「ちびまる子ちゃん」のさくらももこさんが亡くなった。スポーツ根性ものや空想科学ものが人気だった漫画界に、何げない日常の朗らかな笑いを取り入れ、広く共感を呼んだ。早すぎる死を悼む。
昭和が終わるころ。若い女性の間で、あるギャグ漫画が話題になった。「私たちの小学生の頃、そのままだよ」。一九八六(昭和六十一)年に「りぼん」で連載の始まった「ちびまる子ちゃん」だ。
九〇(平成二)年にテレビでアニメの放送が始まると、さくらさんが作詞したテーマ曲「おどるポンポコリン」は街の至るところで流れ、はやりに疎いおじさんさえもカラオケで「♪ピーヒャラ、ピーヒャラ」とご機嫌で歌った。
「まるちゃん」の特徴は、逆説的だが、どこにでもいそうな少女であること。「基本的にはまじめだけれど、面倒くさがりだったりする、普通の女の子」とさくらさんが語った通りの小学生だ。
漫画は時代を映す。家庭を顧みずに働く「モーレツ社員」が活躍した高度経済成長期は、「巨人の星」「アタックNo・1」など、厳しい特訓をへて勝利を得るスポーツ根性ものが全盛だった。
国民がほどほどに豊かな一億総中流社会が来ると、人々の視線は次に来る時代、つまり未来へと向かった。将来の科学技術をベースにした「宇宙戦艦ヤマト」や「ドラえもん」が人気を集めた。
スポーツの天才、空想の科学。あるいは少女漫画の定番「キラキラ目」。そんな題材とはかけ離れた少女のささやかな日常を描き、「エッセー漫画」という新ジャンルを切り開いたさくらさん。たとえば、おなかが痛くて医者にかかる-それだけのことがこの人の手にかかると、名人の落語にも似た掌編になった。バブル経済が崩壊して人々が生き惑う平成の時代、多くの読者に支持された。
日々の生活が生む笑いを描いただけに、人々から笑顔を奪った東日本大震災には胸を痛めた。二〇一一年三月十八日、本紙で掲載した四コマ「ちびまる子ちゃん」には、花に託した復興への願いがにじむ。稀代(きたい)の漫画家が伝えたかった思いをかみしめ、まるちゃんのような笑顔で故人を送りたい。
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