7月30、31の両日に開催された金融政策決定会合での議論を経て、日本銀行は金融政策の変更を決定した。今回の決定は新聞などで大きく報じられたが、その趣旨については見方がかなり分かれているようだ。そこで、本稿では今回の金融政策決定会合の「総括的検証」を行うとともに、5年半にわたる異次元緩和の来し方行く末について考えてみることとしたい。本稿の主たるメッセージは
(1)日本銀行の現行の金融政策の枠組み(長短金利操作付き量的・質的金融緩和政策)は、その名称とは裏腹に、市場に供給する資金量をコントロールする「量的緩和政策」とはなっていない。金融政策の運営はすでに金利を操作対象とする枠組みに移行しており、「日銀はどんどんお札を刷って、際限なくおカネをばらまいている」という異次元緩和のイメージは大きく修正される必要がある。
(2)今回の政策変更の主たる目的は、「円債村の過疎対策」(国債市場における市場機能の回復)にある。「過疎対策」の具体的な内容は、「ゼロ%程度」で推移させることとしている長期金利(10年物国債利回り)の変動幅を倍増させる(プラスマイナス0.1%程度から0.2%程度へ)というものだ。
(3)円債村(国債市場)の過疎化が進展したのは、マイナス金利の導入(2016年2月)とイールドカーブ・コントロール(長短金利を一定の水準に誘導する金融政策の枠組み)の導入(16年9月)の影響によるところが大きい。今回の政策変更は、このうち後者について枠組みの微調整を行うものである(併せて、前者についても「実務的な対応」として微調整が行われることとなった)。
(4)イールドカーブ・コントロール(長短金利操作)の導入は、長期のゾーンにおけるマイナス金利の発生で水没しかかっていた円債村を救うための措置であったが、長期金利の変動幅を狭く抑えすぎたために過疎化がさらに進展してしまった。この点を踏まえてなされた今回の見直し(長期金利の変動幅の倍増)が過疎対策としてどの程度の効果を発揮するかについては、いましばらく慎重な見極めが必要となる。
(5)今回の措置は「ゼロ%程度」で推移させることとしている長期金利の上方への水準訂正に道を開くものであり、今後の運営のいかんによっては金融機関の収益の下支えに資するものとなるかもしれない。
(6)リーマンショック後、一貫して下落が続いている家賃(持家の帰属家賃を含む)のことを考慮すると、2%の物価安定目標の達成には大きな困難が伴う。一方、2014年の春には消費者物価の上昇率が1%台半ばに到達したという実績がある。物価が上がりにくい状況を生じさせている構造的な要因の分析も重要だが、2%の物価安定目標と金融政策の運営スタンスの間の距離感、間合いをどのようにとるかを改めて考えることが必要だ。
というものだ。以下、これらの点について順をおって説明していくこととしよう。
1.円債村の過疎対策:国債市場の機能低下への対応
今回の政策変更のポイント
現在、日本銀行は「長短金利操作付き量的・質的金融緩和政策」という枠組みのもとで金融政策の運営を行っている。だが、その名称から受ける印象とは裏腹に、この枠組みは市場に供給している資金量を操作対象(操作目標)とする「量的緩和政策」とはなっていない。実際、「80兆円をめど」に買入れることとされている長期国債の買入れ額は大きく減少して、足元では40兆円台で推移している(図表1)。
図表1 長期国債の買入れ(保有残高の増加額)の推移
(資料出所)日本銀行の資料より作成
すなわち、現行の金融政策は、すでに金利を操作対象とする枠組みに転換しており、「長短金利操作」のほうがその枠組みの中心となっている。具体的には、民間金融機関が日本銀行に預入している準備預金(日銀当座預金)の一部にマイナスの金利(▲0.1%)を付すとともに、長期金利(10年物国債利回り)を「ゼロ%程度」で推移させることによって、短期(翌日物)から超長期(40年債)に至る金利体系全般に影響を与える操作(イールドカーブ・コントロール)が、現行の金融政策の基本的枠組みということになる。今回の政策変更のポイントは、このうち「ゼロ%程度」で推移させることとしている長期金利について、その変動幅を上下0.1%程度から0.2%程度に拡大させるというものだ。
国債市場における市場機能の回復
それではなぜこのような措置が必要になったのかといえば、国債市場の機能低下という問題がその背景にある。マイナス金利政策の導入が決定される前の時点(16年1月)でも長期金利はすでに0.2%台まで低下していたが、導入後は一段と金利が低下して一時はマイナス金利が続く局面もみられた(図表2)。このため、国債の金融商品としての魅力は大きく低下した。
図表2 長期金利の推移
(資料出所)財務省「国債金利情報」より作成
イールドカーブ・コントロール(長短金利操作)は、マイナス圏に落ち込んだ長期金利をプラスの水準に引き上げる意図をもって導入されたものであるが、実際の運営においては長期金利の変動幅が狭い範囲に抑えられたため、国債市場の機能低下がさらに進んでしまった。もし仮に日経平均株価が2万2千円ちょうどで推移するように、日々の株価がコントロールされていたとしたら、はたして積極的に株を売り買いする気になるかということを想起すれば、この事情は容易に理解されよう。
このような市場機能の低下は閑散とした取引とそれに伴う人員配置の縮小というかたちで立ち現れる。
「多様な見方をする市場参加者が存在するという意味での市場の厚みは、大きく損なわれている」
「各社とも円債の部署に人材を投入しなくなっている」
「先行きにわたって収益環境が改善する見通しを持てず、若い人材の採用や育成にコストをかけ難い環境となっている」
国債取引の現場からはこのような悲痛な声が聞かれるようになっていた(以上のコメントは債券市場参加者会合(日本銀行)の第7回議事要旨より引用)。
マイナス金利政策の導入によって金利水準の全般的な低下が生じ、一時は10年超のゾーンまでマイナス金利の余波が広がっていた円債村(国債市場)は、長短金利操作の導入によって水没の危機は免れることができた。だが、長短金利操作における金利の変動幅が狭い範囲に抑えられたため、今度は金利の変動を通じた収益機会の喪失が村を襲い、過疎化がなお一層進展しかねない状況となっていた。
こうした中でとられた今回の措置(長期金利の変動幅の倍増)は、このような円債村の窮状を憂慮した日本銀行による過疎対策と理解することができる。もっとも、このような対応がとられたもとでも、長期金利の誘導水準自体は「ゼロ%程度」のままであり、これによって国債という金融商品の魅力が大きくアップするというわけではない。この点を踏まえると、今回の措置が過疎対策としてどの程度の有効性を発揮するかは、しばらく推移をながめてからでないと判断できないというのが現状ということになる(直近20営業日の経過をみる限り、長期金利は0.1%近辺
の狭いレンジで推移しており、大きな変化はみられない)。
2.「倍」は地銀を救う?:金融機関の収益環境に対する配慮
マイナス金利が金融機関に与える影響
マイナス金利政策の導入で苦境に立たされたのは債券市場の関係者にとどまらない。国債への投資を安定的な収益源としてきた機関投資家(生命保険会社・年金基金など)や、資金利益(貸出などの資金運用から得られる利益)に収益の多くを依存している銀行も、マイナス金利の影響を受けてさまざまな対応を迫られていた。とりわけ、地域金融機関(地方銀行・第二地方銀行・信用金庫など)は手数料収入などから得られる利益(非資金利益)の確保が十分にできていないことから、マイナス金利の影響をより大きく受けることとなる。
極めて緩和的な金融環境が継続するもとで、資金利鞘(資金の運用利回りと調達利回りの差)は以前から縮小が続いていたが、マイナス金利の導入はそれに拍車をかける結果となった。2016年の春頃から貸家業(個人)向けの貸出が大幅に増加するなど(図表3)、マイナス金利の影響とみられる変化も生じたが(ただし、貸家の供給増については15年に実施された相続税の強化の影響も大きいとみられる)、このような変化をマイナス金利政策の効果としてどの程度高く評価するかについてはさまざまな見方があり得るだろう。
図表3 貸家業(個人)に対する貸出の状況(国内銀行・銀行勘定)
(資料出所)日本銀行の資料より作成
長短金利操作の導入
長短金利操作の導入によって長期金利の誘導水準が「ゼロ%程度」とされたのは、金融政策の引き締め方向への政策転換と受けとめられることを回避しつつ、長期金利を小幅なプラスの水準にもっていくための工夫であった。すなわち、長短金利操作の枠組みは、マイナス金利政策の軌道修正を図るために採られた措置ということになる。このような対応が可能となった背景には、長短金利操作の導入を機に長期国債の買入れ(保有残高の増加額)に関する数値目標が外れ、資金供給量を弾力的に変化させることができるようになったということがある。
このことを踏まえて今回の措置の意味を考えると、「ゼロ%程度」で推移させるとしている長期金利の変動幅を2倍に拡大させる(プラスマイナス0.1%程度から0.2%程度へ)という変更を行うことについては、小幅ながらも長期金利の上方への水準訂正を行ういう意図があるとみるのが自然な話ということになるだろう。すなわち、この措置は、資金利鞘の縮小に伴う資金利益の減少によって十分な収益の確保が困難になっていくおそれのある地域金融機関などを念頭に、収益環境の改善につながる一定の配慮を行ったものということができる(ただし、0.1%程度の引き上げにとどまることから、収益の改善に対する寄与は限定的である)。
今回の政策変更では日銀当座預金のうちマイナスの付利(▲0.1%)を行っている部分(政策金利残高)について、「長短金利操作の実現に支障がない範囲で、現在の水準(平均して10兆円程度)から減少させる」ことが併せて決定された。この措置も、金融機関の収益に対するマイナスの影響を低減させることにつながる措置と理解される。
3.名ばかり「フォワードガイダンス」:「時間軸政策」の復活と不明確な「約束」
今回の政策変更では上記の措置と併せてフォワードガイダンスの導入が決定された。フォワードガイダンスは、中央銀行が将来の金融政策の運営スタンス(政策金利の水準など)について現時点であらかじめ「約束」(コミットメント)をすることにより、現時点における長めの金利(10年物国債利回りなど)に影響を及ぼすことを主眼とする金融政策の枠組みのことである。
このような政策枠組みの採用が可能となる背景には、ある年限(満期)の金利が、現在からその年限までの各時点における短期金利の水準に依存するかたちで決定されるというメカニズムの存在がある。たとえば、向こう3年間にわたって中央銀行が政策金利(短期金利)を0%程度で推移させるという約束を行い、この約束が市場参加者から十分な信頼(信認)を獲得することができれば、現時点における3年物の金利はほぼ0%で推移することとなる。
新聞報道などでは、今回の措置が「ECB(欧州中央銀行)の例に倣って新たに導入されたもの」といった解説がなされることがあるが、フォワードガイダンスの元祖は1999年に日本銀行が導入した「時間軸政策」にある。「デフレ懸念の払拭ということが展望できるような情勢になるまでは、市場の機能に配慮しつつ、無担保コール・オーバーナイトレートを事実上ゼロ%で推移させ、そのために必要な流動性を供給していく現在の政策を続けていく」(99年4月13日の速水総裁記者会見)という意思表明は、フォワードガイダンスの原型にほかならない。
もっとも、99年時点の約束では、ゼロ金利政策の継続期間が「デフレ懸念の払拭ということが展望できるような情勢になるまでは」と曖昧なかたちで記述されており、その意味ではフォワードガイダンスとして極めて不完全なものとなっていた。そして、同様のことは今回の措置についても当てはまる。今回の政策決定に関する公表文には、「日本銀行は、2019年10月に予定されている消費税率引き上げの影響を含めた経済・物価の不確実性を踏まえ、当分の間、現在の極めて低い長短金利の水準を維持することを想定している」とあるが、現行政策の継続期間については「当分の間」とあるだけで、物価上昇率など具体的な経済指標との明確な結びつけがなされていない。
今回の政策決定においてフォワードガイダンス(時間軸政策)が導入されたことについては、これを金融緩和の強化と見る向きもあるが、今回の約束の内容は極めてあいまいなものである。この措置は、長短金利操作における「ゼロ%程度」の変動幅を倍増させたことが金融引き締めの動きと受けとめられないよう、修辞的な工夫によって外形を整えるべく導入されたものとみるほうが妥当である。【次ページにつづく】
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