対談

2015年10月24日

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――福島第一原発事故以降、放射線被害や原発再稼働をめぐって起きた言葉の分断は、解消されないまま現在に至っている。一方で、先ごろ参議院で可決されたいわゆる安保法案を巡っては、従来の市民運動や、近年の反原発運動とはまた異なる運動が学生たちから生まれ、アカデミズムやメディアがそれを後追いするほどの大きなうねりとなった。

 運動のなかに祝祭性を見出してきた毛利嘉孝氏と、原発事故後にホットスポットとなった千葉県柏市で消費者と生産者の協働に関わった五十嵐泰正氏。二人の社会学者は、これらの分断とうねりを通してどのような未来の社会を描いているのだろうか。

安保反対デモに参加する若者たち

対立軸はどこにあるのか

毛利 僕は震災直後に現れた運動は過渡期のもので、最近のSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)の登場でもって、戦後の市民運動のあり方が完全に変わったと考えています。でもまずは震災以降の状況を整理して、新しい局面について話し合えればと思っています。

五十嵐 わかりました。僕自身もそこは切り分けて考えるべきポイントがあると思っていますし、ここ最近の運動についての考えは、毛利さんとほとんど距離がない気がしています。

毛利 距離があるとすれば震災以降の運動や、社会の分断について、ということですね。僕は震災で社会が分断したのではなく、以前からあった分断がはっきりしたのだと考えています。地域間の分断も帰属集団での分断も、表面的にはないことになっていた。そこに大きなカタストロフがもたらされて、隠れていた分断が明らかになり、どんどん露骨な形で出てきてしまったのでしょう。

 対立的な考えをもった人たちが強い言葉で非難しあう状況が生まれている。生活の場でも、市民運動の現場でも話し合いをする場所が縮減していると痛感します。国会も同じで、コンセンサス(合意)を形成するということに対する努力が見られない。民主主義の原理とは、100人のうち51人が賛成票を投じれば、残りの49人は切り捨てていいというものではなくて、ある決定により決定的な不利益を受ける人が3人いれば、残りの97人がその3人の不利益をどうやって是正するかを話し合うものです。民主主義の運営には一定の合意形成が不可欠なのです。それは自民党政権でも同じで、圧倒的多数だからなんでもやっていいというわけではない。多数であるがゆえに、敵味方なく国民全体を代弁する者として語る義務をもつ。でも今の政権は同じ考えの者の利益を代弁するものとしてしか動いていません。かなり異様な状況です。

 それは国政だけではなく市民レベルでもそうですね。左派陣営や市民運動の内部でも起こっているし、反対側には在特会のような明確な存在がある。生じた亀裂をコンセンサスにより乗り越える努力が放棄されていて、そのひとつが放射線問題ですよね。

 五十嵐さんの『みんなで決めた「安心」のかたち』(亜紀書房)が重要なのは、失われつつある議論のプラットフォームをもう一度何とか作ろうとする、その記録であることなんです。

五十嵐 放射能を軸に陣営分けされてしまった面は、拭い難くありますよね。

毛利 僕の周囲の同世代の、新左翼的なメンタリティを持っている少なからぬ人たちは、震災後からいまだに東京から離れています。逆に東京に残って運動を続けている人たちは、東京から避難した人に対して放射“脳”とレッテルを貼って、非常に厳しいスタンスであることが多い。同時に、震災後に出てきた官邸前抗議運動などニューウェーブの人たちと、1968 年以降続いてきた新左翼(ニューレフト)系の人たちとの間の亀裂はよりはっきりと浮かび上がっています。お互いに自分たちとの違いの方が気になって仕方ない。新左翼系の目に官邸前などの国会に直接働きかける運動は、結局のところ国の政策に飲み込まれるんじゃないかという疑念がある。ましてや福島に残って運動している人たちや、五十嵐さんがやられた柏市の運動についても、おそらく批判的なスタンスをとるでしょう。同じ陣営でも批判し合って、どんどん細分化していて再び合流する糸口が見えない。

 この細分化した状況は、政権のなかの極端な原発推進派にはとても都合のよい状況です。この混沌を利用しようという志向が安倍政権には如実にあります。

 とにかく、議論のプラットフォームがない。合意形成それ自体を目的としたアプローチは僕はあまり好きではないのですが、それでも最低限のプラットフォームはあるべきなんです。

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