高田かや『お金さま、いらっしゃい!』(文藝春秋)
似たり寄ったりのお金論に一石を投じた作品
佐藤航陽『お金2.0』(幻冬舎)がベストセラーになるなど、お金に対する関心がこれまでになく高まっている。終わりの見えない超低金利、福祉政策への不安、仮想通貨のブームなどが背景にあるようだ。
さまざまな文化人、著名人がお金について論じる。けれどもたいてい似たり寄ったりだ。「お金だけで幸せにはなれない」「お金は貧富の差を作り出す」「お金のない社会のほうがいい」といった否定的な意見か、逆に「愛だって金で買える」「結局は金を持っているものが勝ち」というワルぶった主張である。どうも素直でない。
そうした中で、ユニークなお金論がマンガで登場した。高田かや『お金さま、いらっしゃい!』(文藝春秋)である。
作者が育ったお金のない“カルト村”とは?
デビュー作『カルト村で生まれました。』で注目された作者は、農業を基盤とした生活共同体で生まれ、19歳まで育つ。所有の概念を否定しユートピアを目指すその村には、お金が存在しなかった。村の中では物は共有で、お金のやりとりは一切必要なし。子どもの小遣いも存在せず、抜き打ちの引き出しチェックでお金を隠し持っているのが見つかると即没収された。
日常的にお金が近くにない生活をした作者は「特別な物」「滅多にさわれないすごい物」としてお金に憧れ、やがてお金が大好きな大人になる。作者にとってお金は常に不動の上位にあり、その価値は揺るぎようがなく、「お金リスペクト」は変わらないとはっきり書く。本心ではお金が大好きなくせにお金に対し屈折した物言いしかできない文化人などに比べ、自然体で好感が持てる。
19歳で両親とともに村を離れ一般社会に出た作者は、病院の調理補助のパートで働き始め、初めてもらった13万円の給料に感激する。それ以降、東京・新宿の百貨店を回って気に入った服を納得いくまで選んだり、結婚してからは下町の八百屋や魚屋で安く買い物したり、お金の賢い使い方をエンジョイする。
そんな作者はお金について、とても深い洞察をしている。
お金によって、人は知らない人と意思の疎通ができる
一見無愛想な魚屋のおじさんに作者がサヨリを買って500円玉を渡すと、小銭を入れたザルをゴソゴソと探り「お釣り200円ねっ」と笑顔で手渡してくれる。あるいは、きれいにお化粧したレジ打ちの美人なお姉さんに買い物の代金を払うと、「ありがとうございましたー」とお礼を言ってくれる。
作者は「共通の通貨であるお金を介せば、意思の疎通とお互いの満足が成り立つ」と実感し、夫にこう語る。
「普通に仲良くなるには難しいようないろんな年代・性別の人でも、お金を通してつながりが形成されるのがなんか良いよね。言葉ではないけど何かが通じた気がして、嬉しくなっちゃう。〔略〕お金って言葉も年齢も性別も越えて人と人をつなぐためにあるのかもしれないね」
文化人はよく、お金は貧富の差を広げ社会を分断し、人と人との絆を断ち切ってしまうとお金を批判する。一方、お金のない村で育ち、成長して初めてお金を知った作者は自らの体験を通じ、お金はむしろ人と人とをつなぐと考える。どちらの見方が正しいのだろう。
お金が産業の分業化を発展させ、便利な暮らしをもたらした
経済学で考えると、作者の考えのほうが正しい。
近代経済学の父と呼ばれるアダム・スミスは著書『国富論』で、人間の生活にとって分業がいかに大切かを説く。各人が専門分野に特化することによって1人でこなせる仕事の量が増加し、経済全体の生産量が増加する。
人はみな、他人が必要とするものを大量に供給でき、自分が必要とする物を大量に供給してもらえるので、社会のすべての層に豊かさが行き渡っていく。
この分業を広く、深く発達させるのがお金だ。家族や近所の人とお金をやりとりせずに家事や町内会の仕事を手分けすることはできる。だが親しい仲でもお金がないと不便なことはよくある。
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