違う。特に戦後の建築は全然違っていて、鉄とガラスとコンクリートというどこでも手に入る材料で豪華じゃないものを造っている。それまでの建築の造り方では工業化社会の市民生活をより良いものにできないという考えに基づいており、そこから非常に機能的で合理的な建築<モダニズム建築>が造られ始める。そんな流れがあって、今の私たちの時代につながっている。
―そうした歴史の連続の中でモダニズム建築を捉えよ、と。
例えば、50年前に建てられた建築物の「今」を見ることは、今の建築物の50年後を予測することにもつながる。その建築物の中に、これからの建築をどう造るかというヒントも全部入っている。何を守り、何を継承し、何を発展させればいいか、そのネタも全部残っているということだ。そこから学び取ったものは今の時代を生かすことになる。コルビュジエ建築の世界遺産登録は、そうした視点がようやく出てきたことの裏返しとも言える。
―公共建築の世界では、築50年が取り壊しの一つの目安になっています。
「50年たったら壊して建て替えてもいい」とみんな常識のように言う。でも、増田友也や丹下健三、前川國男もみんなそうだと思うが、当時の造り手はまさか50年でその建物が壊されるなんて思いながら造ってはいない。建築は、人間が生きている寿命より長くそこにあるからいろんな文化を伝えられるわけで、完成した時の評価とは別に、その地で根付いたときの評価こそ建築の真価だと思う。
結局は、いい環境をどうやって作るかという話であり、50年でリセットしていくような状況では、とてもじゃないけど継続的なよりよい環境はつくれない。「50年たてば建て替え」という、建築に対する非常に不思議な理解は、日本だけじゃないかと思う。
―とはいえ、モダニズム建築の多くは傷みが目立つようになってきました。
戦後復興期の建物が特にそうだが、物資不足で材料はないし、施工技術も未熟だったりして、必ずしも風雪に耐える体力を持っていない部分はある。しかし、決していい条件下で造られた建築ではないにもかかわらず、その建築がある種の迫力を持っているのは、建築家の高い志と時代の明確な要請があったからだと思う。
その建物がどういう時代背景の下、どんな志や思いで造られたのかということを知るだけでも、建築の見え方は変わってくる。「今ならいくらでもこんなもの造れるよ」という議論がよく出るが、それはある意味で現代のおごりだと思う。近代建築の保存活動をしていると、果たして僕たちの時代の建築に「これは壊しちゃいけない」というものがどれだけ造られているのかと感じる。コンクリートの建物は健全に維持していけば、人間の寿命を超えて残っていく。
まつくま・ひろし 1957年、兵庫県生まれ。80年に京都大工学部建築学科を卒業し、前川國男建築設計事務所に入所。2000年4月に京都工芸繊維大助教授、08年10月に同教授。13年5月からドコモモ・ジャパン代表を務める。60歳。