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驚天動地の解説
継体天皇
諱はヲホド。『日本書紀』では男大迹王(をほどのおおきみ)、『古事記』では袁本杼命(をほどのみこと)と記される。また、『筑後国風土記』逸文に「雄大迹天皇(をほどのすめらみこと)」、『上宮記』逸文に乎富等大公王(をほどのおおきみ)とある。 なお、隅田(すだ)八幡神社(和歌山県橋本市)蔵の人物画像鏡銘に見える「孚弟王(男弟王?)」は継体天皇を指すとする説がある。別名として、『日本書紀』に彦太尊(ひこふとのみこと)とある。
葛城系だった倭五王・葛城王朝の復活のために五王時代の宰相だった大伴氏と、葛城系を名乗る蘇我氏がともに彼を越前から招請した。三尾氏という半島新羅由来の海人族と伽耶系息長氏が合体してでてくる系譜の王。
継体の先祖である意富富杼王(おほほどおう)同族には『古事記』に筑紫米多(めた)君、息長坂君(息長君・坂田君か)・酒人君・三国君などが記録がある。筑紫米多君は筑後の吉野ヶ里あたりに住まった渡来系で、末多(まったの)君と書訓するのが正しい。百済武寧の父親で末多(まった)王がある。人物画像鏡銘文の「男弟王」を「おほど」と読まずにそのまま男の弟王と読めば、オシサカの宮にいた曰十王・十曰王とはヲケ王だったという説もあり、継体はいなかった、あるいは捏造、あるいは伽耶系征服王であって大和を滅ぼして蘇我王家の基礎を作ったが対抗勢力である欽明に消されたとかいろいろ。しかし要するに息長氏のための継体挿入であり、結論としてはいなかった人であろう。
 

安閑天皇
『日本書紀』では、諱を勾大兄皇子(まがりのおおえのみこ)としている(「まがりのおいねのみこ」とも読む)。 和風諡号は、『古事記』に広国押建金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと)、『日本書紀』に広国押武金日天皇とある。
宣化天皇
『日本書紀』では、諱を檜隈高田皇子(ひのくまのたかたのみこ)という。 和風諡号は、『古事記』では建小広国押楯命(たけをひろくにおしたてのみこと)といい、『日本書紀』では武小広国押盾天皇(たけをひろくにおしたてのすめらみこと)という。不在天皇で創作されたという説が濃厚。娘は欽明の皇后石姫。

欽明天皇
欽明天皇(きんめいてんのう、継体天皇3年(509年?) - 欽明天皇32年4月15日(571年5月24日?))は、第29代天皇(在位:宣化天皇4年12月5日(539年12月30日?) - 欽明天皇32年(571年?)4月15日)。和風諡号は天国排開広庭天皇(あめくにおしはらきひろにわのすめらみこと)。別名、志帰嶋天皇・斯帰斯麻天皇(いずれも「しきしまのすめらみこと」と呼ぶ)。この代に、百済より仏教が公伝し、任那が滅亡した。母は武烈の忘れ形見・手白香姫で、これによって欽明は正統な河内王朝(応神~武列。つまり中国の言う倭五王を模写して作り出された『日本書紀』が主張する先の王家、飛鳥宗我王家の前の王家。実は倭五王は大和以外にあった説も濃厚)の後継者となったことになる。
「あめくに・おしひらき」は安閑・宣化の「おしたけ・おしたて」に対抗する意味の国家開闢王という名前で、『日本書紀』はこの大王こそが大和朝廷の祖と内心で設定していると思える。
皇后は宣化の娘であるが宣化そのものの実在が怪しく、実は蘇我稲目の娘・妃:堅塩媛(きたしひめ)や 小姉君(こあねのきみ)こそが皇后的存在だろう。二人の子供が用明・推古天皇。

敏達天皇
在位期間は、敏達天皇元年4月3日(572年4月30日?)から同14年8月15日(585年9月14日?)まで。和風諡号は渟中倉太珠敷尊(ぬなくらのふとたましきのみこと。『古事記』では沼名倉太珠敷命)。別名、他田天皇。
皇后にこの人から息長氏の娘(広姫)が復活。葛城系・蘇我系だった王統にここで歴史上は最初の息長系(=新羅系伽耶海人族で鉄の一族。福井~琵琶湖~木津川一帯の盟主)が、蘇我系王家を倒して?登場する。息長系神功皇后、継体大王がいたとする『日本書紀』の創作は彼らの影響で書かれたのだろう。またアメノヒボコやツヌガアラシト伝承も同じく息長氏と妻の三尾氏系譜にあった九州豊前経由の新羅系伽耶渡来人たちの伝承を取り込んだもの。この天皇こそが天智・天武につながる息長系天皇家の創始者で、大和朝廷の中興の祖である。
この血脈が近畿最初の大王家であった蘇我王朝(大王蘇我天皇。ただし蘇我はあとからの悪字で、本当は「宗我」=我こそは宗主)。
 
用明天皇
和風諡号は、『日本書紀』では橘豊日天皇(たちばなのとよひのすめらみこと)、『古事記』では橘豊日命(たちばなのとよひのみこと)という。 諱は池辺皇子(いけのべのみこ)。また、即位前の名称として大兄皇子(おおえのみこ・大江とも)とも称する。
 
 
崇峻天皇
諱は泊瀬部皇子(はつせべのみこ)。『古事記』には長谷部若雀天皇(はつせべのわかささぎのすめらみこと)とある。
「はつせべ」はメノトだった氏族名。「わかささぎ」はおおささぎ=仁徳の正統な後裔の意味にもとれる。
 
 
推古天皇
関西大学名誉教授横田健一によれば日本最初の女帝推古天皇が即位したとき「女帝・女王」は当時の東アジアにはまだいなかったと述べている(古代王権と女性たち』、吉川弘文館、1996年)。
諱は額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)。和風諡号は豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめのみこと、『日本書紀』による。『古事記』では豊御食炊屋比売命という)。『古事記』ではこの天皇までを記している
 
 
舒明天皇
(じょめいてんのう、推古天皇元年(593年)? - 舒明天皇13年10月9日(641年11月17日))は、日本の第34代天皇(在位:舒明天皇元年1月4日(629年2月2日) - 舒明天皇13年10月9日(641年11月17日))。諱は田村(たむら)皇子。 和風諡号は息長足日広額天皇(おきながたらしひひろぬかのすめらみこと)。
まさに息長をそのまま諱にした最初の大王。彼は息長系天皇家中興の祖とも言える。

妃:田眼皇女(ためのひめみこ) - 敏達天皇・推古天皇皇女
皇后:宝姫王(たからのひめみこ、後の皇極天皇・斉明天皇) - 茅渟王女、もと高向王妃、漢皇子母
子供
葛城皇子(かずらきのみこ、中大兄皇子・天智天皇)
間人皇女(はしひとのひめみこ) - 孝徳天皇皇后
大海人皇子(おおあまのみこ、後の天武天皇)
 
夫人:法提郎女(ほていのいらつめ) - 蘇我馬子女
その子供
古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ、吉野太子)

采女:蚊屋采女(かやのうねめ、姉子娘?) - 賀陽臣女?
蚊屋皇子(かやのみこ、賀陽王) - 三島真人祖

『日本書紀』が記す以上の皇子女の他、『一代要記』『帝王編年記』などに布敷皇女(母は法提郎女)・押坂錦間皇女(母は粟田臣鈴子の女 ・香櫛娘)・箭田皇女(母は蘇我蝦夷の女 ・手杯娘)の名を伝えるが、所拠不明である。
一見蘇我系に見えるが広姫直系の息長系譜の大王。母は糠手姫皇女(敏達天皇皇女で押坂彦人大兄皇子の異母妹で、これも息長直系。つまり妃以外は蘇我系譜はない。血脈的に蘇我氏とはほとんど縁がない大王。
したがってこの大王こそが乙巳の変の影のフィクサーで、皇后斉明の夫である孝徳こそが入鹿惨殺の立役者。中大兄皇子は孝徳に利用されただけの小物。中臣鎌足立案説は『日本書紀』のロジック。藤原家の正当性のための不比等のでっちあげ。
 
 
蘇我天皇
『日本書紀』が書かない、殺された王家。
諱ワカミタフリ。アメノタリシヒコ。
『日本書紀』はこの天皇を推古女帝にすりかえてある。
別名・蘇我馬子
正当性のために武内宿禰・葛城同族を名乗るが、実は伽耶からの渡来人。
 
 
 
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ちなみにこれが元の系図
こちらは葛城系(ピンク)から息長系(ブルー)への変動を罫線の色で分けてある。
 
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結論
1 継体大王はいなかった
2 推古女帝はいなかった。王は馬子だった。
3 倭五王は吉備・葛城・物部・大伴・尾張・紀・筑紫・出雲の連合国家である。
4 大和最初の王家は蘇我王朝
5 それを簒奪した息長・敏達王朝=飛鳥政権
6 『日本書紀』の歴史部分は藤原不比等らが息長氏メインの歴史観で作られた
7 朝廷のはじまりは筑紫国造・蘇我王朝を滅ぼしてようやく孝徳大王によって難波で始まろうとしていた。
8 それを利用された中大兄がひっくりかえして近江に百済王政権樹立
9 それをまたまた天武がひっくりかえしてようやく大和王朝開始
10それをまたまたまたでんぐりがえして持統と藤原氏が仕切りなおし。しかし開闢の祖は敏達と孝徳。
番外 白村江で闘ったのは天智ではなく筑紫の倭国
 
 
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「記紀異説・神話分析」書庫の記事一覧

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    私には、難しいお話ですが、またゆっくりと。。
    読ませていただきたいと思います。。^^。
    v^^。
    ありがとうございます。。^^。
    v^^。

    nqm*s63*

    2013/4/22(月) 午後 7:27

    返信する
  • 顔アイコン

    はあ・・・・・・どうぞ

    Kawakatu

    2013/4/22(月) 午後 9:02

    返信する
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    こんばんは。

    詳しく説明していただきありがとうございます。
    じっくり読ませていただきたいと思います。
    日本書紀の記述を読むと、継体紀と欽明紀は百済本記を転載しているだけなのでこの二人の実在は?だと考えていました。
    むしろ地味な安閑帝、宣化帝の方が実在の可能性が高いのでは・・・。
    (勿論天皇としてではありませんが。)

    私ももう少し息長氏を勉強してみます。

    [ 記紀いっぱつ ]

    2013/4/22(月) 午後 9:13

    返信する
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    天智までだってうそ八百ですよ。『日本書紀』は偽書です。

    Kawakatu

    2013/4/22(月) 午後 9:54

    返信する
  • 顔アイコン

    家康も知っていた倭国年号
    最近珍しい書籍を教えてもらいましたので、ご存知かもしれませんが、紹介します。
    安土桃山末期、江戸初めの1608年に、ロドリゲスというポルトガル人が日本に布教に来て、日本語教科書を作るため、日本文化を幅広く聞き書き収集して著した、「日本大文典」という印刷書籍です。
    400年前の広辞苑ほどもあるような大部で驚きです、さらに家康の外交顧問もしていました。
    興味深いことに、この本の終わりに、当時ヨーロッパ外国人が聞き書きした、日本の歴史が記載され、倭国年号から大和年号に継続する522年からの年号が記載されています。この頃あった、古代からの日本の歴史についての考を知ることができる タイムカプセル でしょうか。家康はこの倭国からの王朝交代を知っていたはず。この内容はウィキなどどこにも出ていないようです、もう既に見ていますか。
    ついでに
    倉西裕子著
    『「記紀」はいかにして成立したか』
    720年日本紀と日本書紀 は別物という考証です。
    宜しくお願いします。
    いつも拝見しています。

    [ ish*ya*ate*a ]

    2013/12/16(月) 午前 5:59

    返信する
  • 顔アイコン

    手が空いたら。

    Kawakatu

    2013/12/16(月) 午後 6:15

    返信する
  • 顔アイコン

    『日本書記』とは何か?
    http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/55892741.html

    『日本書記』の成立については森公章をどうぞ。

    倉西さんは前はブロ友なれど、今は更新されていない=著名になって忙しくなったのかと思います。

    家康のみならず信長も知っていたでしょうね。天下の為政者なら当然。明治政府も知っていた、いや官僚が読んでいることでしょう。宮内庁も読んでいる。今の政府の要人はさあ、文字の読めぬ卑賤の出自のものばかりで、経済馬鹿ばかりなので無理でしょう。

    宣教師の記録が必ずしも正鵠かどうかにも疑念は多いというのが本音ですな。「日本大文典」は調べてみましょう。情報感謝でした。なにしろ今は年末で忙しいのでいずれ。

    Kawakatu

    2013/12/18(水) 午前 11:57

    返信する

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