昭和考古学とブログエッセイの旅

昭和の遺物を訪ねて考察する、『昭和考古学』の世界へようこそ

近頃の若いものは・・・

 

気づいてみれば、10日以上もブログを更新していない自分に気づきました。
先月から続く酷暑で書く気力が削がれてしまった、営業ツールとして始めたツイッターのフォロワーが増え、そっちが楽しくなってきた(フォロワー1000人越えると反応が違ってきて面白い)。
そんな事情もあるにはあるのですが、すべては言い訳にすぎません。
主要因は、書き出すと止まらないけれどサボり出しても止まらない、私本人の性格が影響しています。つくづく己の性格の愚かさに気づく始末。

 

すっかり苔がついて固まった腰を上たものの、しばらく書いていないと何を書いて良いのかわからなくなります。
正直、ネタはいくらでもあります。あれも書きたい、これも書かねばと気だけが焦る。
しかし、私の下書き欄は食い散らかした文章のゴミ捨て場と化し、整理整頓がヘタクソな書斎のようになっています。
ネタが多くていいなーと人は言います。しかし多すぎると、どれから手を出して良いかわからなくなる。これが現実です。

それはさておき、古代エジプト遺跡に描かれていた象形文字(ヒエログリフ)を解読してみると、こんなことが書かれていたそう。

 
近頃の若いもんは・・・ _| ̄|○

 

あ、ヒエログリフに顔文字はないですね。いや、あれは「文字」が「顔文字」みたいなものか。

 


本当に象形文字にそんなことが書かれていたかはわかりませんが、


「近頃の若いもんは」


という使い尽くされたセリフは、日本だけではなく世界中で消費されている話です。


かく言う私も、アラフォーと誤魔化せる年齢ではなくなりました。
まともに人並みの人生を送っていれば、ふつうに結婚してふつうに子供がいてもおかしくありません。私がふつうの人生を送れるとは思っていないですが、自分の人生の仮想モードをONにすると、ふつうに結婚して今ごろは20歳くらいの子供がいるだろうと。
その仮想モードが頭のどこかに設定されているのか、20歳くらいの若い人は「息子」「娘」目線になってしまいます。
そのせいか、私も
「近頃の若いもんは」
と無意識に思ってしまうことが多くなってきました。
精神年齢は永遠の25歳のはずなのに、やれやれ、年は取りたくないものだ。

 

いつも、

「最近の若いもんは・・・」

と、私のような年寄りからネチネチと首を絞められているそこの若者諸君。
そして同じセリフを若者に向かって吐いている年寄り諸君に、こんな言葉を授けましょう。

 

 

実年者は、今どきの若い者などということを絶対に言うな。


なぜなら、われわれ実年者が若かった時に同じことを言われたはずだ。


「今どきの若者は全くしょうがない、年長者に対して礼儀を知らぬ、
道で会っても挨拶もしない、いったい日本はどうなるのだ!」


などと私も言われたものだ。
その若者が、こうして年を取ったまでだ。

だから、実年者は若者が何をしたか、などと言うな。
何ができるか、その可能性を発見してやってくれ。

 

 

けっこうシビレル言葉だと思います。
そうだそうだ!と机を叩いて激しく同意している若い衆も多いかと思います。

この言葉を放った人物は誰か。

 

 

f:id:casemaestro89:20180828181033j:plain

クイズイントロ人物当て。これは誰でしょう。旧日本海軍の軍人のようです。

 

f:id:casemaestro89:20180828181057j:plain

髪の毛を伸ばした姿の写真は珍しいですが、長髪にすると俳優の中井貴一に似てないこともない。

 

 

f:id:casemaestro89:20180828181150j:plain

これでもうおわかりでしょう。
海軍の山本五十六元帥であります。

軍人=融通がきかずお硬いというイメージがありますが、海軍は

「常にユーモアを忘れるな」

という事を「新入社員心得」に書いた日本史上唯一の組織です。ユーモアはすなわち心の余裕なり。また、

「よく学びよく遊べ」

という、当時の尋常小学校1年生の教科書の冒頭に忠実でした。
仕事をする時は休みなしの「月月火水木金金」。しかし仕事が終われば大いに羽根を伸ばして遊んで来い。
数ヶ月「月月火水木金金」なら、港に着いた数ヶ月は休み。
これが基本モットーでした。
しかし、
「遊ぶなんてケシカラン!ユーモアなんてクソクラエ!」
と目が釣り上がった石頭士官の発言力が昭和以降大きくなり、組織内の動脈硬化を起こしていったのが、海軍の崩壊の始まりとも言えます。

 

そんな海軍の中でも、山本はかなり変わったキャラとしても有名でした。
帝国海軍の世界では、奇人変人のことを「名士」と隠語で呼んでいたのですが、山本は伝説レベルの「名士」の一人。
日露戦争で失った左指を見せ、


「俺はヤクザだ」


と円タクの運ちゃんを脅し、タクシー代をタダにさせたとか、


「提督を名乗って無銭飲食をしている輩がいる」
という築地の料亭の通報を受け警察が向かい踏み込んだら、ふんどし一丁で逆立ち芸をしている山本だったとか。*1
山本の「名士伝説」は枚挙にいとまがありません。
クチの悪い人は、「軍服を着たヤクザ」とも言っていました。

 

個人的に好きなのが、このエピソード。

 

f:id:casemaestro89:20180828222551j:plain
山本と陸軍の石原莞爾が陸海軍の会議で隣同士になった時、陸軍の偉いさんの長舌に石原が舌打ちして一言。

あんな奴らがいるから陸軍はダメなんだ」

それを聞いた隣の山本が、彼を睨みつけ一言。

お前のような奴がいるから陸軍はダメなんだ」

陸軍きっての切れ者石原も、これには一言も返せず。顔文字で表現すれば(^▽^;)な感じだったでしょう。この陸海軍の異端児対決、昭和史や軍事史マニアにとっては胸熱です。

もっとも、山本などまだ序の口の「大名士」が海軍にはいたのですが、その話はまた機会があれば。


上の言葉は、故郷長岡でのスピーチだと言われています。
山本五十六の軍人としての人生は、けっこう山あり谷ありです。
このころ、対米英強硬派(要は「米英と戦争しようぜ(≒ドイツLOVE)派」)が無血クーデター同然で実権を握り、親の仇のように対米英協調派(同「米英を敵に回しちゃダメ派」)のクビを切り始めました。
その結果、海軍内に残ったのはアメリカなんてぶっ殺せと目が釣り上がった狂人か、毒にも薬にもならない人畜無害な軍人だけが残りました。これが昭和9年か10年の海軍内部の実情でした。

 

山本はそんな海軍内の、協調派最後の生き残りでした。が、それゆえに干され、クビ5分前という不遇の時を過ごしたことがありました。
サラリーマン社会で言えば、海外駐在から帰ってきたら自分の席がなく、毎日倉庫で新聞を読んで解雇通知を待っていたという状態です。
その時、何週間単位で長岡に帰省したことがあったのですが、その時に請われてスピーチした時の内容と思われます。

 


教育者や後輩を育てるOJT係は、この山本の言葉を肝に銘じて教育にかかる必要があります。
人生経験を積んだ人間から若者を見ると、彼らはなんとも頼りなく常識もないように見えます。態度も粗野で口だけは達者、むかつく以外の選択肢がありません。
しかし、常識がない、頼りないとイライラしたり、酒を飲みながらボヤいても彼らは変わりません。
そこを先輩である我々が諭し、温かい目で見守るべきでしょう。
今は背中でものを語るなんて人はおろか、そんな言葉すら死語になりつつありますが、やはり後輩は背中をいちばん見ています。
「近頃の若者は・・・」
と愚痴る前に、自分が背中で語れる人物になっているか、そこを考えてみましょう。


当時水兵だった人から、こんな話を聞いたことがあります。私と彼の記憶が正しければ、対米戦の前だったそうです。
煙草盆(喫煙所)でタバコを吸いながら与太話をしていたところ、
「おもしろそうな話だな、俺も入れてくれよ」
と背の低いおっさんが笑顔を伸ばしてきました。*2
海軍は朝一回敬礼すれば、上官だろうが司令長官だろうが敬礼は不要というしきたりなので、
(なんだよおっさん・・・)
と思いながら階級章を見てみると、金ベタ3本。つまり大将。
うええええ!!と顔を見たら山本長官だったと。
慌てて立ち上がろうとすると、いいからいいからと静止し、みんなでリラックスしながら与太話をしたと。
どんな人でしたかと聞いてみたら、全く偉ぶらなかった。水兵を虫けらのような目で見る偉いさんが多かった中、目線が我々若い水兵と同じだったと。
軍隊じゃなかったら、軍服着てなかったら、ただの人懐っこいおっさん(無論、良い意味で)だったそうです。

艦長や司令長官のような一国一城の主になると、
「俺が艦隊を動かしているんだ!」
というある種の傲慢さが生まれます。
艦長経験者いわく、自分の掛け声一つで何千何万トンの鉄の城が動くのは本当に気持ちのいいもので、これを経験したらお腹いっぱい、次の日に海軍を辞めても心残りはないというほどだったと言います。だから多少傲慢になるのはやむを得ないと。
しかし山本は、艦隊を率いるトップとして、実際に艦を動か主砲を撃つのは若い連中だということを忘れていないのでしょう。
若い連中の声にも耳を傾け、どんな考えをしているのか自ら確かめたく、若いものの会話にも首を突っ込んできたのかなと、私は邪推したりしています。


「後生畏(おそ)るべし」
と孔子は『論語』で述べましたが、
「近頃の若者は」
と頭から押さえつけるのではなく、伸びしろに期待してどんどん挑戦させ失敗させればいいと思います。そして、失敗した時、これも頭から怒鳴りつけるなら、冷静に失敗の原因を分析させた方が彼らの成長のためです。

 

と、ここで思い出したのですが、冷静に失敗の原因を認識させるいちばん良い方法は、「書かせる」こと。
これを実際にやったのも、実は山本五十六です。
彼が霞ヶ浦の飛行隊司令だった時のこと。「空飛ぶヤクザ」と後ろ指を指されていた荒くれ者の飛行機屋たちに成長を促したのが「作文」。
山本司令は口頭での報告を一切廃止、すべて文書での報告を義務付けました。
口頭だと頭に血が上り、言いたいことの何割しか言えなかったことがあるけれども、文章だと自分の思考の乱れが客観的に眼の前にあらわれるので、自然と冷静になれると踏んだ指導でした。

私は子育ての経験はないですが、子どもを叱る時、何故自分が怒っているのか、何故叱られているのかレポートを書かせるのも教育の一つかなと思ったりします。ただし、子育て経験のない人間の理屈ですけどね。

 

それ以前に、
「近頃の若者は・・・」
とおかんむりの年寄り(若い人から見て)の皆さんの若い頃は、どうだったでしょう。
けっこうやんちゃして、あまり人のこと言えないのではないでしょうか。
かく言う私も、自分の若い頃を思い出してみました。
海外(中国)で飲んで暴れて、犯罪以外なんでもやっていたことを思い出し、これはとても人のことは言えないなと感じた40代の処暑の候。

 

 ===ここまで読んでいただいてありがとうございました。

         他にこんな記事もあります。よかったらどうぞ===

 

parupuntenobu.hatenablog.jp

 

parupuntenobu.hatenablog.jp

 

parupuntenobu.hatenablog.jp

*1:上述のとおり、山本は左手の指2本がなく左手で踏ん張ることができないので、事実上の片手逆立ち

*2:山本五十六の身長は160cm前後。