知っていますか?雰囲気のある古銭モチーフネックレス
女性にとってネックレスはファッションと合わせてコーディネートを楽しめる便利なアイテムといえます。宝石や金属でできている繊細なデザインのものをイメージすることが多いですが、ファッションによってはもっと個性的なものが合うこともあります。アジア、エスニック系のファッションならそれに合わせた素朴でカラフルな素材で作られたネックレスのほうが向いているかもしれません。 そういったファッションの際に取り入れられやすいのが古銭デザインのモチーフが付いたネックレスです。穴の開いたものなどはそのまま麻ひもなどを通してカジュアルにつけて楽しむこともあるようです。また、欧米の古銭は繊細なデザインのチェーンと合わせてドレスなどにも合うネックレスに仕立てられることもあります。お守り的な意味合いを持たせることもあるようです。 デザインが個性的だったり、ボリュームのある古銭ならファッションのポイントともなってくれるのでぜひ取り入れていきたいものです。
数十円から数十万円。気になる寛永通宝のお値段とは?
寛永通宝は江戸時代の初期寛永時代に制作が始められ幕末まで作られ続けた銭貨です。真円で中央部に四角い穴が開いています。銅銭が多いですが鉄や真鍮で作られた物も存在します。通用単位は裏側に波模様が刻まれている物は4文、それ以外は1文として通用しました。 古銭として寛永通宝を見る場合、大きく古寛永、新寛永と分けることが出来ます。1636年寛永通宝が初めて作られた年から1659年までが古寛永、しばらく作られない期間があって1668年から幕末まで作られた物を新寛永と呼びます。 江戸時代のほとんどの時期に作られていた銭貨なので、発行総数の確かな数は不明ですが確実に数十億枚単位、多ければ百数十億枚単位で発行されていたと考えられます。ですから古銭としての値段は本当にさまざまで、店頭の値段でも数十円から数百円の物も沢山ありますし、希少な品ですと数十万円で売られている物もあります。あまりにも種類が多いので余程の目利きでもないと一目で値段を判定するのは困難です。 長期間に渡る鋳造に数限りないバリエーション、寛永通宝の世界は古銭コレクターの世界でも底知れない奥行きを持っているのは間違いないでしょう。
もし古銭を発見した時は?その注意点を説明しています
実家の片付けをしていて古銭を発見したり、祖父母の形見として古銭を貰ったりする事がありますが、そういった硬貨を収集する趣味がない方にとっては、その価値が分からないと思います。ですから発見しても処分してしまう方も中にはいらっしゃるのです。 古銭を発見したら、まずは骨董屋やリサイクルショップに持参し、査定をしてもらうと良いです。もしその銭が年代物で、しかも本物であれば、とても高く売ることが出来るからです。出来ればそういった古銭を専門に取り扱っているような専門店に査定をお願いするのが無難で、本物と偽物をしっかりと見極めて、価格を付けてくれる事が多いです。 そして、古銭を発見したときに注意が必要なことは、絶対に磨かないという事です。こういった骨董品の類は保存状態によって価格が左右されます。ですから、磨いて綺麗に見せて高く売ろうと考える方が多いのですが、磨けば当然ですが傷が付きます。その傷が逆に価値を下げてしまう事になるのです。ですから、古銭を発見した時は絶対に磨かないようにしましょう。
野田市の古銭の買取を知っていますか?
野田市には古銭の買取をしてくれるお店があります。古銭は日本の物だけじゃなく、アメリカやオーストラリア、中国など世界の古銭を鑑定して、それに合った値段をつけています。 特に高い値段がつくのは、小判や金貨、銀貨など金や銀の順度が高いものは高額で買取されています。その他にも、おじいちゃんや、おばあちゃんが残してくれた蔵の中から出てきた古銭もなんでも鑑定しています。その中でも慶長小判や大判小判、天宝小判はかなりの高値が付きます。少し前の時代のものでも、希少価値のあるものや江戸に流通した寛永通宝や、一文銀、記念硬貨500円、大正時代や明治時代の50銭は価値が有り高く売れます。そのほか50円玉や5円玉のような穴のあいたお金なのに穴が無かったりずれていたりするものや、刻印の二度押しなどのエラーコインも、普通では流通するはずのないものなので希少価値が有りプレミアがつくほど人気です。 野田市の買取のお店は、売りたいものを送って鑑定が済んだらお金を振り込むことができるので足を運ぶ必要がなく楽です。野田市以外の遠くの県の方も、もちろん利用できます。