ディーセント・ワーク

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全部、ご先祖様のおかげ!?「未来のミライ」ネタバレ感想

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なんとなく漏れ聞こえる評判の数々から、細田作品をきちんと見ることは生涯ないだろうと思っていたのだけど、何の因果か鑑賞の機会に恵まれて見てきた。これから書くことは大変批判的な内容なので、ファンの方はどうかお目を汚さず、自分の中の大切な「未来のミライ」を守って頂きたい。

ちなみに、TVでやってた「サマーウォーズ」を所々チラ見、くらいがこれまでの私の細田作品鑑賞歴である。


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両親の愛情を独り占めしていた4歳児の主人公くんちゃんは、妹・未来の誕生によって両親の愛情を奪われたと感じ、激しい嫉妬心からことあるごとに幼い妹をいじめてしまう。
そんなくんちゃんの元に、人間の姿になったペットや、未来の妹が現れ、過去や未来へタイムスリップする中で成長し妹を受け入れるというのが基本ストーリー。
自転車に乗れるようになるとか妹の存在を受け入れるとか、それくらいの話は現実の日常の中で解決してもらえます? ほとんどのお宅はそうしてるんで…と思わなくはないが、それは作品の根本を否定することになるからとりあえず譲るとして、この作品で描かれる価値観の数々は私にとってあまりにも承服しがたいものだった。ビックリした。ぶっ飛んだ。

諸々の不思議な点、ツッコミどころは山ほどあるのだけど、特に「無いわ!!!」と思った部分だけを紹介する。

全体に5つのエピソードに分かれている中で、未来のミライちゃん、つまり成長した姿の妹が現れる2つ目のエピソード。
未来の世界から子孫なり成長した家族なりがやってくる場合、このままでは両親が結婚せず自分が消えてしまうとか、誰かが事故や事件で死んでしまうとか、世界が滅びるとか、超ド級のピンチを回避するためにやって来るのが通常だ。
ところがこの未来ちゃん、何のためにやってくると思います?
お父さんがひな人形の片づけを忘れているから、このままじゃ婚期が遅れてしまうと焦ってやってくるんですよ。
‥‥‥は?
いや、だから、お父さんがひな人形の片づけを忘れていて、このままじゃ婚期が遅れてしまうと焦ってやってくるんですよ。
‥‥‥‥‥ハイ??
ええ、そうなんです。酷いんです。しかも、少なくともこのエピソードの未来のミライちゃんは限りなく生霊に近いというか、乳児である現実のミライちゃんと同一の存在と思える描き方なので、乳児が婚期の遅れに超焦って生霊を飛ばしたように見える。
その乳児の生霊が、不機嫌な兄を必死であやしてケアしながら協力を取り付け、ひな人形を片付ける大スペクタクルを始めるわけ。婚期が遅れるからって。乳児が。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ハイ?
細田作品がかなりセクシズム強めという噂は聞いてたし、今回の主人公を男児に設定したのも「同じ4歳でも女児はもうかなり大人だから」とインタビューで語っていたそうなので、セクシズムは覚悟の上で観たんです。
でもこのエクストリーム展開、想像のはるか上を行く酷さでした。呆気にとられました。西暦何年の映画なんだこれは。夫が家事育児を担う設定だろうが、こんなトンデモセクシズム発動されたらお釣りをいくらもらっても足りないよ。
ちなみに未来のミライが制服姿である理由もまったく説明されない。必然性もない。もしかして細田守って人は、10代の女は制服が皮膚の一部だとでも思ってるんだろうか。


話は進んで、4つ目のエピソード。
補助輪を外した自転車に乗れず苛立ったくんちゃんは、過去の世界で若き日の曽祖父に出会う。祖父じゃなくて、最近亡くなったらしい曽祖父というのがポイント。
前半のシーンで、曽祖父は戦時中に負傷して足が悪かったと明かされており、歩き方を見るだけで曽祖父だと分かる作りになっている。
曾祖父のバイクに乗せてもらい、「乗り物のコツはみんな同じさ。バイクでも車でも飛行機でも、一つ乗れたらみんな乗れる。」みたいな大変納得しずらい話を福山雅治ボイスで聞かされるくんちゃん。
この作品に出てくる過去の世界は、キーパーソンになる親族一名以外には人物が出てこない(出ても影と音声だけ)作りになっていて、現実の過去ではなく概念上の過去という感じ。だから、くんちゃんが曾祖父と過ごすシーン全体が、なんか幽霊と話してるみたいに感じられてくる。そして私の頭には、自然に「英霊」という言葉が浮かんだわけです。
ま、でもこれはね、私の過剰に左翼的な思想がそう感じさせているだけの、偏った左翼ビジョンだろうとは思うんですが。

現実世界に戻ったくんちゃんは再び自転車に挑戦。曽祖父のアドバイスを思い出して、ついに補助輪なしで乗れるようになる。
この展開、すげえ気持ち悪いなと私は思いました。何故ならこのエピソードの序盤、自転車に乗れないくんちゃんを見かけた小学生くらいの少年たちが、乗り方を教えようと声をかけてくれるのです。ここを見て私は、ああなるほど、これで家族という補助輪を外し、外の世界の他者によって成長するんだなと思ったわけ。
ところが、少年たちの励ましは全くの徒労に終わり、ご先祖様のありがたいお言葉でくんちゃんは成長してしまう。これほど血縁者との関係だけに閉じた成長モノは珍しいんじゃないだろうか。
これまでに描かれた3つのエピソードでかなり異常な経験をしてるにも拘らず、くんちゃんは一切変化していない。初めて具体的に変わるきっかけが、戦争を生きた亡き曾祖父の教え。しかも、この曽祖父は特攻隊員として出撃しながら奇跡的に生き延びた人物であることが明かされる。
ここで再び、私の頭には「英霊」という言葉が浮かんでしまった。戦争体験者に影響を受けて成長すること自体は勿論よい。でも、本作に出てくる曾祖父は映画が始まった時点ですでに故人で、生きた人というよりもイメージ映像みたいとでも言えばいいのか、なにか象徴的なアイコンとして扱われているような印象なのだ。


話は進んで、くんちゃんが未来の東京駅へとタイムワープする最終エピソード。
助けを求めて遺失物係にたどり着いたくんちゃんは、受付ロボットに迷子だと訴える。ここでロボが「では、失くしたものは自分自身というわけですね?」だの、「自分で自分を証明する必要がります」だの、テーマそのものみたいな超恥ずかしい台詞を連発するのは許すとしよう。
どうやらこの世界では、自分で自分を証明できないと「ひとりぼっちの国」なる恐ろしい場所へ連れていかれ、自分を証明するためには家族の名前を申告しなければいけないらしい。
ところが、くんちゃんは幼さゆえに(?)父母の名前を言うことができない。
このシチュエーションが昨年公開されたディズニー映画「リメンバー・ミー」に似ていると感じる人は多いんじゃないだろうか。ただ、"家族や祖先の存在だけが自分を規定する"という価値感に対して「リメンバー・ミー」がそれなりに距離を取っていたのに比べ、この作品では完全にゼロ距離で肯定されてしまう。

両親の名前を言えなかったために自分を証明できず、「ひとりぼっちの国」へ連れて行かれそうになるくんちゃん。自分を引き込もうとするホラー列車から必至で逃げる中、妹の未来(乳児)が同じく電車に引き込まれそうになっているのを発見する。最後の瀬戸際で、あなたは誰かとの問いにくんちゃんは叫ぶ。「くんちゃんは‥‥未来ちゃんのお兄ちゃん!!!!」
すると遺失物係は「未来ちゃんのお兄ちゃん」を彼の存在証明として認め、解放するのだ。
くんちゃんはまだわずか4歳だ。自分が何者かを考えたことも無い幼児に、家族役割こそがお前のアイデンティティだ、それを失えば恐ろしいところへ連れていかれるぞと教え込む。あまりにもグロテスクな展開ではないか。
私がドン引きしていると、解放されたくんちゃんの元に再びセーラー服姿の未来が舞い降りる。で、なんかカラフルな家系図みたいのが張り巡らされた超空間にくんちゃんを連れて行き、私たちの親や祖先が少しでも違う行動を取っていれば私たちは生まれなかった、過去の些細なことが積み重なって、奇跡的に私たちは生まれたのだ、みたいな大演説をする。
‥‥なにこの濃度100%の血縁主義。
しかも、過去のエピソードが最も細やかに描かれ、かつ決定的に生命にかかわる経験をしているのは曾祖父だけだから、どうしたって、戦争を戦った人のおかげで今の私たちがある的な、やっぱり英霊という言葉が浮かばざるを得ないものを感じてしまう。

わずか4歳にして、先祖代々血が受け継がれてきたことの大切さを知ったくんちゃんは、ついに「兄」という家族役割を受け入れ、自分の食べていたバナナを妹にわけ与える。
噂には聞いてたけど、今時こんなバリバリの血縁主義、旧態依然とした家族役割、性役割を賛美しておきながら、未来に向けた新しい家族の話だと公言してる監督…激ヤバじゃない…?