コンプライアンス・ウィズ・ローにアースリカバー、そしてアルフヘイムの名を冠す聖剣。かつての自身の最強装備を纏うモモンガにたっちは動揺が隠せなかった。まるで過去の自分が、今の自分を断罪しに来たかのような錯覚さえ覚える。馬鹿な考えを頭から振り払う。そんなことよりも、聞き捨てならない一言を聞いた気がした。
「今、何と言いましたか……?」
「すれ違いですよ。私と貴方との諍いは、つまるところそれが原因だ」
「すれ……違い……」
――私の代わりに……人間たちを……この世界を――
――おやすみなさいませ、たっち・みー様
恩人と過ごした穏やかな日常を。あの日、彼をこの手で殺した感触を。何十年と続いた隷属の日々を。実の父のように慕ってくれた少女の手を振り払うしかなかった痛みを。ただのシステムとして冷たい棺の中で眠り続けた歳月を。その末に抱いた願いを、思いを、意思を。全てをそんな一言ですませようというのか。それは、あの時代を懸命に生きた全ての生命を侮辱するに等しい行為だった。
「ふざけるな!」
たっち・みーが初めて感情を露にする。声を荒げ激情と共に大剣を振り下ろした。四肢を縛る楔が剣速を本来の半分以下に落とす。アインズは左手の盾で難なく受け止めた。全身を心地よい光が包み込む。オーレオールによる無数の
「ふざけてなどいない! それが事実だ!」
アインズが聖剣を振るう。上段からの切り下ろしは大剣の刀身で受けられ、鍔迫り合う。何合にも渡って打ち合った。本来なら一合足りとも切り結べぬはず。たっち・みーとアインズの間には天地ほどの技量差が存在する。それは歴然たる事実。自身への
「貴方には分からない、分かるはずがない! ナザリックと共に転移し、こんなにもたくさんの仲間に囲まれている貴方には!!」
「……たくさんの……仲間、だと?」
今度はたっち・みーがアインズの逆鱗に触れた。ヘルムのスリット越しに見え隠れする灯が激しく燃え上がる。
「よりにもよって、そんなことを言うのか! お前が!? 俺がどんな思いでいたか知りもしないくせに!!」
一人、また一人と減っていくギルメンたち。誰もいない円卓で、今日こそは誰かが来るかもしれないと期待し、やがて訪れる失望。ナザリック維持のため、人目を避けて外貨を稼ぐだけの灰色の日々。ユグドラシル最終日、全員に連絡したが来てくれたのはたったの三人。最後の時、玉座の間にて一人きり。暗闇に目を閉ざしそうになった瞬間、動き出したNPCたち。彼らにどんなに救われたことか。彼らを守るためならば、例えナザリック地下大墳墓すら犠牲にしても惜しくはない。それを――
「たっち・みー! お前がシャルティアを殺した! 全てが狂った!」
「先に仕掛けて来たのは、彼女の方だ!」
「殺したのはお前が先だ!」
二人は舌戦を繰り広げながら激しく切り結ぶ。もはやほぼ戦う術のないNPCやシモベたちは至高の存在同士の争いをただ黙ってみているしかなかった。
・
「…………」
土塊から這い上がる。生きた心地はしなかった。むしろ自分は一度死んだのかもしれない。身に着けていた六大神の遺産が我が身を守ってくれたのだ。土塊に沈む仲間たちは、おそらくもう生きてはいまい。槍を杖代わりに何とか立ち上がる。
「一体何が……」
ズキンと痛む頭に浮かぶは髑髏。死の王。スルシャーナの紛いもの。そうだ、自分たちは逃げてきたのだ。そして……
「あれは……」
宵闇が一瞬で朝になったかのような眩い閃光。遅れて轟く爆音。見ずともわかる。正義降臨とあの偽りの神が戦っているのだ。こうしてはいられない。あの異形は多くの従属神を連れていた。いかに無双を誇る正義降臨でも分が悪いだろう。我が身がどれほど役立てるかわからぬが、盾くらいにはなれよう。
「正義降臨様……どうかご無事で」
男はよろよろとおぼつかない足取りで歩き出した。
・
「ちぃ!」
「くっ……!」
アインズ、たっち・みーは各々苛ただしげに声を上げる。共に驚愕していた。
「私はたった独りでこの地に落とされた! 救ってくれた彼を、私が殺した! 殺してしまった!!」
「ッ――」
たっち・みーの独白。要領を得ぬアインズだが彼の言葉の節々、振るわれる太刀筋から苦悩が伝わってくるようだった。
「だから、私が彼の理想を引き継いで何が悪い!? 何故悪い!!」
「ぬう……!」
たっちの慟哭に呼応するかのように大剣が横薙ぎに振るわれる。またひとつ鎖が引きちぎられた。咄嗟に構えたアースリカバーに御しきれない威力が降りかかる。重々しい衝撃が
「だから、だから俺を、ナザリックを滅ぼそうと言うのか!? その彼とやらのために!!」
アインズの袈裟斬りが逆手に振るわれた大剣に弾かれる。時間経過に伴いたっち・みーを縛る楔が少しづつ消えていく。このままではやがて天秤はたっち・みー側に一気に傾くことだろう。その前に決着をつけなければ。しかし理屈を感情が上回る。気づけばアインズも吼えていた。
「俺は……俺にとってナザリックは全てだ! NPCたちは家族同然なんだ! それを、奪うと言うのか? これ以上! お前が……貴方が!?」
アインズは悔しかった。悲しかった。腹立たしかった。この異世界でやっと見つけたギルメンが。それもアインズがユグドラシルを続けるきっかけをくれたたっち・みーが。自分との友情やアインズ・ウール・ゴウンよりも、何処の馬の骨ともしれない輩を選んだことが。どうしようもなく、悔しかった。
アインズの本心からの言葉にたっちはわずかに逡巡し、やがて口を開いた。
「……そう、です。私には責任がある……彼の理想を体現し――人が幸せに暮らせる世界を創る義務が!!」
「そう……か」
(何を今さら……分かりきっていたことじゃないか。今のたっちさんとは相容れないってことくらい)
自身の古巣をも切り捨てる彼の頑なさに鈴木悟がショックを受ける。もはや完全に袂を分かつしかないのか。半ば諦めかけたアインズは最後に疑問を投げかける。
「……最後に、ひとつだけ聞かせてくれ。貴方は人間たちのために――この世界全ての亜人や異形種を殺しつくすのか? それが……貴方の正義なのか」
「ッ――」
たっち・みーは言葉を失った。沈黙が下りる。ずっと気になっていたことだ。ユグドラシル時代、たっち・みーは異形種狩りからモモンガを救ってくれた。その彼が、今度は人間を守りそのためにナザリックを滅ぼすという。弱者救済だけでは説明のつかない、違和感があった。
「私は……わた、しは……」
――正義降臨様。どうか我ら人類を救い、導いて下さいませ。
老婆の声が、死してなお頭にこびりつき離れない。
「ぐ、うぅううう……」
締め付けられるような痛み。たっち・みーへの命令が彼の罪悪感と相まって思考を縛る。
「そう、だ……そのためならばモモンガさん、たとえ貴方とて!」
たっち・みーにしては珍しい隙だらけの大振り。だがアインズはあえて踏み込まず、後方へ飛び退く。互いの刃が届かぬ一定の距離を取った。
「……そうですか」
(承知しましたよ、たっちさん。貴方の状態は、ね)
たっち・みーには未だ洗脳の余波が見て取れた。
「…………」
「…………」
互いに次の攻防が勝敗を分かつと確信した。真っ直ぐに視線を交錯し相手の一挙一動を注視する。うかつに動けない。アインズは高速で思考を回転させ戦術を組み立てる。残りのMPでは燃費の悪い〈
(やはり最後の切り札が勝敗を分ける、か……)
アインズはベルトに収めた木の棒や砂時計の感触を確かめる。内心の緊張を悟られないようにたっちに向け高らかに宣言した。
「行くぞたっち・みー! 貴方が如何に強かろうと、アインズ・ウール・ゴウンを名に負う私の方が上と知れ!」
「今さらアインズ・ウール・ゴウンなど――!」
(剣が弓に……あれは、ペロロンさんの……!)
引き絞られた弓。太陽の輝き。いつの間にかモモンガの聖剣は弓矢に姿を変え、たっち・みーを狙い澄ましていた。陽光が収束する。たっちはモモンガの背後にバードマンの姿を幻視した。
(属性攻撃の塊……片手では)
物理攻撃というよりは属性攻撃。太陽射殺す英雄の名を冠す弓から放たれるは必中の矢。あれは次元断層でなければ防げない。しかし隻腕、さらに利き腕を失った今あの光球を防ぐのは難しい。そもワールドチャンピオンの中でも次元断層を上手く活用できるのはたっちと八欲の王、それからもう一人くらいだ。刹那のタイミングに加え、センスを要求される
「――次元、断層」
度重なる
「ッ!?」
光球は空に生じた断層に吸い込まれることなく。たっち・みーの足元に正確に着弾した。閃光と共に大地が爆ぜる。もとよりアインズはたっち・みーを狙っていなかったのだ。土煙が舞い上がりたっちの視界を奪う。
「〈アンデッドの副官〉〈上位アンデッド創造〉〈中位アンデッド創造〉」
「これが狙いですか! それでも――」
大剣が唸りを上げる。土煙が切り裂かれ開けてくる視界。そこにたっち・みーは信じられないものをみた。
『オオオァァァアアアアアアアーー!!』
驚くべきことに多数のモモンガが咆哮を上げ一斉に斬りかかってきたのだ。その数なんと十。十人が十人とも白銀の聖騎士装束だ。
(幻術? しかし〈
答えは出ない。構わない。全て斬り伏せるのみ。鋭い剣閃が煌めき、無数の弧を描く。断末魔の叫びを上げ、モモンガたちは消滅していく。その正体は
「ぐっ……
正面から躍り出る二体をまとめて斬り伏せるも、その隙を狙われる。対応しきれぬ刃が複数たっちを斬りつける。失った右腕や未だ全身の可動域を狭める鎖とがどうしても死角を生み出す所為だ。だがいくら防御力が低下しているとはいえ、三十五レベルの攻撃ダメージなど微々たるもの。無視しても問題ない。たっちは精神を研ぎ澄ませた。先刻、守護者たちを屠ったのと同じ要領で強者の気配を探る。
(……そこですか)
聖騎士たちの影に隠れるように
幻術が破れ
モモンガを異形種狩りから救い。クランに誘った。増えていく仲間たち。時には諍いもあったがそれだけ熱中していた証拠だろう。ユグドラシルにのめり込み過ぎて奥さんと喧嘩したことすらあった。ナザリック発見を機にクランを解体。新しいギルド長にモモンガを推薦した。そして始まるアインズ・ウール・ゴウンの黄金期。楽しかった。本当に楽しかった。
(泣いているのか。私は……悲しいのか)
たっちは戸惑いを覚えていた。捨て去ったはずの心がまだ自分にはあったらしい。
(……迷うな、やるんだたっち・みー。お前にはこの世界に対する責任がある)
命令がたっちの思考を縛る。脳裏に浮かぶモモンガやユグドラシルの思い出を断ち切った。自分には最早彼を思う資格すらないのだから。
「
最上段からの神速の斬り降ろし。何体かのモモンガがたっちに取り付き、妨害しようとするが無駄だ。必殺の一撃は標的目掛け射線上の全てを切断する。モモンガが次元ごと縦に両断された。瞬間、周囲のモモンガたちの偽装が剥げ落ち、動きが止まる。当然だ、術者が死んだのだから。時期に彼らも消滅するだろう。
「アインズ様ぁあああ!!?」
「嫌ぁあああああ!!?」
残されたシモベたちの悲痛な声。耳に痛い。スルシャーナが死んだ時のことが思い起こされる。彼らも主人のところに送る必要があるだろう。しかし、今だけは。
「……さようなら、モモンガさん」
たっち・みーはかつての友へ別れを告げた。
「――流石だ、たっち・みー」
「なっ――」
決着がついた。そう確信し、寂寥に浸っていたたっち・みーに降りかかる聞き覚えのある声。いつの間にか懐に潜り込む一体の
「ハアァアア!!」
「ぐうっ……!」
漆黒の刃が翻る。度重なるダメージ、
「どうやら私は賭けに勝ったようだな」
幻術が解ける。モモンガが姿を現した。その手には身の丈ほどもある漆黒の剣が握られている。
「何故……私は確かに、貴方を」
「そうだな、見間違えるのも無理はない。私の近親種族だからな」
顎をしゃくるアインズにたっちの表情が驚愕に染まる。アインズの背後、呪詛を撒き散らしながら消滅していくのは
「貴方なら、あれを本物の私と見なすだろうと」
確信していた――〈
あの瞬間、モモンガはありったけのアンデッドを召喚した。そして
『アインズ様、時間です。いつでも使用可能かと』
タイムキーパーを務めていたオーレオールからの〈
「まだ……まだだ! まだ私は負けていない!」
たっちの大剣がアインズの剣を払う。慌てた素ぶりなど一切なく、まるでそれすら計算通りと言わんばかりにアインズは砂時計を取り出した。半円球の巨大な魔法陣が二人を包む。檻のような蒼白の光を仰ぎたっちは悔しげに呻く。
「くっ……!」
「元より貴方に剣で敵うだなんて思ってませんよ」
たっちが砂時計を腕ごと斬り払おうとするが、動きが鈍い。剣速が先刻よりも遅い。既に腕は自由になったはずなのに。先の攻防を、
「まさか……能力値ペナルティ」
「ふ、何度接触したと思っている?」
無意味と思われていた
「貴方は最初から私の掌の上で踊っていたのですよ」
「モモンガさん――!」
何が起こるかわからないものだ。異世界転移に加えたっち・みーとの再戦。それもワールドエネミー化による超強化、全身ワールドチャンピオンの装備というユグドラシルにもありえない超絶チートのおまけ付きだ。イレギュラーも甚だしい。だがこちらにはNPCたちがいる。さしずめPvPならぬPvP+Nといったところか。相手はたった一人。対してこちらは四十一人が作りしアインズ・ウール・ゴウンそのもの。であるならば、負ける道理はもはや何処にもなかった。
「〈
冷却時間を経て、再び落つる天空。巨大な熱源が全てを飲み込んだ。
・
「あれは……」
視界を染め上げる暴力的なまでの白。音に聞く
「……私にもっと力さえあれば」
その時、奇跡としか言いようがない現象が起こった。
槍が光り輝く。彼の強い意志に呼応するかのように。それは偶然の産物。運営の遊び心。ユグドラシル最終日、閉店セールで運営が用意したアイテムをスルシャーナの仲間が買い漁った。そのうちの一振り。みすぼらしい外見が剥がれ落ち本来の姿を取り戻す。
「これは……これなら!」
自然と使い方が頭に流れ込んでくる。知識の中には使用者が払うべき代価もあった。構うものか。今まさに消えさろうとする人類の希望が守れるのならば。人類の敵を滅ぼせるのならば。自分の命なんて何も惜しくはなかった。
「はぁああああ!!」
何かに突き動かされるように思い切り投擲する。放った側から光の粒子となり肉体が消失していく。消え逝く刹那、青年という偽りの仮面が剥がれ落ちる。何処かあどけなさを残す少年が微笑みを浮かべた。
「正義……降臨……さま」
一陣の風が吹き、長髪を優しく揺らす。後には何も残されていなかった。こうして漆黒聖典隊長はその短い生涯を閉じた。
・
超位魔法〈
「もう決着はついた! 投降しろ、たっち・みー」
「まだ……私……は」
たっち・みーがおぼつかない足取りで立ち上がる。もう剣を構える力も残されていないようだ。震える手が大剣を掴み損ね地に金属音を鳴らす。痛ましい姿だ、早く拘束してしまおう。後々ゆっくりと話し合う機会を作るのだ。そうすれば――アインズは虚空へ手を沈め、拘束用のアイテムを取り出そうとする。
天空堕つる極光の余波に紛れ、一筋の光条が流星の如く翔ける。
その存在にアインズやたっち・みー、至高の御方々の健在に安堵の息を吐くプレアデスや他のシモベたち、オーレオールすら気づかなかった。
「アインズ様っ!?」
ただ一人アルベドを除いて。大勢が決しても油断することなく、アインズだけを注視していた彼女だからこそいち早く察することができた。アルベドの悲鳴が木霊する。何事かとアインズはそちらに視線を送り、背筋が凍りついた。
それは
「しまっ――」
気づいた時にはもう遅い。
「〈トランスポジション〉!」
愛しい人の危機を彼女が見過ごすはずもない。アインズとアルベドの位置が瞬時に入れ替わる。
「〈ウォールズオブジェリコ〉〈イージス〉! ――ぐぬうぅうううううう!!」
アルベドが
「アルベドっ、やめろ!? 早く逃げるんだ!!」
アインズが絶叫し、幾度となく精神沈静が繰り返される。恐れていたことが、悪夢が現実のものとなってしまった。最悪の展開だ。もっと入念に準備し、相手の情報を集めるべきだった。全勢力を対たっち・みーに振り分けた結果、守りや情報収集がおざなりだった。まさか敵が
(馬鹿か俺は! この事態を想定していないなんて!)
自身の愚かさを心底呪う。その代償はあまりにも大きかった。目の前でアルベドの
「アルベドォオオオ!!」
・
愛する人の名を呼ぶ声。アインズの必死さが伝わってくるようだった。女として悪い気はしない。だがその冷静沈着な彼には珍しい狼狽具合、そして何度
(あの慌てよう……私は、死ぬのね)
アルベドは予感めいたものを感じた。否、それだけなら蘇生してもらえばいいだけの話。死を上回る残酷な結果をあの槍はもたらすのだろう。アルベドは心からの笑顔を浮かべた。
(良かった、死ぬのが私で)
仮に死以上の仕打ちが待っていたとしても、やはりアルベドは幸せだった。そのような脅威からアインズを守ったのだから。守護者統括として、また盾役として誇らしかった。先に散っていった仲間たちも賞賛してくれることだろう。シャルティアの悔しがる顔が目に浮かぶようだ。
(ああ、でも……)
「アイ――いいえ、今だけはこう呼ぶのをお許し下さい。モモンガ様――愛しています」
誰もが見惚れてしまう、花の咲いたような笑顔。アルベドの全てを悟った表情に、アインズはないはずの喉が張り裂けんばかりに叫ぶ。
「誰でもいい! 誰か、彼女を――」
――助けてくれ!
最後まで言葉は紡げなかった。無常にも光の奔流はアルベドへ迫り、そして――
「――え?」
アルベドの視界を真紅の外套が覆う。漆黒の
・
アルベドの捨て身の行為。半死半生のたっち・みーはしばしの間、目を奪われていた。善悪を越えた純粋な、ただ誰かのための自己犠牲。人は愚かと言うかもしれない。しかしそれは、そのあり様は。かつてたっち・みーが願って止まなかった、正義の味方にもよく似ていた。彼女にスルシャーナやルシャナの姿が被る。二人とも損得を越え、誰かのために一所懸命だった。
「誰でもいい! 誰か、彼女を――」
モモンガの声が。救いを呼ぶ声がはっきりと聞こえた。身体が勝手に動く。気づいたら走り出していた。よせ、止めろと痛いくらいに頭を締め付ける命令を無視して。どうせこの肉体はもう長く保たないのだ。であるならば、最後くらい誰かのために。
・
予想だにしない事態。まるで〈
「たっちさん!?」
「たっち・みー様!!」
仰向けに倒れこむ彼をアインズは慌てて抱き起こす。シモベたちが周囲を取り囲む。何が起こったのかよくわからない。何故、たっち・みーは敵対しているはずのアルベドを庇ったのか。何故、何故、何故。答えは出ない。アルベドが唖然とした様子でたっち・みーの側に駆け寄る。信じられないといった表情を浮かべていた。
「たっちさん……なんで……どうして」
「モモンガ……さん……いいえ、今はアインズさん、でしたか」
「ッ!? モモンガで、モモンガでいいです!」
アインズは感極まる。上体を支えられながらたっち・みーは微笑みを浮かべていた。それは先刻までとはまるで違う、アインズのよく知るたっち・みーだった。確定した死が彼を洗脳から解き放ったのだ。
「彼女は……無事で、しょうか?」
「は、はい! アルベドは無事です! 貴方が守ってくれたから」
「たっち・みー様……どうして」
見捨てられたと思っていた。心底憎んでいた。アインズ・ウール・ゴウンなんてくだらない。アインズだけがいればいい、そう思っていた。だから今回のたっち・みーとの敵対は願ってもない展開だった。惜しみなく戦力を配備し、完璧に抹殺するためにルベドまで投入したのだから。だのに、この胸を締め付ける痛みは何なのだろうか。
「……よかった」
「ッ――」
アルベドの頬を涙が伝う。全ては自分の独りよがりな勘違いで。誰も見捨てた訳ではなかったのだ。何らかの事情はあったのだろう。おそらくタブラ・スマラグディナも。自分は――愛されて、望まれて
「
――たっちさんを救ってくれ!
世界と接続される万能感は、しかし硝子が砕ける音と共に消失する。願いは叶わなかった。ならば二画、レベルを代償にもっと――アインズはさらに願おうとして、震える手甲がそれを制す。たっち・みーは力なく被りを振った。
「いいんです……モモンガさ、ん……私は……もう」
「何を言ってるんですか、たっちさん! 嫌ですよ、俺は! 絶対に嫌です!!」
このままたっち・みーを諦めるだなんて。やっと、やっとギルメンと再会出来て。これからって時に。たっち・みーの輪郭が段々曖昧になる。もう猶予は幾ばくもなかった。
実のところ、彼を救う手立てはひとつだけある。アインズ・ウール・ゴウンが所持する
(クソ、クソが……俺の失態だ)
どちらが勝つにせよ、あのアイテムは用意しておくべきだった。使い切りだからと、秘匿するべきではなかった。絶望感に打ちひしがれるアインズの前にたっち・みーが震える手を差し出した。両の掌でがっしりと掴む。
「モモンガさん……貴方、に……お願いが……あります」
まるで遺言のような台詞。聞きたくなかった。
「私の代わりに……人間たちを……この世界、を」
――ああ、そうか。
そこまで言いかけて、たっち・みーは理解した。スルシャーナの真意を。彼が頼みたかったのは人間の行く末のみならず、この世界そのもの。つまりは亜人や異形種も含まれるのだ。こんな簡単なことに気づくのに、数百年も費やしてしまった。たっち・みーは自嘲気味に笑う。もしも死後の世界があるのなら、スルシャーナに「相変わらず鈍いですね」と笑われてしまいそうだ。
(……いえ、それは叶いませんか)
四肢が光の粒子となる。それに伴い何か大切なものが失われゆく感覚。胸に突き刺さる
「後は……頼みました、よ……我らが……ギルド長」
「たっちさん!? たっちさん!! あ、あ……あ……」
握りしめていた感触が消える。たっち・みーは、この世界でようやく見つけたギルメンは、アインズの目の前で消滅した。アインズの慟哭が響く。シモベたちも嘆き、悲しみ、皆俯いた。朝霧が立ち込め白ずんでいく世界とは裏腹に、アインズの視界は暗黒に染まる。
この世界に神はおらず。また神と呼べるのはプレイヤーたるアインズのみ。救いを求める声は誰にも届かず。否――
「
神は居ずとも神によって造られしNPCがいる。頭上から流暢なドイツ語が響いた。
最終話と言いつつエピローグが残ってます。
最後までお付き合いくださると嬉しいです。
……ルート分岐しそう。