「かくれんぼしよう」。そう言われ、見知らぬ病院にやってきた小さな男の子。だがいくら待っても、鬼は探しに来なかった。
2007年5月10日、熊本市の慈恵病院の看護部長、田尻由貴子さん(68)の携帯が鳴った。電話口からは切迫した様子の看護師の声。「ゆりかごに預けられました!」
親が育てられない子を受け入れる「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)が、日本で初めて同院に開設されたのがこの日正午。そのわずか3時間後のことだった。「第1号」は青いシャツの3歳児で、かくれんぼのつもりで連れてこられたという彼は、脱いだ靴を抱えて座り込んだままポカンとしていた。
「まさか」。受け入れ対象に考えていたのは主に新生児。保育器など用意していた設備も大半が乳児向けだった。「育児放棄を助長する」、そんな批判がさらに高まるのではないか。想定外の展開に動揺が広がったが、蓮田太二理事長(82)の信念は揺るがなかった。
1990(平成2)年度に1101件だった児童虐待(児童相談所での対応件数)は、平成を通して増加の一途をたどった。ゆりかごが設置された07年度は4万件超。失われた20年は、子供にも暗い影を落としていた。
■不幸の連鎖を懸念
現実に捨てられる命がある以上、救いたい――。ドイツの先行事例をモデルにゆりかごの設置を決断した同院だったが、突き刺さる世間の視線の厳しさは想像以上だった。「街宣車で乗りつけるぞ」「(預けるのは)犬でもいいんでしょ」。嫌がらせ電話はやまず、蓮田さん宅に直接かかってくることもあった。
法や行政の壁も高かった。親が保護責任者遺棄罪、病院もほう助に問われる可能性が指摘された。警察は「安全性が保たれ事件性がなければ捜査しない」としたものの、法律家の見解は割れた。
設置許可主体の熊本市も難色を示した。将来自立できずに困窮し「不幸の連鎖」を生むとの懸念は根強かった。
許可するか、却下か。当時の市長、幸山政史さん(53)は悩みに悩み、厚生労働省にたびたび助言を求め、直接足も運んだ。だがこの間、安倍晋三首相(当時)が「大変抵抗を感じる」と述べたほか、閣僚らから疑問の声が相次いだこともあり役所の態度も硬化。厚労省の担当者は「最終的には市の判断ですから」と突き放した。
結局、市は申請から4カ月をかけてようやく許可を出す。「ひとの人生を大きく変えてしまう施設。慎重にならざるを得なかった」と幸山さん。それでも苦渋の決断を最後に支えたのは「これで救われる命があるのなら」との純粋な願いだった。
■孤立する女性の存在浮き彫りに
開設から11年余、ゆりかごが救った命は130人を超える。同院がゆりかご設置とあわせて始めた妊娠の悩みや葛藤を聞く事業も、相談件数が08年度の約500件から、17年度は7400件超に。8割が県外から、9割は匿名希望だった。
こうした取り組みは、望まぬ妊娠に苦しみながら声を上げられず、ただ孤立するしかなかった女性が数多くいる現状を浮き彫りにした。「命への深い愛や生き方の教育が十分ではなかった社会の陰」(田尻さん)に光が当たった。
一方で救えなかった命も少なくない。14年には乳児の遺体が預けられ、母親が有罪判決を受けた。預けられた子供が家庭に戻され、母親との無理心中で亡くなる痛ましい事件も起きた。
ゆりかごには多額の維持費がかかるが、行政の支援は依然乏しい。慈恵病院に続く担い手も現れていない。「日本は見かけは豊かになった。でも国の将来を担う子供たちの幸せを考えられる成熟した社会には、まだなっていないのでは」。11年を経てなお、蓮田さんはこう感じざるを得ない。
初日に預けられた男児は里親のもとで元気に育ち、5年ほどたったある日、病院を訪れた。「ゆりかごがあって良かった」。男児がそっとつぶやいた一言を思うと、田尻さんは今も胸が詰まる。
格差拡大が指摘され、貧困などを背景にした虐待事案はなお後を絶たない。「もうおねがい ゆるして」。東京都目黒区で5歳の女の子が発したSOSは、今年3月にその命が尽きるまで誰にも届くことはなかった。虐待件数は16年度、12万件を超えた。
「ゆりかごが必要ない社会ならその方がいいに決まっている」と関係者は口をそろえる。子の真の幸福とは何か――。賛否両論の大波に揺さぶられながら孤高の歩みを止めないゆりかごは、平成の世に残された問いを、この先も投げかけ続ける。(鳥越ゆかり)
■少なくとも11カ国で設置
赤ちゃんポストはドイツ北部の都市ハンブルクで2000年に運用が始まり、瞬く間に独全土に拡大。15年間で約100カ所に設置された。
現在は米韓など少なくとも11カ国が設置。だが14年には中国の施設に障害児の預け入れが殺到して一時閉鎖に追い込まれるなど、設置や運営を巡って賛否両論が対立する状況は各国とも共通している。
そんな中、14年にはスロバキアで赤ちゃんポストをテーマとした国際会議が初開催され、今年4月には熊本市でも行われた。ドイツでは妊婦が匿名で出産し、生まれた子が成長した後に出自を知ることができる「内密出産」も制度化されており、慈恵病院も実現を目指している。