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伊藤博文はどういう理由で日韓併合に反対だったのでしょうか? また、暗殺と日韓...

e1o********さん

2009/2/522:09:55

伊藤博文はどういう理由で日韓併合に反対だったのでしょうか?
また、暗殺と日韓併合は何か関係があったのでしょうか?

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cre********さん

編集あり2009/2/600:49:26

よく言われるのは、経済的理由です。

日本は、日露戦争には勝ったものの
持てる力を使い果たしての辛勝だったので
経済面、軍事面で、かなり厳しい状態でした。
しかも、韓国(大韓帝国)も経済的にボロボロだったので
なおさら「そんなものを抱え込む余裕なんてない!」という判断です。

ただ、そういった経済的理由だけではなくて
伊藤博文は、朝鮮人の資質を高く評価し、朝鮮人に期待していたようです。

韓国を訪れた新渡戸稲造が、韓国統監だった伊藤博文に面会した際
伊藤博文は、こう語ったそうです。

・・・・・

朝鮮に内地人(=日本人)を移すという議論が大分あるようだが、
我輩はこれに反対しておるのじゃ。(略)

君、朝鮮人はえらいよ。
この国の歴史を見ても、その進歩したことは、
日本よりはるか以上であった時代もある。
この民族にしてこれしきの国をみずから経営できない理由はない。
才能においては決してお互いに劣ることはないのだ。

しかるに今日の有様になったのは、
人民が悪いのじゃなくて、政治が悪かったのだ。
国さえ治まれば、人民は量においても質においても不足はない。

新渡戸稲造『偉人群像』)

・・・・・

そんなわけで、
将来的には朝鮮人がみずから国を治めることを期待しつつ、
ただ旧来の政治をそのまま続けていたのでは、いつまでも韓国は成長しないから
政治だけは改めなければならない…
という気持ちで、併合に反対しつつ、韓国の政治改革に努めていたんでしょうね。

ところが、そんな伊藤博文の真意を知らず、
日本による韓国支配に反対する安重根に暗殺されてしまいました。

そうなると、併合反対派最大の重鎮を失ったことで
バランスは、圧倒的に併合賛成派に傾いてしまいました。
韓国でも、「韓日合邦」を主張する一進会が勢いを増し、
1910年、併合に至ったわけです。

ちなみに…
安重根も、けっして心から伊藤博文を憎んでいたわけではないようです。

・・・・・

私は、本当にやむにやまれぬ心から、伊藤さんの命を奪ってしまいました。(略)
いつの日にか、韓国に、日本に、そして東洋に
本当の平和が来てほしいのです。(略)
伊藤公にはまったく私怨はなく、公にも家族にも深くお詫び申し上げたいのです。

(斎藤泰彦『わが心の安重根』)

・・・・・

伊藤博文も安重根も、ともに日韓友好を願っていながら
安重根が伊藤博文を暗殺してしまったのは、
誤解がもたらした、悲しい事件だったんです。

日韓とも、感情的な伊藤博文批判、安重根批判は
やめるべきでしょうね。

↓ 韓服を身にまとう伊藤博文

よく言われるのは、経済的理由です。

日本は、日露戦争には勝ったものの...

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ant********さん

2009/2/523:09:07

伊藤博文は、幕末に幕府に隠れてイギリス留学したほどの国際派で、日露戦争の後まで生き残っていた貴重な人です。日清戦争くらいから増長した若造とは違います。おそらく、今の言葉でいう「パワー・バランス」がわかっていたのでしょう。

日本が韓国を支配するというのは、日韓2国間の問題ではないんです。もちろん、韓国の支配を巡って戦ったロシアも関係ありますし、ロシアの動きを見て日本を支援したイギリスとアメリカも関心を寄せていたのです。
日清戦争が終った3年後の1898年、「米西戦争」により、アメリカはスペイン領だったキューバやフィリピンを支配しました。その4年後(日露戦争勃発の2年前)の1902年、日英同盟が締結されました。
ロシアの南下は困るけど、日本が強くなりすぎるのも放置できない。アメリカやイギリスは、そんなことを考えていたのではないでしょうか。そして、日本政府要人でそういうことに気が付くのは、伊藤博文だけだったのかも知れません。

日露講和条約後の10月、伊藤博文は第二次日韓条約を締結して、韓国を「保護国」にしました。同じ年の7月、アメリカは桂首相との「桂-タフト秘密協定」で、日本の朝鮮支配とアメリカのフィリピン支配を相互に承認するようになっていたのです。つまり、日本が韓国を保護国支配することと、アメリカがフィリピンを植民地支配することは、国際バランスによって認められる行為となっていたのです。

当時の多くの政治家や新聞記者クラスの日本人は、日清戦争で清朝が台湾という辺境の島を手放したことと、一応の政府や王家が有る朝鮮を直接国家統合することの区別が付かなかったのではないでしょうか。欧米の国の植民地支配は、自国の一部にすることではなく、総督府や地元の傀儡国家を使って支配しているのです。伊藤は、そういう支配がウマイ方法だと知っていたのでしょう。

国家併合よりも保護国で支配する方がいい考えた理由は、「アメリカのフィリピン支配と歩調を合わせた」「直接支配よりも、地元政府を使った植民地化の方がいいと知っていた」の2点ではないかと思います。
これがうまく行っていたら、その後の日韓関係は、今のアメリカとフィリピンの関係くらい良好になっていたかも知れません。

そんな伊藤が死んでしまったから、保護国で止めておくという発想を出来る人がいなくなってしまったのです。政治家も新聞記者も国民も、「領土化」に熱くなっていました。

qaz********さん

2009/2/523:00:21

日本自体が裕福ではないのに、朝鮮を併合すれば今以上に金を食うので伊藤や陸奥宗光は反対した

eij********さん

2009/2/522:40:37

なぜ反対だったのかは僕にはわかりませんが、暗殺した人物はこのまま朝鮮が日本の植民地になっていくのにがまんできなかった「安重根」です。
安重根がハルビン駅で伊藤博文を射殺したので、政府は怒って日韓併合に乗り切りました。。

つまり伊藤博文暗殺後に日韓併合という流れです^^

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