某脚本家の「言い方!」という発言は大いに笑わせてくれたものだが、職業で言葉を操る者が「言葉遣い」にあまりに無頓着なのは、どうしても解せない。
あ、差別用語がいけないと言ってる訳ではない。むしろ逆。
どんどん言葉というものを大事にしなくなっている。
僕は脳性麻痺の方をリスペクトする時も「障害者」と使った。
それが今や「障碍者」だと!アホ臭い。
今度は「バカ」ならOKで「白痴」は凍結だそうだ。
ドフトエフスキー先生にも黒澤監督にも失礼。
石原慎太郎は中国のことを頑なに「支那」と呼び続ける。
石原の中国への態度は決して乗らないが、この「言葉遣い」に関してだけは、小説家らしい矜持を含んでいるだろう。
何度も言って申し訳ないが、僕は京大文学部出なので、「言葉」を大切にする。
決して恣意的な「言葉狩り」には屈さない。
言葉でのコミュニケーションには限界がある。不毛だとすら感じる時もある。
しかし、だからこそ、言葉の多様性を絶対尊重する。
僕はこの異常な「言葉狩り」を、過去の焚書・禁書や「敵性語」の禁止などと重ねてしまう。
今、この国は、まさにその渦中なのだ。