「Cybernetics Wars ZERO ~願いを宿す機械の子~」CD発売おめでとうございます!ありがとうございます!
少しでも賑やかしになればと思い、7/23のイベントで発行した本を1日限定で全文公開します。(ご購入頂いた方には申し訳ありません。1日だけですのでお許しを……)
ここをご覧でサイバネ&サイバネZEROをご存じない方はいらっしゃらないとは思いますが、もしCDについてはよく知らないという方がいらしたら、ぜひ公式の試聴動画をご覧下さい。
https://youtu.be/teirmWUZPS8イラスト:FIESTA
ロゴ・装丁デザイン:地獄のデストロイ子さん(
twitter/hell_destroy)
----以下、イベント当日のペーパーより----
サイバネZEROのイベントストーリー最終盤で、まさかのリクとエンドーの繋がりが発覚したはいいけれど、恐らくめちゃめちゃ重い相談をしてしまうほどの縁とは一体どういうきっかけがあったのか、リクが初めから左上半身に義体部分があるのは何故か、警察であるP.G.Dとこれから設立されるというK.G.Dの組織的な関係は……など、湧き上がる疑問に自分なりに筋道を立てたのがこのお話です。結果としてZEROから前作へのブリッジ的なものに収まりました。
さらに2月に発行した「Beast Protocol Overload」にも繋がるように道夫に登場してもらったりしたのですが、お陰で「S.E.Mがサイバネに出てたら」というBPOのストーリーラインも構想が増えたので、また機会があれば書き上げたいと思っています。
低重力の中、リクは思い切りステップを蹴って翔んだ。
はるか高くに設けられたガラスのドームからは、ビル群と遠くかすむ山々の向こうへ落ち始めた光が差し込み、あたり一面をやわらかなオレンジ色に染めている。
手足を伸ばして体いっぱいに空気の抵抗を集めて落下の速度を調節する。身体を捻ってわざと平衡感覚を狂わせると、自由落下に身を任せた。
樹脂カーテンに滲んだ視界に広がる夕暮れの空と、各所で渦巻くエアーの音、ドームに反響するチームメイト達の声が、試合形式の練習で昂ぶった心を鎮めてくれる。
親の仕事の関係で軌道ステーションで五歳までを過ごしていたからか、地上に造り出された低重力環境では満足できない。それでもこのクールダウンが好きで、周囲からは呆れられるほど繰り返してしまう。
「おーい! そろそろコントローラ止めるぞ!」
「うっす!」
コーチの声に宙を蹴り、姿勢を変えた反動でベンチに向かって緩やかに降下する。ほとんど足音を立てずに着地すると、目の前にタオルが差し出された。
「ありがとな、エンドー」
「相変わらずだな。このドームは設備も景色も最高だし、気持ちは分かる」
「だよな。プロが使ってるとこで練習できるなんて……エンドーはここ、初めてじゃないんだろ?」
「ああ、俺は去年も来てるからな」
「それじゃカフェテリアの旨いメニュー教えてくれよ」
自分を見上げて顔を輝かせる少年に、エンドーはにやりと笑ってみせた。
「教えてやるから早くシャワー浴びてこい」
「おう! じゃああとで!」
リクは背中を向けようとして、ぴたりと足を止めた。
「このタオル、エンドーのか?」
「いや、備品だ。クリーニングバスケットに入れとけばいい」
「すげぇなぁ……おっ、それじゃあとでな!」
まだ重力コントローラの効いている中、低重力下独特の歩様で遠ざかっていく年下のエース候補の背中を見送って、エンドーも自分のバッグを取り上げた。
エアシュートは義体が普及する以前から行われていた世界的なスポーツだ。プロリーグも人気が高く、競技から離れ、アクロバティックな要素を突き詰めたショーもまた一般的な娯楽として浸透している。
義体が普及し始めてからは厳密なクラス分けが規定され、リクとエンドーはゼロリーグとも呼ばれる『義体による運動能力補正等なし』のクラスに所属している。もっとも競技人口が多く、クラスごとに個別のリーグとなっているプロでも一番チーム数が多い。
十年ほど前からは若年層の育成にも力を入れており、住む地域も年齢も違う二人がこうして集っているのは、ジュニア選抜チームの合宿に参加しているためだった。
この合宿以前から面識はあったが、寝食を共にするのは初めてだ。一日目、訪れたこともない施設で所在なげに立ち尽くしていたリクに声をかけたのはエンドーの方だった。
試合の時にはすぐに熱くなって相手に真っ向から挑みかかるのをよく目にしていたが、こうやって近しい立場になってみると、純粋さと人懐っこさをもったごく普通のミドルティーンだった。
ただし、フィールドに出たリクはまったく違う顔を見せる。
――――スカイライザー。
リクやエンドーが生まれる前に引退した伝説的な名プレイヤーの二つ名だが、リクのロングジャンプを見たオールドファンからは、思わずと言った様子でその言葉が囁かれる。
ただ高く飛ぶだけならリク以上の選手はいくらでもいる。だが、その本領は降下に入ってからだ。自在に姿勢を変え、ディフェンスを躱してはその反動を利用し、あるいは味方のわずかな助力を得てより長く、遠くへ。その時、フィールドは全てがリクのための舞台となる。
あんな風に翔べたらと誰もが願わずにいられない、天性のプレイヤーだった。
リクとエンドーが知己を得たのは一年ほど前のことだ。
エンドーはエアシュートの専用設備を持つ名門校の生徒で、所属するのも学校のクラブだが、高価な設備を持つような学校は少ない。練習試合となると、日帰りできる距離の地域に遠征してそこの地元クラブと行うのが常だった。
いつも通りの遠征、いつも通りの練習試合。常に低重力フィールドで練習できるクラブと、地域から集まる地元クラブでは試合と呼べるほどの白熱したものにはならない……そのはずだった。
ウォーミングアップの段階で、監督が腕を組み、黙り込んだまま相手チームの選手たちを見つめている。
「どうしたんスか、監督」
「……八番を見ろ」
言われるままにフィールドを見ると、まだ子供っぽさを残した少年が膝を抱えてくるりと回転しながらフィールドに降り立つところだった。
すぐさまフィールドを蹴り、Lのステップに向かって横滑りするように移動する。逸れたように見えたパスを途中で掴むとステップを思い切り蹴って上昇した。
――――重心がブレてない。相当慣れてる。
「このあとだ」
降下中のチームメイトが膝を曲げる。その選手のわずか一メートルほど手前でパスを出すと、正確に相手のニープロテクターを蹴ってジャンプの角度を変えた。一Gの下では見られない放物線を描くロングジャンプ。戻ってきたボールの勢いを利用して体の向きを反転させる。
「……これは……」
姿勢の制御とスピードのコントロール、ボールや他のチームメイト達の行き先をすべて読み尽くしたような動きに魅入られる。
いや、読んでいるのではない。考えているのではない。彼にとってはこれが当たり前なのだ。
「随分若い子が先発に入っているからどういうことかと思って見ていたが……あいつには気をつけろ。他は凡庸だ」
いつの間にか周囲には他のメンバーも集まっていた。そのままマークの配分と作戦の変更点についてのミーティングが始まる。
試合が始まってみると、相手チームのほとんどは強豪校との対戦ということで固くなっている様子だった。
しかし件の八番はその中を縦横無尽に飛び回って確実にポイントを稼いでおり、なかなか点差が広がらない。
その時、八番がウォーミングアップで見せたのと同じ動きをした。チームメイトの力を借りてジャンプを伸ばすのはエアシュートではごく当たり前のことだ。しかし、そこにエンドーの一年上にあたる先輩がカットに向かう。
ラフプレーになり兼ねないが十分に距離はある。しかし、監督が言った通り、もしくはそれ以上に八番以外の選手たちは凡庸だった。
本来ならばカットを受け流し、姿勢を整えつつ待ち構えねばならないその選手は、対応を誤った。体格のいいディフェンスが自分を狙って落下してくることに恐怖を感じたのかもしれない。
体勢を崩し、ディフェンスからのカットをもろに体で受け、呻いた。八番もそれに気づいたが、接触を避けられる状態ではない。ボールを離すと体を丸めるようにして、もつれる二人に背中から突っ込んでいった。
こぼれたボールはエンドーの手元に収まった。今、上空で起こっていることは反則でもなんでもない。こちらは一人多い状態だし、精密なシュートが可能な自分ならば、ここからでもポイントを狙える有利な展開だ。
だが、試合に集中している自分とは切り離された冷静な部分が、三人の状況を分析していた。
――――一人が体当たりを受けて脳震盪をおこしているようだ。あと二人は問題ないが、意識のない身体を引き剥がすのに苦労している。先輩の体重が勝って落下速度が上がっている。そして落下先はステップの集中ゾーン……
次の瞬間、エンドーは手にしていたボールを上空に向かって力いっぱい投げた。それを追うようにして自分も跳躍する。
投げたボールは意識なくぐったりしている選手の下腕を弾き、先輩の脚に絡みつくようになっていた腕が外れた。先輩はすぐに身体を離すが、その反動で落下はさらに早まった。
「みんな離れろ!」
エンドーの叫ぶ声をかき消すように試合中断のブザーが響き渡る。
突然のことに動けないでいる相手チームの選手たちの位置を把握しながら、落下を続ける二人に肉薄する。
「八番!」
声をかけると、少年がはっと気がついてエンドーに向かって左の拳を突き出す。その手首を無造作に握ると引き寄せ、もう片方の手でぐったりしている選手の襟首を掴んだ。
「投げてくれ!」
少年がエンドーの行動を察して叫ぶ。その言葉通り、宙を薙ぐように八番の細い体を振り回し、誰もいない方に向かって手を離すと自分はそのままもう一人の背後に周り、速度を調整しながらステップを避けてそっと着地した。
「担架お願いします!」
ベンチから一気に人が集まってくる。さっき放り出したはずの八番もすぐにそばに寄ってきた。
「……ありがとな」
言いづらそうに視線を反らして呟いた少年に笑ってみせる。
「いいんだ。危なかったな」
脳震盪を起こした選手は他に怪我も見られなかったが、念のため病院へ搬送されることになり、練習試合はそのまま中止となった。
帰り際、施設の外で真夏の日差しを避けて涼んでいると、少年が駆け寄ってくるのが見えた。
「さっきは本当にすまねぇ。っていうか、試合も中止になっちまって……」
「しょうがないだろ。お前のせいじゃないし気にするなよ。誰かが怪我する方がよほど嫌な気分になるからな」
「そう言ってくれると助かる……俺は、リクだ」
リクが片手を差し出す。その手を握って自分も名乗ろうとするのをリクは遮って笑った。
「エンドーだろ? 学生シュートのニュースで何回も見てるよ。あんたのすごいシュート、もっと見たかったんだけどな」
予想外に自分のことを知られているのが面映ゆくて、喉も乾いていないのにミネラルウォーターのボトルを開けた。
「フェアプレイヤー賞とった時のも見たけどさ、今日はそっちの方が見れたから。あんたのそういうところもすごいぜ!」
「……俺の見た感じだけどな、そのうち一緒のチームでやることもあるかもしれない。そうじゃなくても、またやろうな」
「おう! またな!」
破顔して駆け戻っていくリクの後ろ姿が見えなくなるまで、エンドーは手を上げて見送った。
医療ベッドの上、逆光に浮かぶシルエットを見ただけなのに、エンドーの足は竦んだ。
どうして、という言葉を飲み込んだ瞬間、壁に当たり散らしたくなる衝動が湧き上がり、両の拳を握りしめて堪える。掌に爪が食い込むかすかな痛みに我に返った。
「……リク……」
振り返った顔は左の半分を保護テープで覆われ、その下の肩からは、病院お仕着せの寝衣が支えるものなく真っ直ぐ垂れ下がっている。
「エンドー、来てくれたのか」
くぐもった声に言葉が続かない。ようやく一歩を踏み出したものの、ただ立ち尽くすことしか出来ない。試合後に神妙な顔で走り寄ってきたリクの姿が脳裏をよぎる。
「ごめん。口の中もまだ色々入れられてて……うまく喋れないけど」
「……謝ることじゃ……ないだろ……」
ようやくの思いで言葉を絞り出し、自分のものとは思えないほどに掠れた声に動揺する。舌も喉も一瞬で干からびてしまったかのようだ。
リクが事故にあったことは、エアシュートの選抜チームにも入った選手が怪我を負ったというごく小さなニュースになった。あの合宿からまだ半年も経っていない。
エンドーもチームメイトから聞き、慌てて選抜チームのスタッフに連絡を取ったが、詳細は教えられない、面会が可能になったら連絡するとしか答えてくれなかった。
すぐに面会できないほどの大怪我なのかと気を揉んだが、事故から二ヶ月以上経ち、こうして目の当たりにするとその対応も当然だと思った。
『息子が、エンドーさんならお会いしたいと言っておりますので』
リクの父親から直接届いたメッセージにはそうあった。見舞いに行けるようになったら選抜のメンバーに声をかけようと思っていたエンドーは、少し考えて一人で行くことにしたのだが、判断は正しかったという思いが腹の奥を締め上げる。
――――怪我の程度もそうだが、この姿は、あまりにも。
「椅子、使ってくれよ」
リクの右手が壁際に置かれた椅子を指し示した。ベッドに差し込む陽光の中、視界をひらめく影が現実へと引き戻す。言われるままに、半ば機械のように歩み寄って椅子を引き寄せる。
しかし、腰を下ろしてもまだ言葉が出ない。沈黙の中、ふうっと一つ息をついて、リクが口を開いた。
「謝っておきたかったんだ」
「……なんの話だ」
「あの時助けてくれたのに……せっかく助けてくれたのに、無駄にしちゃったよな」
リクが練習試合でのことを言っていると気づくまで、少し時間がかかった。
「そんなの関係、ない」
「俺、よくコーチに『いつか怪我するぞ』って言われてたから」
「シュートに怪我はつきものだろう」
「あの時は自分でもまずいって思ったんだよ。だから、そのあとも続けられてたのはエンドーのお陰だ」
その言葉の端に違和感をおぼえて顔を上げる。
「お前……『続けられてた』ってなんだ……まさか」
「……もう、やめるよ。クラブにも言った」
「そんな! 義体にしたってクラスを変えればいけるだろう!」
リクが体ごと向き直る。中身のない袖が揺れた。
「腕だけじゃないんだ。肺と肝臓はもう変えたし、目ももうすぐ手術だ」
「全身義体のプロだってたくさんいるじゃないか!」
「……これから手術を繰り返して、マッチングして、リハビリして……フィールドに戻れるまで何年かかると思うんだ?」
体に占める義体の割合が多ければ多いほど、脳とのマッチングは難しい。日常生活程度なら殆どの人が問題ないと聞くが、プロを目指すレベルでのスポーツはと言われれば、返す言葉も無い。義体化率の高いプロ選手たちは、ほぼ全てが幼少期からその状態で過ごしてきている人たちなのだ。
「……だけど……いや、生きててくれて、良かった」
「みんなそう言うんだよな。確かにそうだと思う」
リクの肩がかすかに震えた。
「でもさ……ずっとシュートのことばかり考えてきたのに、俺、これからどうしたらいいんだろな……」
弾かれたように顔を上げ、リクを見る。窓から差し込む光の中で陰が落ちる顔が徐々にぼやけていく。
「お、おい、エンドー! なんであんたが泣くんだよ!」
「……すまん……でも、俺だったら、お前みたいに冷静じゃいられない……」
袖で乱暴に目元を拭う。それでも滲む涙は止らない。
「言い方が悪かったよ……完全にやめるつもりはないさ。下半身は骨折だけだし、ちゃんと動けるようになったら、趣味でやるつもりだ」
「……でも……リク、お前……」
エンドーが喉を鳴らして言葉を飲み込んだのが合図だったかのように、リクの膝に涙が落ちた。リクはその染みを隠すように右手で寝衣を鷲掴みしたが、次々にあふれる涙と嗚咽を抑えることはできなかった。
「五十一、五十二……っと、指定の端末はこれで全部です」
「分かった。受付周りの人員が不足してるようだからヘルプを頼む」
「了解っス!」
今日はサイバー犯罪の集中研修課程の初日。これからその道のエキスパートになろうと志す、若い警察官たちが集まってくる日だ。椅子の背にかけていた略礼装のジャケットを羽織ると、講堂を後にする。
エンドーは一昨年に一連の集中課程を全て終え、今はサイバー犯罪課に所属している。とは言えまだまだ駆け出しの身で、こうやって現場以外の手伝いに駆り出されることも多い。
しかしこういう機会に意気込みを抱えて輝く後輩たちの姿を見ることは、自身の初心に帰るようで身が引き締まる思いがする。
誘導を手伝うようにとの指示を受けて建物の外へ出ると、スキャンを待つ参加者たちの列に覚えのある後ろ姿が見えたような気がした。何気ない振りをして回り込むと、そこに立っていたのは紛れもなく自分の知っている少年だった。背丈は伸び、顔立ちもすでに少年ではなく青年の風貌になりつつあるが、それでも間違うことなどない。
「――――リク! リクじゃないか!」
唐突に名前を呼ばれた青年が振り返り、少々きつい印象を与える瞳が真ん丸に見開かれた。
「エンドー! なんでここに!」
「なんでと言われたって、サイバー犯罪課の所属だからなぁ」
「本当か! 俺、そこに配属されたくて今回の研修に希望出したんだぜ!」
屈託なく笑う顔に初めて話したときのことが思い出され、次いで病室での痛々しい姿を思い出す。
見舞いに行った後、しばらくの間はメッセージのやり取りをしていたが、徐々に間があくようになり、この数年はまったく交流がなかった。お互いに警察官になっていたことすら知らなかったのだ。
「なんていうか……疎遠になってしまって、すまなかった」
「こっちこそ。っていうか、エンドー、プロにならなかったのか」
「俺はプロでやっていけるほどじゃないよ」
「そうかなぁ……ああ、今こんな状況だし、あとでゆっくり話せないか?」
エンドーが今日限りの臨時要員で、入校式が終わり次第本庁に戻ることを告げるとリクは明らかに落胆した顔をして見せた。
「戻ったらお前のメールを探して今の連絡先を送っておくよ。研修が全部終わったらメシでも行くか……酒は飲めるのか?」
「へへ……人工肝臓なめるなよ。楽しみにしててくれ」
さらりと義体に触れたリクに別れを告げる。
離れ際にふとその左腕を見ると、黒い手袋をはめていた。人工皮膚が合わないのか、それともメンテナンス中なのかは分からないが、それでもごく自然に馴染んでいるのを見て、頭の片隅にわだかまっていたものが少し小さくなったような気がした。
長期休暇はいつも暇を持て余す。
ワーカホリックというわけではないが、サービスすべき家族も居なければ、旅に出るような趣味もない。それでも法を守る立場である以上、一定の休暇は取らねばならないし、自分が休まなければ後輩たちも休みづらい。
もちろん大規模な緊急事態があれば呼び出されるわけで、いつも通りジムで汗を流したあとは、普段はなかなか時間が取れない読書に没頭していることが多い。
前から興味のあった専門書を読み終えてふと顔をあげると、すっかり窓の外は暗くなり、そばに引き寄せていたスタンドの灯りが届く範囲以外は闇に落ちていた。
天井のパネルライトをつけ、ついでにテレビもつける。ちょうど夜のニュースの時間帯だった。思い立ってキッチンに立つと、棚からエールの瓶を持って戻る。
「……買い物、行かないとな」
音量を絞ったスピーカーからアナウンサーの淡々とした声が流れる中、エンドーはカウチに沈み込んでエールを呷った。
数日前から流れ続けている、暴走アンドロイドのニュース。人間にも危害を加える可能性が高いということでアナウンサーは繰り返し、夜間の外出自粛要請を呼びかけている。
実のところ、そのアンドロイドには確保ではなく破壊命令が出ている。シリアルもない所有者不明のアンドロイドを破壊したところで、どこから文句が出るわけでもない。
仕事用の端末を開けば、刻々と移り変わる情報が見られるのだが、あいにくとエンドーの上司は厳密な男で、休暇中の者を呼び戻さなければいけないほど我々は無能ではない、と取り付く島もない言葉が返ってくるのは目に見えていた。
そのアンドロイドの問題は、軍用でもないのに武装しているらしいということだ。武装がなければ頑丈なだけのただの機械だ。打つ手はいくらでもある。
その時、ローテーブルに放り出してあった端末から呼び出し音が鳴り響いた。発信者はリクだ。再会して以来は職場で顔を合わせる以外にもそれなりに連絡を取り合い、たまに一緒に食事をしたり出かけたりすることもあるが、こんな時間帯に、しかも電話をかけてきたことはない。訝しんだまま通話開始を選択した。
「どうした?」
『……急に電話してすまない。相談したいことがある。少しいいか、エンドー』
今まで聞いたことのない声の調子、後ろから聞こえるノイズで外にいるのは分かる。
「個人的なことか」
『そうだとも言えるし、そうじゃないとも言える……今から転送するデータの安全を確保してほしい。今は部屋にいるのか?』
「そうだ」
端末を操作する耳障りな音がしばらく続いた後、壁際のデスクにある据え置き型の端末が受信中のランプを灯した。
カウチから体を起こし、自動で立ち上がったモニターの側へいくと、簡単な暗号化を施されたデータが二つ、ごく小さなのものと、かなり大きなサイズのものとを受信している。
受信が終わった方のファイルを復号すると、複数の口座の情報が入っていた。それも見るからに出所の怪しいものばかりだった。
「なんだこれは……お前が……いや、お前がこんなことするわけがないな。証拠か?」
『……そうだ、証拠だ。だけど、これを事件にしていいものか……迷っているんだ』
もう一つのファイルはまだ受信が終わらない。もう一度それらの口座情報を俯瞰するとロンダリングの形跡が見て取れた。目で時系列を追っていると、あることに気がつく。
これらの企業が関与した事件はどれも不起訴あるいは捜査中のまま証拠不足で放置といった状態だ。そしてそれらの事件を担当していたのは、ただ一人。
「これは……バリィなのか……? あいつは今どこにいるか分かるか」
『……死んだよ』
「……っ! どういうことだ!」
『バリィさんは、殺された……くそっ!』
端末の向こうで奇妙に乱れる息遣いに、エンドーの背を冷たいものが流れた。洗面所に駆け込むとアルコール中和のインジェクターを取り出す。
「リク、今どこにいる! 俺が行くまで動くな!」
『港湾地区だ……詳しくは座標を送る。追っ手がいるわけじゃないから、急がなくていい。ただ……』
「ただ、なんだ」
『まだ誰にも、どこにも知らせないでくれ』
「……分かった。また連絡する」
希望が叶ってエンドーと同じ課に配置換えとなったリクは、エンドーが所属する義体やアンドロイドが絡む事件を主軸に据えたチームとは別の、キャリア組のバリィが率いるチームで日々奔走していた――――悩み、怒り、時には哀しみを見せながらも一人前となるべく走り始めていたのだ。
自身とは正反対のバリィを尊敬し、懸命に後を追いかけていた。
受信の終っていた端末の電源を落とす。いつも通り制服のジャケットを掴みかけて手を止め、その横にかけてあったハーフコートを取り上げる。そしてネットワークの遮断コマンドを実行すると、部屋を飛び出した。
送られてきた座標は、巨大な倉庫が続く港沿いの一角を示していた。
ポシェットに突っ込んでいた革の手袋をはめると、封鎖されているフェンスをよじ登って敷地内に飛び降りる。コンテナの陰に身を潜めたが、どこか遠くから時間を勘違いした海鳥の声が聴こえるだけだ。
端末のアンカーを見ると、管理棟らしき大型の建物を指している。建物の陰に紛れてそこに近づくと、至って普通のドアの周りには明らかに普段から人が出入りしている形跡があった。
認証装置は破壊されている。そっとドアを押すと、軋みながらも内へ向かって開いた。廃墟のような内部を想像していたエンドーは、片付いた様子に拍子抜けした。
「――――誰だ」
聞き慣れた声がする。
「俺だ、エンドーだ」
影の中から滑り出すようにリクが姿を現した。
「……ついてきてくれ」
通路を曲がり、階段を降りる。前を行くリクの背中は薄汚れ、左手を常に覆っているグローブは無残に引き裂かれ、金属の義手が鈍い光を放っていた。
進むにつれて、湿った錆のような臭いが鼻をつく。
地下の奥まったドアを開けると、そこは研究室のようだった。かなり大きなスペースだが、片隅には人が居住していたらしき日用品も見える。
部屋の中央に置かれた巨大な培養槽の向こうに足が見えた。見慣れた制式ブーツの足先。
回り込むと、二人の人間が折り重なるように倒れていた。
腹部を吹き飛ばされ、人工臓器を露わにしているバリィ。そしてその上に倒れ込んでいる、白衣を纏った長い髪の男。その顔は全霊をかけて祈る人のようにも見える。二人の下には流れ出した血が広がっており、どちらのものか、ひと目では判別できなかった。
「……バリィさん、全身義体だって知ってたか」
「いや……」
場違いな世間話のようにリクが言葉を紡ぐ。その空虚さすら感じる声を聞きながら、二人の身体を検分する。
「バリィさんがケヴィンを庇ってやられたみたいだ」
「しかし……バリィは派手にやられてるが……ケヴィンというのか? この男は小口径の銃で撃たれているぞ」
「そうだ……二人を殺したのは、それぞれ違う」
「相手は二人組なのか」
血溜まりを避けて膝をついたままリクを仰ぎ見る。顔は陰になっていて表情は見えなかったが、震える右の拳は何よりも雄弁だった。
「違う。ケヴィンを撃ったのは恐らくイーサン、ケヴィンと一緒にやってた科学者だ。そしてバリィさんをやったのは……」
リクの喉が鳴った。
「……ADAMだ」
「なんだと?」
ADAMという名前は何回も目にしている。民間のニュースでは流れていないが、暴走アンドロイドの名称だ。
「ADAM……俺の、親友だ」
あまりにも突拍子もない話に、エンドーは世界が歪むような心地をおぼえる。
「すまんが、俺にも分かるように話してくれないか」
「先にこっちを見てくれるか。その方が話が早い」
研究室の壁際、ケヴィンが使っていたと思われる寝台の前に案内されると、そこにADAMが横たえられていた。安らかに眠る少年のような顔立ちは、流れてきていた資料映像とは全く違う印象を受ける。
なめらかな頬を涙の跡のようにオイルが伝い、ブランケットに小さく染みを作っていた。
リクは脱力したようにその脇に腰を下ろすと、溢れる言葉のままに事の顛末を語り始めた。
「……それで、お前は大丈夫なのか」
「ADAMが解除したと言っていたけど……ADAMだけに反応するプログラムだったとは思う」
親友と呼んだアンドロイドを破壊した左手を見つめると、握りしめる。
「信じたいところだが、なんとも言えんなぁ」
義体と電脳化した部分を攻撃プログラムの配下に置くなど、にわかには信じ難い。
技術としてはいくらでも可能だろうが、リクが眠っていた間に義手にアンドロイド一体を破壊できるほどの武装を仕込み、そのプログラムを潜ませる。思いつきで出来る行動ではない。
その機会が訪れるのを周到に準備し、待ち構えていたからこそのものだ。その裏に確固たる信念……エンドー自身とは相容れない類の信念を感じて戦慄した。
「だからといってどこで調べてもらえばいいかも分かんねぇし……」
エンドーの脳裏を一人の顔が過ぎった。
私用の端末を取り出すと、短いメッセージを送信する。一分も経たないうちに返信がきた。
「ちょっと行ってくる」
「……どこへ」
呆気にとられた顔がエンドーを見上げる。
「力になってくれそうな人を思いついた。少なくともお前の腕の安全だけは確保しないとな。二時間以内に戻る」
思いのほか早くにエンドーは戻ってきた。ツールバッグを下げた痩躯の青年を連れている。その青年は未だ部屋にこもる血の匂いに表情も変えず、リクを見遣った。
「君か。見せてみなさい」
何の言葉も、感情も挟む余地もない。リクは言われるままに、目の前に跪いた男に左腕を差し出した。
「ふむ、このタイプか……」
そう独り言ちて青年は、ツールバッグからリクも見慣れた義体専用の工具を取り出すと、下腕の外装を手際よく開け、いくつかのセンサーを義手に取り付けていく。
「制御プログラムを一度吸い上げるから左腕が動作しなくなる。手を下ろしていたまえ」
センサーを繋いだラップトップの画面が目まぐるしく変わり始めた。アラートが瞬くたびに青年の指がキーボードを走る。
「予想通りだ。一般的な制御チップをオーバーライドしていた。起動トリガーは解除されていたが誤動作を起こしかねない。デフォルトの制御プログラムに戻しておこう。武装の除去は優先度が低い」
「あっあの……」
完全に調子を狂わされたリクは、助けを求めるようにエンドーに顔を向ける。
「あー……まぁ、専門家だ」
「それは分かるけどよ……」
「私は硲だ。義体と自律型アンドロイドの研究を生業としている」
青年は名乗るだけ名乗ると、ラップトップに視線を戻した。
「えっと……リクです。お世話になります……」
「書き換えには少し時間がかかる。差し支えなければ君の後ろのアンドロイドを見てもいいだろうか」
リクの表情に緊張が交じったが、その視線を硲は平然と受け止めた。。
「正直なところを言うと――――」
青年は立ち上がると、リクに手を貸して寝台から移動させる。
「倫理観よりも何よりも、ADAMをこの目で見たいという好奇心に勝てなかった。無論、エンドーからの紹介でなければ来なかったが」
変わらず静謐なまでの姿で横たわるADAMに、硲は事務的にペンタイプのセンサーを押し当てていく。頭部を重点的に調べたあと、わずかに首を傾げてもう一度チェックする。
「あの、直せたりはしないですか」
「このような簡易検査では何とも言えないが、この状態を修理するくらいならば、一から作ったほうが早いだろう」
「そうか……」
「しかし、感情を搭載したアンドロイドだと聞いたが、一体誰がこのようなものを……まだ誰も限界値を超えられずにいるというのに」
「ADAMの親は、死にました」
硲の眉が跳ね上がり、ゆっくりとエンドーを振り返る。
「硲さん、こっちです。見てもらえますか」
エンドーはまだ折り重なったままの二人の元へ硲を連れて行った。
培養槽を回り込み、惨状を目にした硲の脚が止まる。
やはり民間人には刺激が強かったかとエンドーが後悔を抱いた時、傍らで息を飲む音が聞こえた。
「……ケヴィン」
「硲さん! こいつを知っているのか!」
硲は服が汚れるのも構わず、血溜まりに膝をついた。
「お、おい、大丈夫か」
「ケヴィン……私の、先生だった人だ」
力なく項垂れたまま、硲が呟く。
「そうだ……分かりきっていた。感情AIの完成などという偉業を成し遂げられるのは、この人だけだと……」
長い長い沈黙をアラーム音が破った。リクに繋がったラップトップが終了を知らせている。
それが合図だったかのように硲はさっと顔を上げて立ち上がると、離れて見守っていたリクを振り返った。
「君は先程、直せるかと訊いたな」
「はい、出来ることなら」
「可能性はゼロではない。ケヴィンの作るメモリ構造は大変に特殊で、そして強固だ。つまり、ADAMの記憶、そして感情が残っている可能性は僅かながら有る」
「本当か!」
「しかし現実的ではない。解析するための高度な技術力、豊富な資金に支えられた良い施設、長い時間。そういうものが必要だ」
リクは呻いた。ゼロではない、ただそれだけだ。
「しかも破壊命令が出ているのだろう。どこがそれを引き受けてくれるというのか」
硲は黙ってセンサー類を外し始めた。外装を元通りに留めると、そっと手をリクの義手に重ねる。
「私が言えるのはこれだけだ。ADAMは完全に壊れていない可能性がある。だが、色々なものが足りず、私の手には負えない」
「そう言えば、ケヴィンがADAMの設計書を送ってくれてました」
硲の目が見開かれた。リクが端末に届いたメールを見せると、食い入るように読み進める。ややあって顔を上げた。
「リク、私にもこの全てを見せてもらえないだろうか」
即答できずにエンドーの方を見ると、わずかに頷いたように見える。
「いいですけど、でもなんで……」
「これは私にとってケヴィンの遺書であり、彼からの最後の課題だ……これを紐解きたい。そしていつか自分の力で、ADAMを超えるものを作りたい」
「……分かりました。もし、ADAMについても何か分かれば、俺にも教えてください」
「もちろんだとも」
そう言って硲は微かに笑った。
「エンドー、君には感謝している」
「何を言ってるんですか。こちらこそ夜中にすみません」
「ずっと消息不明だったケヴィンに最後に会えたこと、そして目指すべき、より高い頂きが見えたこと。君が私に声をかけてくれなければどちらも起こらなかったことだ」
「俺からも、有難うございます」
リクに頭を下げられて、硲は少し考え込むような様子を見せた。
「……ケヴィンを殺した者の見当はついているのか?」
「ああ、ほぼ間違いなく共同研究者のイーサンという男だ。ADAMをこんな目に合わせたのも、俺の腕を改造したのもそいつだ……絶対に許さねぇ」
「イーサンという名に心当たりはないが、これから捜査するのであれば手がかりになりそうなことがある。恐らくこの先、ケヴィンの技術を資金に変え始めると考えられる」
「なるほど。その技術の出処を追えばいいということか」
「ただし、技術が世界に放たれれば、君達が使える時間はほんのわずかだ」
ケヴィンの高度な技術が世に出れば、一瞬で社会を変えていくだろう。
人間と同じ社会で無理なく動作するためにヒトガタという規格で造られた、精巧な機械人形たちが感情を得る。
多くのアンドロイドたちがそうなった時、ADAMのように人を友と呼ぶのか、あるいは――――
「警察官らしく、地道に捜査するしかないな……しかしバリィがこうなってしまっては、少し混乱が起こるだろうな」
エンドーは腕を組んだまま、室内を見渡した。いつまでもここで話しているわけにもいかない。本庁に連絡するにしても、手順を誤れば面倒なことになるのは目に見えている。チェスのように何手も、何十手も先を見越して動かなければいけない。
「エンドー、俺は……俺はこのままイーサンを追う」
「リク! お前、正気か!」
「当たり前だ。このまま戻ったって捜査に加わらせてもらうどころか、供述取ったりなんだりで蚊帳の外だ。一刻も惜しい」
「こんな言い方はしたくないが、お前みたいな若いの一人で何が出来るっていうんだ! 大体、ここで離脱したらお前が犯人扱いされてもおかしくないんだぞ!」
「なぁエンドー、俺が戻ったってADAMは単なる証拠品だ。うちの鑑識なんてスクラップにして終わるに決まってるし、良くてせいぜい倉庫に押し込まれて錆びてくだけだ。そうなれば……直せる可能性は、完全にゼロだ。」
エンドーが一歩を踏み出した。リクも睨みつけるように頭を振り上げる。
「自分が何を言っているのか、本当に分かっているのか」
「分かってる。俺はADAMを、親友を諦めない……そしてあいつも許さない」
「俺が、力づくで止めると言ったら?」
「エンドーが相手だろうと、俺は引かねぇ。約束したんだ……ヒトと機械が分かり合える未来を作るって……」
固い意思に燃えるリクの瞳がひたとエンドーを見据えている。躊躇するエンドーの腕に、硲がそっと触れる。突然のことに張り詰めた空気が乱れた。
「君ならば彼を行かせてやれるのではないか?」
「硲さん、何を……」
硲は懐から小さなカードを取り出すとリクに差し出した。
「私の連絡先がチップに入っている。持っていきなさい。私は研究者でしかないが、だからこそ力になれることもあるだろう」
小さく国立研究所の名称と、硲のサインが印刷されている。それをリクは黙って受け取った。
「さて、エンドー。私はいい加減に就寝時間を過ぎているのだが」
エンドーが大きなため息をついて天井を仰ぐ。
「……分かりました。送っていきますよ」
二人が踵を返す。その背に絞り出すような、今にも泣き出しそうな声が投げかけられる。
「……ありがとな、エンドー」
エンドーはその後、再びリクの姿を見ることはなかった。
同好会の連中に駆り出されて、エンドーは久しぶりにエアシュートのフィールドに立っていた。
朝からトーナメント形式で試合をいくつかこなし、いつの間にかガラスドームからは傾き始めた太陽の光が差し込んでいる。
今はもうあの頃のように、思うままに翔ぶことはできなくなった。
それでも時折、フィールドの端に、パスを出す先を探す視線の先に、細い体を自在に浮かべる少年の姿が見えるような気がする。
硲の予想は当たっていた。新たな技術を悪用したアンドロイドによる犯罪はあっという間に増え、以前から噂のあった通り、エンドーが所属していたチームはアンドロイドや義体との戦闘に重点を置いた公安傘下の部隊、K.G.Dとして新たな立場を得た。
エンドー自身も部下を抱える身となり、捜査と訓練と指導に追われる毎日を過ごしている。
その多忙な時間の中で、部下たちの無鉄砲なまでの正義に燃える姿を見ていると、必ずといっていいほどリクのことを思い出した。
――――リク、元気でやっているか。
違う道を歩んでいても、正義と信念を手放さなければいつかは会える。
そう信じてエンドーはステップを思い切り蹴り、茜色に染まり始めた空を翔んだ。
― 了 ―