ご存じのように、2011年3月11日の東日本大震災に伴って、東電福島第一原発事故が発生しました。
事故当初には正確な被害状況が判らなかったこともあり、大きな混乱が生じました。放射線は、目に見えず痛みも感じないために、「得体の知れない恐怖」と捉えた方も多かったことでしょう。当時の経緯を、あえて振り返ってみたいと思います。
たとえば福島市でも、空間の放射線量が一時20μSv/h を上回りましたが、「通常の○×倍の放射線量!」「放射能がくる」 といった、不安と恐怖を煽るヒステリックな言説が大量に飛び交った一方で、その数値が具体的にどういう意味を持ち、どの程度のリスクになるのか、それを冷静に伝えようとする声はかき消されてしまいました。
そのような状況を招いた要因の一つとして、原発や「放射能」そのものが、事故前から極めて政治的、かつ社会的なインパクトが強い存在であったことが挙げられます。
一部の人にとって原発は「核兵器と同じ放射性物質を燃料とする、原爆や戦争を想起させるもの」であるとともに「『権力』から押し付けられるものの象徴」でした。
福島はまたたく間に、激しい政治的対立やイデオロギー闘争の主戦場となりました。その中で、福島が「権力者の犠牲となった悲劇の地『フクシマ』」であり続けることや、「不幸なフクシマの真実」を喧伝することを、好都合とする人々さえ現れました。
いわゆる「原発安全神話」が崩れたことで、科学や専門家、行政といった「権威」「権力」への不信感が高まったことも、それを加速した面があります。科学的な正しさが「権力による陰謀」のように扱われた一方で、それに反抗する人々の「素朴な不安や警鐘」が力を持ちやすくなりました。
当時正しい情報を発信しようとした人たちは激しい誹謗中傷や脅迫などの攻撃を受け、インターネット上には「御用学者Wiki」などという「吊し上げ」的なリストまで出現する有様でした(「御用学者Wiki」はすでに削除されています)。
一般の人々の感情を前にした専門家が、次々と口をつぐんでしまうことで、非科学的なデマや怪談がますます広がったのです。
また、それに便乗して、不安を煽って影響力拡大を狙ったカルトや詐欺、「ノンベクレル」「放射能防護」をうたい文句にしたビジネス、「アート」や「支援」の名を借りた、被災地をダシにするビジネスや自己実現行為なども横行しました。
彼らにとって「科学的な見解」や「正しい情報」は、権力のプロパガンダに過ぎず、彼らが謳う「正義」の邪魔でしかなかったのでしょう。
「もうフクシマに人は住めない」と騒ぐ人たちは、農作物を出荷する福島の農家を「人殺し」と呼び、子供を避難させない親を「無理心中に付き合わせるのか」と中傷しました。
国道の清掃活動をした地元の高校生は、防護服を着た県外の活動家につきまとわれて嫌がらせをされ、福島市でも、震災前から恒例の東日本女子駅伝を開催した際、ジャーナリストから「殺人駅伝」呼ばわりされました(http://fukushima.factcheck.site/life/1244 、https://synodos.jp/fukkou/17814)。
「ガンが増える」「奇形が多発する」「フクシマの人とは結婚できない」――事実無根の心ないデマがぶつけられてきました。こうした流れに大手メディアも多数加担してきたことが、被害をさらに悪化・長期化させました。
日本のメディアは東電原発事故に対する、科学的な意味での総括ともいえるUNSCEAR(国連科学委員会)報告書など、福島の安全性を示す客観的な事実や知見を頑なに伝えようとしない一方で、そうした知見に逆行し、誤解や偏見を誘発させる演出やほのめかしを繰り返す報道をしてきました(たとえば、筆者の昨年の記事を参照)。