かごの大錬金術師 作:Menschsein
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カシェバは困惑していた。
どうやら自分の中に、タブラ・スマラグディナという人物が眠っているらしい。
その人物はどうやら自分が眠っている時に現れている。
ポーションと金貨を自分の部屋に置いたのも、どうやらこのタブラ・スマラグディナという人物であるらしい。
そして、そのタブラ・スマラグディナという人によって、自分の人生は大きく変わった。
ボロボロの部屋に住み、貴族の屋敷から出されるゴミを集めるという仕事。貧しかった。
それが、ポーションと金貨を”闇”に流したことにより、ラナー様の目に留まり、そしてこの孤児院で住み込みで働けるようになった。俺は幸運を掴んだ。
十分な食事がある。
寒さを凌ぐことができる。王都は冬だけれど、朝起きたら体が氷のように冷えていた、ということもなくなった。
それに、俺はラナー様から文字を教えてもらった。自分が教育を受けられる。夢のような話だ。
『ラナーは、孤児たちに文字を教え、武器の使い方を教え、魔法を教えている。その孤児たちを利用して、国家の転覆を目論んでいる』という心ない噂を流している貴族がいるらしい。そんな噂をクライムは耳にすると、いつも難しそうな顔をしている。
クライムも昔は浮浪児であったそうだ。路上で死ぬ寸前であったところを、ラナー様が助けてくださったそうだ。
『身元の分からない浮浪児を、自分の護衛の騎士にしているのがその何よりの証拠だ!』とも悪い噂を流す貴族は言うらしい。
ラナー様がそんなことを考えていない、ただ、純粋な優しさ、愛から、この孤児院を作り、そして子供達を保護しているのは明確だ。俺はそれを分かっている。クライムもそれが分かっているのだろう。
だが、そのラナー様の純粋な動機を、浮浪児であった自分が護衛をしているという事実で、ねじ曲げられてしまうのが口惜しいのだろう。歯がゆいのだろう。クライムは難しい立場にいる、ということは俺にでも分かる。それに……クライムが叶わぬ身分違いの恋をしているということも分かる。気づいていないのはラナー様だけなのではないかと思う。
クライムとラナー様が、夫婦として一緒に生活する未来はあるのだろうか?
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そう。そうなのだ。この光景はまるで、新婚夫婦とでも言えば良いような光景だ。
3週間前であろうか。突然俺の目の前に現れたアンデット。実は、この人は、今、この世界を騒がせている魔導王その人であった。エ・ランテルで建国し、帝国を属国化した。先の戦争では、強大な魔法によって、王国の兵士を一瞬にして殺した。この孤児院には戦争孤児もいる。何人かの子どもにとって、親の仇であるだろう。それに、この魔導王は一騎打ちで、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフをも殺したらしい。王国最強と言われていた王国戦士長をである。
だけど、魔導王はずっと落ち込んでいるような感じだ。表情は骸骨だから分からないのだけど、ため息を四六時中吐いている。
「やっぱり俺には無理だったんだ……」なんてことを独り言のように呟いている。
でも、魔導王だ。王様だ。そんな人が……どうして俺の近くに四六時中いることになってしまったのか……。俺が、寝るときまで俺の部屋に来て、じっと俺の様子を見ている。いつ俺の中に眠っているタブラ・スマラグディナという人が現れるか分からないから、四六時中俺の近くで待機しているらしい。
そして、俺の傍でずっと俺を見張っている魔導王様。そして、その横にはサキュバスが仕えている。アルベドという名前なようだ。魔導王の従者かメイドだろうか。今をときめく魔導王の従者ということだけあって、ラナー様とは違った魅力を持った、とても美しい女性だ。
「モモンガ様。朝ご飯にされますか、それとも、
「アルベド……お前も知っての通り、アンデットは飲食不要だ」
「と、ということは、朝ご飯ではなく、
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「モモンガ様! 私は裁縫ができます! お召し物のボタンが取れそうなところはありませんか? それとも、
今日は、アルベドというサキュバスは、裁縫をするようだ。嬉しそうに、刺繍されたデザインを魔導王に見せている。
アルベドの胸元の意匠を元にされた……。俺には、それは、蜘蛛の巣にしか見えない。魔導王の紋章が、蜘蛛の巣に捕らえられているとしか思えないようなデザインとなっているのだけど……不敬とならないのだろうか……いや、王様の紋章のことなんて分からないし、俺の気のせいかな?
「アルベド……お前も知っての通り、この服には自動修復の魔法が付加されている。ボタンが取れそうになることなどない」
「くふぅうぅうう〜。ということは、
『あなた邪魔だからどっかに行きなさい』というような視線だ。このサキュバス、魔導王を見るときは、目がハートになっているような感じだけど、俺を見るときの目はもの凄く冷たい……。
俺もどっかに行けるなら行きたいよ。孤児院の椅子と机の修理をしようと思っていたのだけど、それも魔導王が来てから、それが出来ていない。雪ももうすぐ積もるだろうから、屋根も更に補強しておきたいのだけど……。
・
今日も一日が終わる。俺は、ベッドに横になる。だが、落ち着かない。それはそうだ。部屋の隅の方の椅子に、魔導王が座っているのだ。そして、赤い目で俺を静かに見つめている。
「カシェバか?」
「はい……」
「そうか……」
魔導王と俺は、その会話がほとんどだ。どうやら魔導王は俺には用がないみたいだ。いや……用があったら困るのだけど……。
「モモンガ様! 夜です。お休みの時間です。お休みになられますか? 最近は冷えます。よろしければ私の肌でお温まりください」とアルベドは部屋に入ってきていう。ここは俺の部屋なんだけど、ノックとかしないで勝手に入ってくる……。
「アルベド……お前も知っての通り、アンデットは睡眠不要だ。それに、肉体ペナルティ耐性を能力として有している。冷気にも強いのだぞ?」
「そうですね……ですが……万が一がございます。ですが……モモンガ様もおっしゃっていたではありませんか。病気に対する完全耐性があるけれど、それすら突破する病気があるかもしれないと……ですので、私に予防薬を……」
俺は、布団を頭まで被る。アンデットとサキュバスのキス。俺は何も見ていない。