8月4日、天皇・皇后両陛下は北海道札幌市から特別機で利尻島に向かい、島内の漁業施設や景勝地などを日帰りで巡った。
特産のエゾバフンウニの養殖を手がける「ウニ種苗生産センター」では、天皇は「今の状況だと資源は保てますか」などと質問し、皇后はウニ漁関係者の体調を気遣ったと報道された。
宮内庁幹部によると、半世紀以上にわたって全国の島々を巡り、島民の生活や伝統芸能にふれあってきた両陛下は、利尻島への訪問を強く望んでいたという。
2011年、沖縄県の与那国島とともに利尻島への訪問が計画されたが、東日本大震災の発生で実現に至っていなかった。
今年の3月に与那国島訪問を果たし、今回の利尻島で天皇の離島訪問は皇太子時代を含めると21都道県、55島目となる。
宮内庁関係者は「退位前に、心残りになっていた南北の離島を訪れようというお気持ちだったのでしょう」と話し、在位中最後の離島訪問になるとみられる。
天皇は退位の意向を示唆した16年8月のお言葉でこのように述べている。「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました」。
宮内庁によると、天皇が初めて訪れた島は、広島湾に浮かぶ似島(にのしま)だった。1960年8月、同市でおこなわれた平和記念式典に出席後、原爆などで親を失った孤児が入所する似島学園を訪問した。
天皇はまた、太平洋戦争の戦没者に対する慰霊のためでも、島々を訪ねてきた。
76年1月に沖縄県を訪問した際には、沖縄本島のほかに伊江島にも渡り、約3500人の犠牲者を追悼する「芳魂之塔」を訪れている。94年2月には、日米合わせて約2万9000人が犠牲となった東京都の硫黄島で戦没者を慰霊した。
天皇は、災害の被災地となった島の訪問も大切にしてきた。
北海道南西沖地震の被災者を見舞うため93年7月に北海道・奥尻島に赴いたほか、阪神大震災が起こった95年1月には兵庫県の淡路島を訪れた。2007年10月には福岡県の玄界島で福岡県西方沖地震の復興状況を視察している。
近世以前の天皇は、民衆の前に姿を現すことはほとんどなかった。しかし、明治天皇は各地を行幸することで権威を高め、昭和天皇は全国を旅することで民主憲法化の象徴であることを示した。
明治元年、1868年2月に明治天皇は京都の二条城に行幸、これが初めての行幸で、その後もたびたび行幸や巡幸をおこなっている。
主なものだけでも、69年の東京再幸、72年の九州・西国巡幸、76年の奥羽・函館巡幸、78年の北陸・東海道巡幸、80年の甲州・東山道巡幸、81年の山形・秋田・北海道巡幸、85年の山口・広島・岡山巡幸などというように精力的に日本の各地を巡っている。
天皇が巡幸した先では、滞在した建物や用いた調度類が大切に保存され、記念碑が建立されるなど、「聖蹟」が誕生していった。