ちょっとよくないタイトルをつけてしまったかもしれない。
少し前だが、中央官庁で、障害者雇用の水増しがあったというニュースがあって、世間をにぎわわせていた。
中にはゼロのところを水増ししていたり、眼鏡使用者を障害者としてカウントしていたところもあったようで、まぁ簡単にいえば悪質である。
障害者の雇用について、現場であきらかな「区別」があるのは障害者のあいだではとても有名である。企業側は「事故で足首の先が片方だけない」とか、そういう健常に限りなく近い人をもとめていて、精神障害、発達障害、知的障害とかの障害者はできるだけ避けたい…というか求人がさっぱりないのが現実である。
ところで、私事なのだが、少し前に、ネットの発達障害者のコミュニティで、とある人とバトルしてしまった。というのも、その相手の方は、いわゆる福祉におつとめの発達障害児の支援をされている方なのだが、発達障害児には才能があると言って譲らない。
例として頻繁に出して来るのが「ビル・ゲイツ」である。
その人の中では「あのビル・ゲイツも発達障害!だから発達障害者はすごい!あのエジソンも!だから発達障害者はがんばれば彼らのようになれる!」という感じなのである。
正直に言うとものすごくしらけてしまった。
このような悲しい勘違いをしてしまう人はけっこういて、このような人といくら話しても無駄だ。
発達障害者の全員がビル・ゲイツになれないことは、アホでなければわかるだろう。
仕事に就けなかったり、仕事を首になったりして困窮している人が、健常の人にくらべて何倍も多い。引きこもりになる人も圧倒的に多いのが発達障害者だ。
発達障害者の中にもいわゆる高IQアスペルガータイプとか、ギフテッドとか呼ばれる人たちがいるのは、ご存知の方もいるかもしれない。
このようなタイプの発達障害者は、高IQゆえに社会に適応できる可能性が高い。
実際に社会適応できているのも、高IQタイプが多いと思う(統計は取れないが)
だが、自分はどうしてもそうでない人たちのこと、たとえば発達障害に知的障害をともなっているとか、私のように難病も罹患しているとか、そういう人たちがどうすれば良いのかということを考えてしまう。
少し前に、熊谷先生の記事でこのようなものがあった。
熊谷先生はご本人も身体障害者であるが、障害者の当事者研究を行っている人だ。
やはり身体障害者の中にも、パラリンピックに出るような障害者を見て、「どうして自分はこうなれないのだろう」と思う人がいるのだと知って、けっこう腑に落ちた。
いま、そのコミュニティで、高IQ型が集まって、「自分たちは高IQだから、自分の弱点を克服すれば健常者をはるかに追い越せる」と息巻いている人たちがいる。
そのへんは自由にやってくれれば良いのだが、それってある種の優生思想なんじゃないのかなと思った次第である。
私自身はいくら努力をしても、これからビル・ゲイツになることはできない。
どれだけ理解がしやすいように言葉を簡単にして説明してもその支援者の人は最後まで理解できなかった。その方ももしかしたらアスペルガーなのかもしれないけれど。
障害者の中にも一種の優生思想構造があって、それはもしかしたら健常者のそれよりもはるかにシビアなのではないかと思い、備忘録をかねてここに記す。
おわり