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2018-08-28

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・嘘を混ぜたり、飾ったりせずに、
 亡くなった人のことをほめることができたら、
 それがいちばんいいと思う。

 人は、真善美に合わせて生きているわけではなく、
 その人なりに過ごしていたら
 それが結果的に「これ、真善美みたいじゃない?」
 というあたりに落ち着いてしまうだけだ。
 そういうのでなかったら、真でも善でも美でもない。

 さくらももこさんと、ずっと会ってなかった。
 いつのころからか、彼女が、じぶんのことを語る機会や、
 外に出ていろんな人とやりとりすることを
 意識的に減らしているように見えていた。
 別の用事で、さくらさんの仕事場のドアの前を通った。
 呼び鈴を押して驚かせようかなぁと思ったのだけれど、
 なんとなく、それをしていいのかわからなくて、
 わからないときはやめておこうと、素通りしてしまった。

 若くて元気な時代のさくらさんの心持ちは、
 ほんとうに繊細であり愉快であった。
 「繊細であり愉快」だって? 
 こんなふうに漢字の熟語を並べて、
 まとめたように見せてしまってはだめだな。
 感じること、思うこと、考えることが細かくて丁寧で、
 しかもそれがおもしろい方を向いていた、と言うべきか。
 「芥川賞を爆笑もので獲れないかと思ってさ」と、
 本気で言っていたことがあった。
 わかっていて「いい気になってる」ようにしていた。
 人は、怖がりでこころの小さいところからはじまって、
 「いい気になってる」を繰り返して大きくなる。
 舞台に上がるとは、そういうことなのだろうと思う。

 そして、たぶん、さくらももこさんは、
 そういう「いい気になってる」ことで動いていく舞台を
 あるとき、じぶんから下りたのだと思う。
 しかも職業としての仕事は続けていたのがすごい。
 ずいぶんと、まるごとすべてのある人生だったなぁ。
 ぼくの言った『そういうふうにできている』という
 若い諦観のようなことばは、すっかり彼女のものだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
もっと会ってたら、なにも書かなかったと思うのですが。


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