糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの
08月29日の「今日のダーリン」
・「いい気になる」のことは、人生の大問題であろう。
いやいや、わざわざ硬い言い方で書き出したけれど、
そのくらいむつかしくて逃げにくい問題なのだと思う。
おまえだけの問題だろう、とか言われそうだけれど、
いやいや、そんなことはないよ。
いい気にならなそうな人でも、ちゃんといい気になる。
人に気づかれないところで、あるいはじぶんの目を盗んで
いい気になったことがあるということはある。
そして、「いい気になる」ことがないと、
成長することもむつかしい。
イエス・キリストが大工の息子として生まれたことを、
いつも、いつまでも意識していて、
それこそがじぶんなのだと思いこんでいたら、
次の運命へと跳躍できなかったことだろう。
ぼくら人間は、だれでもが、
ひとりではなんにもできない赤ん坊として生まれて、
「ひとりで大きくなったような顔」をして、
子どもになり、青年になり大人になってきている。
そのプロセスだって、「いい気になってる」場面が、
いくつも連続してあったに決まっている。
つまり、「いい気になる」ことは、
生きていくことの前提でもあるのだ。
さらに、それなのに、「いい気になる」ことで、
人生を台無しにしてしまったり、人に迷惑をかけたり、
だれかに避けられるようになってしまうことがある。
ぼく自身は、この「いい気になる」ということと
これまでどうやって付き合ってきたのだろうか。
ずっと考えてきたのに、よくわからないままなのだ。
もちろん、ある年齢くらいからは
「いい気にならないように」気をつけていたように思う。
ただ、本気で「いい気にならないように」すると、
「留まるエネルギー」のようなものに縛られてしまう。
死んで動かなくなる状態が最も「いい気になってない」。
「いい気になる」は分量や場面の判断が大事らしいのだ。
なんだか、おもしろくもない結論になるけれど、
「いい気になる」はコントロールが重要である…と。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
いまのじぶんは「いい気になりにくい」のが弱点だと思う。
いやいや、わざわざ硬い言い方で書き出したけれど、
そのくらいむつかしくて逃げにくい問題なのだと思う。
おまえだけの問題だろう、とか言われそうだけれど、
いやいや、そんなことはないよ。
いい気にならなそうな人でも、ちゃんといい気になる。
人に気づかれないところで、あるいはじぶんの目を盗んで
いい気になったことがあるということはある。
そして、「いい気になる」ことがないと、
成長することもむつかしい。
イエス・キリストが大工の息子として生まれたことを、
いつも、いつまでも意識していて、
それこそがじぶんなのだと思いこんでいたら、
次の運命へと跳躍できなかったことだろう。
ぼくら人間は、だれでもが、
ひとりではなんにもできない赤ん坊として生まれて、
「ひとりで大きくなったような顔」をして、
子どもになり、青年になり大人になってきている。
そのプロセスだって、「いい気になってる」場面が、
いくつも連続してあったに決まっている。
つまり、「いい気になる」ことは、
生きていくことの前提でもあるのだ。
さらに、それなのに、「いい気になる」ことで、
人生を台無しにしてしまったり、人に迷惑をかけたり、
だれかに避けられるようになってしまうことがある。
ぼく自身は、この「いい気になる」ということと
これまでどうやって付き合ってきたのだろうか。
ずっと考えてきたのに、よくわからないままなのだ。
もちろん、ある年齢くらいからは
「いい気にならないように」気をつけていたように思う。
ただ、本気で「いい気にならないように」すると、
「留まるエネルギー」のようなものに縛られてしまう。
死んで動かなくなる状態が最も「いい気になってない」。
「いい気になる」は分量や場面の判断が大事らしいのだ。
なんだか、おもしろくもない結論になるけれど、
「いい気になる」はコントロールが重要である…と。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
いまのじぶんは「いい気になりにくい」のが弱点だと思う。