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「歴史の大転換」を論じた『徳政令』執筆にいたるまで

なぜ「大風呂敷」を広げたのか

もともと想定もしていなかった

この度、上梓した『徳政令——なぜ借金は返さなければならないのか』(講談社現代新書)は、借金の帳消しが徳政と呼ばれ、あまつさえ借りたお金を返さないことが徳政令で公認までされた中世社会から、借りたお金は返すのが当然であるという、現代にも通じる社会がどのようにして生まれたかを論じたものである。

ここでは、なぜ私がこのような歴史の大転換を論じるという「大風呂敷」を広げるに至ったかを、執筆経緯とからめつつ述べていくが、それにあたり、そもそも自分が『徳政令』という本を書くこと自体、想定してもいなかったことから告白しなければならない。

デビューした学術論文の一つでは、本書でもとりあげた分一徳政令という「奇妙な法令」がいかにして制度運用上、軌道にのったかについて考察していたから、傍目からは、いずれ研究対象が徳政令へと向かうように見えていたのかもしれないが、本人には不思議なほど、自覚がなかったのである。

分一徳政令とは、借金を帳消しにするかわりに、負債額の何分の一かを分一銭という名目で室町幕府が頂戴するという法令である。

幕府が借金の上前をはねる点と、のちに債権保護も認定対象とする法改正を行うなど、政策上のモラルを全く感じさせない内容から、研究者の評価も低く、社会的影響力も、ほとんどなかったと見なされてきた。

ところが、分一徳政令が何度か出されるなかで、幕府に納める分一銭が10パーセントから20パーセントに値上げされており、この事実に注目した私は、申請者の数も勘定した上でこの法令が多くの人々の関心を引きつけた社会的影響力の強い法令だったことを明らかにした。

需要が高かったから値上げできたとの見通しが当たったわけであり、要はお金がからむと、政策の倫理や整合性などはおかまいなしに、人は自己利益に邁進することを、歴史学の手法から指摘したわけである。

 

原稿の依頼をきっかけに

こうして研究を振り返ってみても、徳政令そのものに向き合うことは、必然だったことに今更ながらに気づかされるが、このことを再発見できたきっかけは、原稿の依頼だった。

桜井英治氏が担当編者だった『岩波講座 日本歴史 8』(中世3)で与えられた課題は、本書のテーマそのものずばりの「一揆と徳政」であり、またそのあとに依頼を受けた中林真幸氏が担当編者の『岩波講座 日本経済の歴史 1』では、中世の土地売買の制度的保証や金融業の変遷などをテーマに執筆を求められた。

徳政を求める側(一揆)と、求められる側(土倉と呼ばれた金融業者や室町幕府)の両方を、腰を据えて検討する機会を与えられたわけであり、これら眼前の課題に向き合うなかで、『徳政令』の展望もひらけてきたのである。