近年、粉ミルクがよいとされた昔とは反対に母乳育児推進が主流となり、「母乳は素晴らしい」「粉ミルクはよくない」という情報があふれています。
確かに母乳はよいものです。しかし、母乳は出にくい人もいれば、なんらかの事情であげられない人もいます。それなのに母乳に関する書籍やブログなどのほとんどは、母乳を過大評価する一方で、粉ミルクにはふれないか欠点だけを並べ立てるのみ。公平な視点に欠けています。これでは当然、「赤ちゃんに最良のことをしてあげたい」と考えるお母さんは、心身ともにバランスを崩しやすい時期であることも手伝って追い詰められがちでしょう。
実際、母乳を過大評価する医療従事者(主に助産師)や周囲の人に「母乳じゃないと」という価値観を押し付けられ、つらい思いをするお母さんはとても多いようです。2015年7月には、安全性が確保されていない母乳がインターネット上で売られていたことが報道されて話題になりました。安全性が担保されていない母乳を手に入れようとするほど、思い詰めるお母さんもいるのです。
このような状況に、私は以前から問題を感じていました。そこで2015年11月25日、兼ねてから母乳育児推進の問題点について共に話し合ってきた産婦人科医の宋美玄先生、担当編集とともに『母乳でも粉ミルクでも混合でも! 産婦人科医ママと小児科医ママのらくちん授乳BOOK』という本を出したばかりです。これは授乳中の方、また医療者向けの実用的な本ですが、今回は母乳育児推進の問題点について書いていきたいと思います。
粉ミルクから母乳へ
日本初の粉ミルクは大正5 (1917)年に発売され、徐々に一般の人たちに普及しました。粉ミルクが開発される前、母乳の出ないお母さんたちは大変苦労したはずです。他人からもらい乳をするとか、コンデンスミルクや牛乳を薄めたもの、重湯や米のとぎ汁といったものを与えるしかなかったという記録が残っています。子どもに必要な栄養を与えられる粉ミルクの登場は、とても喜ばしいものだったでしょう。
団塊の世代がベビーブームに突入した1970年代に粉ミルクの消費量はピークを迎え、母乳栄養の比率が低下して、混合栄養や粉ミルク栄養の比率が増加しました。「粉ミルクを赤ちゃんに与えるのは、母乳育児よりも先進的かつ合理的で、栄養面からも好ましい」と考える人も多かったようです。
ところが実際はそうではなく、母乳には粉ミルクにない利点が多くあります。母乳には免疫グロブリン、サイトカイン、成長因子といったさまざまな成分が含まれているため、免疫機能が未熟な赤ちゃんにとって感染症予防に役立つのです。衛生状態、栄養状態のよくない発展途上国だけでなく、先進国の中産階級においても約3倍も入院のリスクが下がることがわかっています(※1)。また、母乳は赤ちゃんの消化吸収能力や腎機能に最も適していることも確かです。
(※1)Jay Moreland, M.D., and Jenifer Coombs, P.A.-C., Am Fam Physician. 2000 Apr 1;61(7):2093-2100.
さらに母乳育児は、母親側にもメリットがあり、子宮の回復や体重減少を助け、月経の再開を遅らせます。
そこで、WHOとユニセフは1989年に、「母乳育児成功のための10か条」という共同声明を発表しました。以降、世界的に母乳育児を推進する世論が高まり、日本でも医師、助産師、栄養士を中心に母乳育児に対する指導が加熱しています。その一方で、母乳育児推進には問題点も見られるようになってきました。
問題点1 専門家が少なくデマが多いこと
まず、正しい情報を伝える専門家が少ないため、母乳に関してはさまざまな都市伝説や迷信が広まっています。
例えば、「質の悪い母乳や粉ミルクを飲むと、赤ちゃんの髪が逆立つ」、「粉ミルクだと必ずアレルギーや発達障害になる」などは根拠のないデマです。
そのほか、母がとった食事と乳腺炎には関連性がないという研究結果(※2)があるにもかかわらず「乳製品や脂肪分の多い食事をとると乳腺炎になるから、和の粗食にするべき」という迷信が当然のこととして広まっています。
(※2)ABM臨床プロトコル第4号乳腺炎(2014年改訂版)ABM Protocol Committee
「ファストフードを食べると、母乳がしょっぱくなる」などという、母乳の味についての説を耳にしたことがある人も多いでしょう。しかし、母乳中の乳糖とナトリウムの濃度は、母の食事に関係なく一定なのでデマです。「母の食事が悪いと、乳児湿疹が出る」などという人もいますが、乳児湿疹は子ども自身のホルモンが原因で、スキンケアが適切でないと悪化するものの、やはり母の食事とは関係ありません。
そのほか「母乳を与えている間は、薬を一切とってはいけない」という説もありますが、これも間違い。授乳中でも飲むことができる薬は、たくさんあります。
これらのデマを広めているのは、一般の人だけではありません。知識をアップデートしていない助産師や保健師、医師が広めていることが多々あります。ときにそういうデマ情報を伝える医療関係者は、母親に対して「母乳がまずいから赤ちゃんが飲まないんだ」などと高圧的であったり、「母親なら努力しないと」などと母を怠惰だと決めつけたりして、罪悪感を与えて追い詰めることもあるようです。【次ページにつづく】
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