かごの大錬金術師 作:Menschsein
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月はまた満ち始めた。カシュバは目覚める。疲れが取れていない。身体が重い。まるで、一日中夢遊病者のように動き回っていたかのようだ。
「カシュバ、おはようございます。朝ご飯の支度が出来ていますよ」とノックと供に部屋の外から女性の声が聞こえ、そしてその声がカシュバの眠気を一気にさました。
「え? ラナー様」
まさかと思いながらもカシュバは自室の扉を開き、目の前にいるラナーの姿に驚く。
「ラナー様! こんなに朝早くから! 何かあったのですか?」
「あら? おはよう。寝癖がありますよ」と、悪戯な笑みを浮かべてカシュバの髪の一部を摘まんだ。
「ちょっと……。ラナー様……。こんな所をクライムに見られたら——」
「——見られたらなんですか?」
「く、クライム!」
ラナーの後ろにすっと現れるクライム。部屋の中から見えない廊下の死角に隠れていたのであろう。
「ラナー様も、クライムも人が悪いですよ!」
「目は覚めましたかカシュバ? それでは、朝食を戴くとしましょう。あ、その前に、子供たちが真似するといけないので、井戸で寝癖はしっかりと直して来て下さいね。では、私は、配膳の準備をしておりますので」
ラナーは、まるで草原を飛び跳ねる野ウサギのように廊下を走り去っていった。
「ラナー様は、昨晩、王城に帰られなかった。この孤児院にご宿泊なされたのだ」
「え? どうして? この孤児院は王城と比べたら安全とはほど遠い場所——」
「——本当に宿泊されたことを知らないのか?」
カシュバは、クライムが腰に下げている剣の柄に手を伸ばしていることに気がつく。いつもの友好的なクライムではない。深い水底のように静かなクライムの青い瞳は、炎で揺れていた。
「本当に知らない!」
「ラナー様は、この孤児院のご自身がお泊まりになっている部屋から抜け出された……。そして、ある部屋へとお入りになられた。男の寝ている部屋だ。リ・エスティーゼ王国の第三王女が、そして未婚であるラナー様が、深夜に男の部屋に出入りしている。そんな噂が広まったら、ラナー様の名誉に関わる」
クライムが何を言わんとしているのか、カシュバには最初には分からなかった。
「まさか? 俺の部屋?」
「そうでなければこんな話はしない……」とクライムは言うと、クッと自ら唇を噛む。
「俺、ずっと寝ていた」
「ラナー様とか!」
「いや、違う! ラナー様が俺の部屋に来たというのは本当か? 逆に信じられない……。いや、でも流石に、ラナー様が俺の寝室に来るなんてありえないだろう。なぁ、クライム。俺をかつごうとしてないか? また、ラナー様の悪戯か?」
「こんな悪夢みたいな悪戯があるか! 俺はこの目でラナー様がカシュバ、お前の部屋に入っていくところを見たぞ!」
「……。だが、俺は君が思っているようなことは決してしていない。そもそも、ずっと寝ていた。これは本当だ!」
「自らの剣に誓えるか?」
「剣に? 俺は剣を持ってないぞ?」とカシュバはクライムの言っている意味が分からずキョトンとした。今日のクライムは少しおかしいのではないか?
「そういうことじゃない。自分の名誉に誓えるか?」
「あ、そういうことか……」と合点がいったカシュバは、「もちろんだ!」と答える。
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「カシュバ! クライム! 遅いよ」と、既に朝食の席について二人の到着を待っていた子供たちが不平を口にした。孤児院では、全員が揃ってから食事をするのがルールであった。
「そうですよ。クライム、カシュバ。早く来てと言ったのに。何か、男同士で楽しい話でもしていたの? 好きな女性の話?」と慌てて席に着席する二人にラナーが微笑む。
「男同士の大事な話です」とクライムが不機嫌そうにラナーに答える。
「あぁ、好きな話をしていたんだ。あ、でも、私、クライムが誰が好きなのか知っている!!」
「僕も知っている〜」
「みんな知ってる!!!」
孤児院の朝の団欒の時間は陽気に過ぎていくのであった。