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若きディカプリオの美しさ、繊細さを堪能できる映画『太陽と月に背いて』
私M&Oの大好きな映画の一本でもあるレオナルドディカプリオ主演映画『太陽と月に背いて』。
原作はクリストファーハンプトンの戯曲であり小説。
監督はアニエスカホランド。日本公開は1995年ですね。なかなか古いですね。
アルチュール・ランボーという実在の詩人の物語です。このアルチュール・ランボー、詩の世界に彗星のごとく現れ、その全く新しいスタイルと驚異的な才能は詩人たちを震撼させた。しかし若くして詩作をやめてしまい、謎に包まれている詩人でもあります。
主演はレオナルドディカプリオ、共演はデヴィッドシューリス。
レオナルドディカプリオ演じるランボーとデヴィッドシューリス演じるヴェルレーヌ。二人の天才詩人が、特にヴェルレーヌは自分よりも才能に溢れたランボーの若き才能に惹かれ、性別を超えてお互いを求め合い、憎み合い、共に過ごした年月。地獄の季節と呼ばれる時間を過ごした二人がそれぞれ辿り着いたものは・・・。
『太陽と月に背いて』あらすじ
パリに住み、詩人として地位を得ていたヴェルレーヌ(デヴィッドシューリス)はある日詩が書かれた手紙を受け取る。その手紙に書かれていた詩はまったく新しい、才能に溢れた詩であり、ヴェルレーヌはその手紙の主をパリに是非来るようにと呼び寄せる。
その手紙の主こそが詩人たちを震撼させることになるランボー(レオナルドディカプリオ)であった。
ヴェルレーヌを頼りにパリにやってくるランボー。初対面を果たした二人だったが、ヴェルレーヌは自分の前に表れた16歳の少年を見て驚く。手紙にはもっと年齢が上だと書かれており、ヴェルレーヌは「手紙に書かれていた年齢よりずいぶん若く見えるな」とランボーに尋ねる。ランボーはあまり若いと信じてもらえないかと思って嘘の年齢を書いたと告げる。ヴェルレーヌにとって年齢などたいした問題ではなかったが16歳であの詩を書いたことは驚異だとランボーの才能にただただ驚く。ランボーの才能を埋もれさせてはいけない、この才能を世に知らしめなければいけないと心に思う。それぐらいランボーの詩は素晴らしいものであった。
自宅に泊めるヴェルレーヌであったが、ヴェルレーヌはすでに結婚していて、しかも自宅は妻の家で、妻の家族が同居していてヴェルレーヌは居候ような身であった。ランボーは自由奔放な性格で歯に衣着せぬ物言いを初対面からヴェルレーヌの家族にも浴びせていて、また家の主人のコレクションの置物を壊したりと問題を起こし、怒った家の主はランボーを追い出すようにヴェルレーヌに迫る。「彼は住むところがないから追い出すことはできない」と食い下がるヴェルレーヌだったが、ランボーはすでに家の主に追い出された後であった。
慌ててランボーの後を追うヴェルレーヌ。雨の中たたずむランボーを見つけ謝罪するヴェルレーヌだが、ランボーは気にしてない様子で「いいさ、彼の家だろ?」と答える。ボロボロのアパートの一部屋を借りたヴェルレーヌはランボーをその部屋に住ませる。ボロボロで申し訳ないと謝るヴェルレーヌに、詩を書くのになんの問題もないと答えるランボー。このアパートでランボーとヴェルレーヌの性別を超えた恋愛関係も始まっていく。
しかしヴェルレーヌは結婚している身であり、子供もできたばかり。しかもヴェルレーヌは飲むと妻に暴力をふるう癖があり、手を出してしまった後には泣きながら謝り妻に許しを請うという悪癖が。ランボーと妻の間をいったり来たりしていたヴェルレーヌでしたが、ある日飲んで妻の髪に火を放ってしまいます。ゆきすぎた過ちを犯したヴェルレーヌは逃げるようにランボーと行動を共にし、ランボーの行きたがっていた海へと向かう。上機嫌のランボーと楽し気にするヴェルレーヌだったが、その後ロンドンに渡った二人はお互いを愛し、お互いを憎み、才能と生活するための金銭面でもぶつかることが増え始める。ランボーの自由奔放さについていけなくなったヴェルレーヌは些細な喧嘩をきっかけにランボーの元を去る。「一人では生きていけない」と泣き叫ぶランボーを置いて去るヴェルレーヌ。
ヴェルレーヌは向かった地で妻と会うが、そこにランボーも現れ・・・。再び行動を共にするランボーとヴェルレーヌだったが、ある日飲んだヴェルレーヌが別れを切り出したランボーに激高し、行かせはしないと銃を発砲してしまう。手を撃たれ「俺の手に穴を開けやがった!」叫ぶランボー。ヴェルレーヌは銃声で駆け付けた警官に逮捕され、さらに同性愛の罪も暴かれ刑務所へと収監される。
生まれ育った故郷に帰り、狂ったように詩作に励むランボー。
やがて二人は再会を果たすが、すでにランボーは詩作をやめてしまった後であった。この期に及んでまた一緒になろうとランボーにすがるヴェルレーヌ。しかしランボーは冷たく突き放し、一人去ってしまう。それが二人の最期であった。
『また見つかったよ。何がさ?永遠。太陽にとろける海さ』
とにかくディカプリオの美しさとイノセントさを堪能できる『太陽と月に背いて』
ディカプリオの美しさをまずは堪能してもらいたいと切に思います。また無邪気な要素も併せ持つランボーを演じるディカプリオのいろいろな表情や芸達者な面が見れます。アルチュールランボーは詩人としても彼の生涯もミステリアスなイメージを持つ人間なのですが、そのランボーにディカプリオが見事にハマっています。元々はリバーフェニックスが演じる予定だったと言われているランボーですが、もちろんリバーフェニックスが演じても魅力的だったと思いますが、彼が亡くなってしまいディカプリオにオファーがあったわけですが、ディカプリオをキャスティングした人は素晴らしい見る目を持っている人だと思います。だってリバーフェニックスじゃなければディカプリオ以外にいないですもん。
かっこいいというか。。。綺麗ですよね、美しいです。
美しいと言っているのはルックスの事ももちろんそうなのですが、物語、映画の質感、すべてを含めて美しいんです。
またランボーという人物も本当に魅力的で、子供の面もふんだんにあるものの、時々放つ相手の心を凍らせる言葉の切れ味もすさまじくて。ヴェルレーヌは年齢もいっていることもあり頭も禿げ上がっているのですが、そんなヴェルレーヌに悪態をつかれたランボーは「君の心は肉体同様に醜い」と言い放つのですが、僕このセリフ忘れられないセリフになっています。
ディカプリオが演じてくれたおかげで、詩人ランボーに興味を持ち詩集なども買いました。詩を読んでいてもいろんな面があるんだなぁと思わされます、詩によっては同じ人が書いている人と思えない感じなんです。
有名なフレーズは
『また見つかったよ。何がさ?永遠。太陽にとろける海さ』
です。聞いたことある方もいらっしゃるのではないでしょうか?『永遠』という詩で、有名な映画『気狂いピエロ』でも使われています。
当時興行的にも当たっていない映画ですが、『タイタニック』でのレオフィーバーをきっかけに観た人も多いかと思います。まだ観たことない人は一度は見て欲しい映画です。
『太陽と月に背いて』
『私は、妻のカラダよりも、ランボーの才能に欲情した』
是非。