僕も曲がりなりにも子供の父親だったので、妊娠や出産を迎えた知り合いや後輩にはこう言っておく。

「子供は2歳までは我慢。どれだけ泣いてぐずっても我慢。だって本人の脳がまだ未発達で、何が不快なのか自分で理解できないのよ。だから泣き続けるんや。これは親が我慢してやるしかない。2歳を越えたら子供は自分の感情を理解し始め、段々と意思表示をし始める、感情を持った人間に段々となるんや。だから、たった二年だよ?じゃあ我慢しなきゃ」

この説は相当説得力があるらしく、皆神妙に聞いてくれる。

自分の記憶でも、あるいは親戚の子供を見ていても、こういう光景を目撃してないだろうか?
ずっと泣いて、暴れている。何に当たっていいか解らず、自分のおもちゃに当たる。
結果、壊れる。
それを見て、またワアワア泣く。

2~7歳児によくある行動パターンだと思う。
ウチの甥を見てても良くあった。


僕はこの情景を、そのまま『WUG』に当てはめることができると、最近思うようになった。
僕は例えるなら10歳児ののび太で、取られたおもちゃを壊され、悲しく思い、せめて返せよ!と訴えている。
理屈以前に、感情の流れがちゃんとできている。
その相手は、当然だが同じ年齢のジャイアンやスネ夫だと思っていた。

しかし、どうも感覚的に違う。

これ、つまり2歳児に取られたんじゃないか??

だから自分で壊して自分で泣いているのだ。
こっちの方が、イメージしやすい。


「感情の劣化」とは、すなわちこういうことを指すのではないだろうか?

普通大人になれば、筋や道理を徹底して行動できるはずだ、と思いたい。でもなかなかそうはいかない。
それが理想論だとしても、次に出てくるのは「利害事情」だ。

「大人の事情」とは、この「利害事情」を勘案しているものだと、常識ある人間なら皆思う。

しかし、特にアニメ業界においては、さにあらず。
「大人の事情」とは、感情の持って行きどころが解らない「2歳児」が、中心になってワアワア泣き散らし、周囲の人々を困らせている状況だ、と断言しよう。

だから不可解なのだ。

筋や道理以前の問題として、彼らは自分の感情すらコントロールできない、あるいは自分の感情がどうなっているのか、心のどこにあるのかすら見つけられないという存在なのだ。
大人でこれは異様だ。
だから傍から見ているとさっぱり意味不明で、「はぁ?」といった顛末になる。

皆これを道理や因果論、利害論で考えようとする。しかし、いや待て待て。
こいつら、ただの「2歳児」なんじゃね?


宮台真司の提唱した「感情の劣化」だが、僕はどこかに違和感を感じていた。
それもようやく解った。

「劣化」ではない、「未発達」なのだ。
「2歳児」の状態なのだ。

「感情の未発達」と呼称するのが正解なのだ。


これさえ解れば、身の回りの様々な狂った状況を理解し、対応しやすくなるかも知れない。

まぁその前に、関わりたくないと思うのが人情だろうが。