8月28日えーん

 

私があまりよけいなことを書いて、ご遺族やさくらプロの方たちやミッちゃんに迷惑がかかってはいけないので、多くは語りません。

もし削除を求められたら素直にしますから、このブログがいつまでアップされているかはわかりません。ただもうたまらなくて、今の気持ちを正直に書いておきます。

私たちは30年間、なかなか会えなくても、ずっと友だちでした。何年かに1回会って、元気かどうか確かめるときがいつも幸せで、ずっとお互いを好きでした。そしてお互いの才能を好きでした。いっしょに時代をかけぬけてきました。

いつまでも子どもみたいに無邪気で、とっぴょうしもないアイディアを思いついては天才的な行動力で実行してしまうところがあり、いつも超おもしろいギャグを言い、いつまでたってもお母さんにアイス買いすぎと怒られてて、でも本人もとてもいいお母さんで、情にあつく涙もろくて、優しかったさくらももこちゃん。

うちの子が小さいときに遊びに行ったら、トーマスとアンパンマンとまるちゃんがいっぺんに描いてあるうらやましいカレンダーを息子さんのために手書きで作っていたかわいい人よ。うちの子にどんなにうらやましがられたか!「ママも描いて!」って、ムリだよ!

「ももちゃんは、どんなときでも必ず信じたことを実現してきた人だ。今回も大丈夫だよ」と書いたら、「私すごいね(笑)でも本当にいろいろありがとう。何度ありがとうって言っても足りないよ。私のありがとうがいっぱい届きますように!」と返事をくれた、それが最後のやりとりでした。どんなに体調が悪い状態でもそんなことが言える、優しい人でした。

あまりにも正直すぎるから誤解も多かったかもしれない。でもほんとうにすてきな、かわいい、すばらしい人でした。

そして彼女が線を引くと、例えばまるちゃんを描くと、急に紙の上に光が射すんです。深みがあり、迫力のある、生きた線。30年くらいのあいだに、何回もその奇跡の瞬間を見せてもらいました。

どんなに淋しいか、死の知らせを聞いた日から、心に穴が空いたようです。

私の青春がまたひとつ、終わってしまいました。

 

えーん

 

あの、地方に行くときはちゃんと取材してるんですよ!資料写真を載せていないだけで。

吹上奇譚」はほんとうの館山が舞台ではなく、イギリスのグラストンベリーやソールズベリーあたりの霧の季節がある場所を入れて、神奈川あたりの風景もちょっと足して作った架空の街。ではなんで館山取材かというと、あの独特の光、西日、緑、アクセスの悪さ。そういうところに少しずつ肉づけをしていくのでいろいろな季節を体感したり地元の人のお話を聞いたりしているのである。

そしてくらげなんてカツオノエボシ(姉が刺されたことがあり、たいへんなことになった。見るからにあちこちが真っ青で超怖い姿)とかハブクラゲでもなければ、たいしたことない。でもお盆直後の海では泳がない。くらげをかき分けて泳ぐことになるから…。1回暑くてどうしても泳ぎたくてちょっと泳いだら、ほんとうに手のひらにブリブリブリっとたくさんのくらげが当たって、ビリビリきて、必死で泳ぎ逃げたことがある。

 

星

 

今年は見送ってばかりの淋しい年だし、これでまた淋しくなってしまうけれど、生きているかぎり、こつこつ書いていくしかない。ただひたすら書いてきたことが、わかる人には必ずわかってもらえる。電子書籍の時代、絶版がないのもありがたい。長い時間をかけて誠実さが伝わることもあるから。書き続けたものがだれかを救うこともある。ただそれだけ。そしてなるべく幸せでいようとしよう。人生は1度しかないから。

 

おすましペガサス

 

2017年にいただいた絵を、ずっと玄関に飾って毎日お祈りしていました。これからもずっと、飾っておきます

淋しかったらしく、そして雷が怖かったらしく、離れない。どうも留守中に停電したみたいで、それも怖かったみたい。かわいいなあ

 

 

 

 

 

リブログ(13)

  • さくらももこさんの考え方

    おはようございます夏バテか、落ち込みか。わからない体調の中でのさくらももこさんの訃報。発表から一夜明けても喪失感でいっぱいです。でも、さくらさんは、自分が亡くなったことにウジウジされるのはお嫌いかもしれない。そう思って、さくらさんの作品を読み返してみました。作品全て揃ってはいないけれど、大切に集めて持っている本たち。その中で「さくら日和」を読み、クスッと笑いました。それから、「さくらももこのおもしろ健康手帖」。健康オタク?だったさくらさん。この本を読んでプロポリスやスクワランなどの存在を知りました。数年かけて、私もいくつかの健康食品を飲んでいます。健康のためもあるし、さくらさんと同じことをしているという嬉しさが大きいです。ミーハーです。健康に気をつけていたさくらさん。ご自身の体がいかに健康になるか試すのが好きだと書いておられました。唯一気になったのは、タバコでした。でもそれも、ストレス解消に必要だからと割り切っておられました。別の本では、土屋先生との対談集でタバコのフィルターに、確かプロポリス、だったかな、をくっつけて吸うということで、土屋先生に「姑息ですねぇ」と言われつつ反論していました。そんな中、「健康手帖」の中にこんな文章を見つけました。編集部の注釈より以下抜粋します。…担当編集者の私はももこ邸に通っていたため、魚の様子をみて心配し、「かわいそう…。大丈夫ですかね」とももこにきいた。すると彼女は、「死ぬときゃ死ぬよ。でも手は尽くしてあるからね。薬もやったし、声もかけてるから。それで死んだら寿命だったんだよ。そのときは“ありがとう”と言ってあきらめるね」とすかさず言った。ここで私は彼女を尊敬した。覚悟が決まっていていさぎよい。愛する者との仲を“死”が分かつときは、自分もこうありたい。だがふと、今自分の飼っている老猫のことが頭をよぎり、うつむいた。するとまたすかさず、「アンタ、今、猫のこと考えてるね。仕方のないことなんだよ」と言う。私は涙ぐみ、ももこを見つめてうなずいたのだった。…この本を一緒に進めてきたのは山口ミルコさん。この文もお名前は出ていませんがきっとミルコさんのものだと思います。ももこさんのご家族、ヒロシさんやお母さん、お姉さん、ご主人のうんのさしみさん、息子めろんくん。「富士山」にたくさん登場したさくらももこプロダクションの方々、さくらさんのいとこのマコさん。幻冬社の方々。アメブロに投稿された吉本ばななさん。さくらさんと仲がとても良いことは、さくらさんの作品を読むと少しの記述であっても伝わってきました。たくさんの読者の方。私も学生時代から漫画を読み、夜眠れなかったり元気がなかったりしたときに今も「富士山」中心にエッセイを手に取ります。もちろんお会いしたことなどないのに身近な人であり、大切な人でした。辛い時は、さくらさんもこの地球のどこかで(海外にいらっしゃることもあるので)過ごしているのだなぁと思いを馳せることもたびたびありました。さくらさんの日々が羨ましく、憧れるあまり、ひらがなのペンネームが欲しいと思った私。物書きでもなんでもなく、ペンネームなんていらないのに同じような雰囲気のペンネームが自分も欲しくて「ちばこまち」というペンネームを考えました。大学生のときでした。使うことはないだろうと思っていましたが、当時流行ったミクシィに使い、今はこのアメブロに使っています。1人勝手に、嬉しかった。さくらさんを、また1つ勝手に、身近に感じていました。それほど大好き。それなのにもう、この世にはいらっしゃらない。一読者の私でさえそうなのに、もっと身近な方々の心中はいかばかりかと思います。でも、先ほど抜粋したものがさくらさんの考え方。目標は飯田蝶子さんのような可愛らしいおばあちゃんと仰っていたさくらさん。いつまでも、さくらさんの近況を面白おかしく書いた作品を読みたかったです。でも、今までに発表された作品から、さくらさんの生き方、考え方は伝わってきます。これからも、さくらさんの作品と共に生きていきたいです。吉本ばななさんの記事、リブログさせていただきました。さくらさんを大切に想う方がたくさん。さくらさん、たくさんの笑いと安心をありがとうございました。私はさくらさんのご意思を作品から身近に感じながら、いつまで続くかなんてわからない人生を、寿命尽きるまで生きていきます。

    ちばこまち

    2018-08-28 11:02:06

リブログ一覧を見る

コメント(27)