分限裁判の記録 岡口基一

分限裁判の記録です。研究者の方向け

最高裁に提出する主張書面の追加内容です

多くの方から、表現の自由の侵害についても触れるべきであるとの意見をいただきましたので、以下の内容を追加することにしました

 

 

 

第3 本件申立てが表現の自由を侵害するものであることについて
1 本件申立ては,私が東京高等裁判所長官から長官室で厳しく叱責された直後になされたものです。
 私は,林道晴東京高裁長官から,長官室に呼ばれ,ツイッターを止めなさいと強く迫られました。そのときの状況は,本件において申立人が提出している「報告書」(平成30年7月4日付け吉崎佳弥東京高等裁判所事務局長作成の東京高等裁判所分限調査委員会宛のもの)にも記載されています。
 実際の長官の発言は,この「報告書」に記載されているような穏やかなものではなく,大変に厳しい口調での叱責でしたが,その点はさておいて,この「報告書」の記載に従って主張したいと思います。
2 本件ツイートがいかなる理由で問題があるのかは,申立人の主張が明らかではないところですが,仮に何らかの問題があったとしても,それを理由に,ツイッターにおけるツイートを全て止めさせるというのでは,表現の自由の侵害に当たることは明らかです。
私は,もちろん,このような理不尽な要求を拒否しました。私は,自分の権利すら守れない法曹が,他人の権利を守れるはずがないと考えているからです。
 なお,雑誌「週刊現代」は,本年9月6日号127頁において,最高裁判所当局が,国会に対し,私のツイッターを止めさせることを約束したとの見方を報じていますが,その真偽は私にはわかりません。
3 私がツイッターを止めることを拒否したところ,長官は,それならば,分限裁判にかけるしかないと言い始めました。「報告書」においても,長官が私に対し「ツイートを続けるということであれば,それを前提にして分限裁判を検討せざるを得ない。」「これからは分限裁判も含めて検討することになる。」などと繰り返し告げたことが記載されています。
 さらに,「報告書」にも記載があるとおり,同席していた東京高裁事務局長が,私に対し,「これまでとは違う局面に入ることを予告されているのは認識できているか」「ツイートを止めれば,それはそれで一つの姿勢を示すことになるというアドバイスをもらってることは認識できているか」「そのアドバイスを断ったという認識はあるか」と尋ねました。私がツイートを止めると言わなかったため,これまでとは違う局面,すなわち,分限裁判に入る旨を長官が予告されたものであることを,事務局長が解説してくれたのです。
4 さらに,「報告書」に記載があるとおり,長官は,私に対し,「仮に裁判官を辞めることになってもツイートは止めないのか」と尋ねました。これは,私がツイートを止めなければ裁判官を辞めることになる旨を告げて,私を脅したものです。
もちろん,分限裁判で裁判官を免職させることはできませんが,本件において戒告や過料の裁判がされた後に,長官が,そのことを理由に私に圧力をかけ,心理的に辞職に追い込む意思があることを明らかにしたものと私は受け取りました。
5 なお,「報告書」において,長官は,私が本件民事訴訟の判決文を確認しなかったことを非難していますが,ネット上で報道された,事件番号も当事者名もわからない事件について,関係者以外の者が,その判決文を読むことができないことは明らかです。判決文を読まなければその裁判についてツイートすることができないというのであれば,およそ裁判に関するツイートはできないといわざるを得ません。
6 以上のとおり,本件申立ては,私がツイートを止めないことから,これを止めさせるための手段としてなされたものですから,本件申立てそのものが,私の表現の自由を侵害する違憲・違法なものというべきです。 

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  • 感動した!!

    「私は,自分の権利すら守れない法曹が,他人の権利を守れるはずがないと考えているからです。」

    こんな裁判官が,ニッポンに,たとえひとりだけでもいることに,オレは,今,猛烈に感動している。

  • id:flistius

    「自分の権利すら守れない法曹が,他人の権利を守れるはずがない」というレトリックは文学的で面白いものの、必ずしも論理的とは言えません。なぜかといえば、自分の権利を守る能力と他人の権利を守る能力に因果関係があるとは限りませんから。

    他の職業で言えば、自分の健康を守れない不摂生な医師でも他人の健康を守ることはできる、それと同じです。

  • 結局

    今回のツイートそのものや今までの注意の経過については、正面からの説明をほぼ何もしない態度に終始されるようですね。
    プライベートの気軽な話題ならともかく、実際の事件の判決について、しかも直近に深刻な場面で抗議があった経過にもかかわらず、事実関係や言い分をよく確認して慎重な言動をする姿勢も当事者・関係者の心情に注意を払う姿勢も示されない。せめて法的に名誉毀損などの違法な行為には当たらないという主張を尽くすくらいは可能であろうに、その積極的主張も全くない。それで「自分の権利」「表現の自由」の侵害だけは明らかなどと訴える。
    このような主張をすることが、果たして裁判官として適切な対応なのでしょうか。
    しかし、もはやこのような主張の評価を含めて、最高裁の判断を待つしかないのでしょう。

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