かごの大錬金術師 作:Menschsein
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新しい環境。新しい生活。それに慣れるのは大変だった。
ラナー様が経営する孤児院で住み込み、そして働くことになった最初の一週間、目が回るような忙しさだった。
新しい仕事。慣れることが精一杯で、毎日が大変であったが、死に物狂いでやっていれば、なんとかなるものなのだろう。
孤児院は、基本は年上の子供が年下の子供の面倒を見るということが基本だ。年上の子供が、まだ幼い子供の面倒を率先してみる。ベッドメイキングの仕方、衣服の洗濯、食事の作り方。
子供それぞれが、食器を並べたり、テーブルを拭いたり、料理を作ったり、配膳をしたり。それぞれの年齢で出来ることをこなしていくという共同生活だ。
では、大人達の仕事は何か?
それは、主に教育の分野になる。文字の教育から始まり、それ以外にも数字に強くなれるように、また、社会常識なども教えていく。ある意味、独り立ちでき、そしてチャンスに恵まれれば這い上がって行けるかも知れないという最低限の教育を施すのが、この孤児院の限界だ。だが、文字の教育などを受けれる時点で、這い上がって行けるチャンスが格段に増える。浮浪児などは、裏路地で死んでいくということが常識であったこの王国で、画期的な試みだ。
それに、孤児院の経営上の問題もある。子供達が、いつまでもこの孤児院に居続けることができるという訳ではない。独り立ちをしていってもらわなければならない。幸い、この孤児院には身体が強かったり、魔法の才能がありそうな子供、そして
それに、孤児院の子供達も、冒険者という仕事に憧れを子供が多い。時間を見つけて尋ねて来てくれる”蒼の薔薇”。それが一番の人気だろう。子供達に簡単な稽古をしてあげたりしていて、子供達に人気がある。
『より沢山の子供を保護するには、早く一人立ちをしていってもらうということも重要です。まだまだ王国には親を失った子供たちがたくさんいます。『入り』を多くするためには、『箱』を大きくすることも重要ですが、それよりも重要なのは『出す』ことです。そして、この孤児院から一人立ちした人達が、少しでも良いので、財政面でこの孤児院の財政を支えてくれる。このような良い循環を作ることが私達の目標です』
そうラナー様が説明してくれた時には、胸が熱くなった。聞けば、自らの資材を投じてこの孤児院を設立した。戦争をしたり、むやみに威張ったりと、貴族や王族に悪い印象しか持っていなかった俺の、王族に対する評価は一変した。
俺も、この孤児院と、そしてラナー様のために粉骨砕身で頑張って行こうと思っている。
そんな俺だが、教育の分野で俺が役に立てることは少ない。というか、俺は文字が読めない。子供達に教えることができるような知識などない。むしろ、俺が孤児の子供達と一緒に机を並べて勉強したいくらいだ。
そんな
それに、役得ということだろうか。最近は、ラナー様が俺に、勉強を教えてくれている。同じ机に座って、ラナー様が御自ら俺に文字を教えてくれているのだ。
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「おい、クライム。さっきから何ため息ばっかりついているんだ? まぁ、原因は大体分かるんだけどよ」と、数時間に及ぶ素振りを終えたクライムにガガーランが話しかけた。
「別になんでもありませんよ」
「嘘つけ。お姫様が取られてしまうんじゃないかって心配なんだろう? そういう気持ちのもやもやは、一発だしてスッキリしたほうがいいぜ?」
「いえ。私はラナー様に仕える身です。取られるとかそんな感情はありません」
自分で言っていて嘘だと分かる。
「私もモモン殿とああやって……」とイビルアイも呟く。
孤児院の中庭。中庭に大きな木が植えてあり、その木の下で、ラナーとカシュバは勉強をしていた。外から見ると、恋人同士が木漏れ日の中で、楽しげに会話しているように見える。
「でも、昔はああやってお前も、教えてもらったのだろう?」とガガーランが言う。
「そ、それはそうですが……」
クライムは思う。確かに、ラナー様に拾われた。そして、王宮で働く騎士として働けえるだけの最低限の知識を教えてもらった。だが、それは……。子供の時の話ではないか。
『恋』という感情を自分が持ち合わせていなかった時の話だ。どん底の生活から、ラナー様が自分を救い出してくださった。子供の頃の自分がラナー様に抱いていた感情。それは、『感謝』と『尊敬』。
もちろん、今だって感謝しているし、王国で自分と同じように親がいない、犬のような生活をしている子供たちのために立ち上がられたラナー様を尊敬している。ラナー様に仕えることができる。それは、自分の誇りだ。
その『感謝』と『尊敬』の感情にさらに、『恋』という感情が自分にはある。明確に存在している。
「ラナー様は、リ・エスティーゼ王国の王女であり、妙齢の女性です。そんな方が、男性と二人っきりであのような行為をされると、良からぬ噂が立つのではないかと心配しているのです。それに、最近は、王宮に帰らず、この孤児院で寝泊りすることも……。それはこの国の王女としてあるまじき行為だと今でも思っています」
王女とそれに仕える騎士。それが自分とラナー様の関係性だ。
「はいよ。分かったよ。つまらねぇなぁ。寝物語としてお前の愚痴でも聞いてやろうと思ったが、その気が失せちまった」とガガーランは斧を肩に乗せてそのまま何処かへ行ってしまった。
「小僧。私はお前の気持ち分かるつもりだ。そうなのだ。モモン殿とナーベが男女二人っきりでパーティーを組んでいる。いや、もちろん、ナーベとも一緒に戦った仲だし、冒険者としての実力を私は認めている。モモン殿とパーティーを組む実力を備えているということもな。だが、うん。二人っきりというのはどうなのだ? 別に、三人でも良いと思うのだ。例えばだ! 例えば、モモン殿と私と、それとナーベというパーティーでも良いと思うのだ。モモン殿には格段に実力が落ちるとはいえ、私もアダマンタイト級の冒険者として相応の実力はあるつもりだ。だから、モモン殿が一声、私も冒険者のパーティーにと行ってくだされば。そして、また、私がピンチになったときにモモン殿が私を助けてくれて、それでだ。今度はあのような持ち方ではなく、そうだ。あれだ。そう。お姫様抱っこで私を……うわぁぁぁぁあ」
イビルアイは、
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「えっと、この冠詞は対格であるから、それに対応する名詞も対格にしなければならない。えっと、それで名詞の活用は……。」
カシュバは、作文に頭を悩ませていた。ラナー王女が教えるスピードは速い。
「では、カシュバ。明日までにこの単語とその活用形を全て暗記してくださいね。ちゃんと覚えたかどうか、テストしますからね」
ラナー女王の優しい笑みと共にやってくる宿題ともいえる内容。その内容は、恐ろしい程の量だ。とてもじゃないけど無理だと思う量で、最初の三日間は徹夜でやって五分の一ほど覚えられたら良いというような量だ。
もちろん、課題をこなせなかったからと言って、ラナー様は怒ったりもせず、優しく、そして根気よく俺に勉強を教えてくれている。
それに、一週間で、簡単な文章なら、こうやって頭を抱えながらではあるけれど、曲がりなりにも文章が書けるようになっている。
「それで……こっちは形容詞。修飾されている名詞が女性形で、単数形、それに属格だから……修飾する名詞に、性、数、格を合わせて……」
「カシュバ」
羊皮紙と睨めっこしていた俺の耳に、ふっとラナー様の優しい透き通る声が入り込んでくる。
「申し訳ありません。まだ、書けていません」
「ゆっくり取り組んでくださって大丈夫ですよ。それと、これを見てください」とラナー様は、その細い指先と白い手の上に、小さな箱を乗せていた。
「それは?」
「開けてみますよ? 良いですか?」
「うわぁ!!!!」
箱から飛び出してきたのは、蛙だった。いや、良く見ると、偽物の蛙だ。
「びっくりしましたか? 子供用の玩具ですよ。びっくり箱というやつですね。市場で見かけたので、子供たちにプレゼントしようと思って買ってきたのです」とラナー王女は、悪戯っぽい笑顔で自分を見つめている。大きな目と青い宝石のような瞳を輝かしている。
「びっくりしました。小さい子供だと、泣きだしてしまうかもしれませんね」
「そ、そうですか……」と今度はとても残念そうな顔を浮かべた。「子供達が喜ぶかなぁと思ったのですが……。残念です」と捨てられた子犬のような表情だ。ほっとけない。“黄金”と称される美貌。男なら誰しも、そのような顔をされたら、思わず抱きしめたくなるであろう。太陽のように、天真爛漫に輝きながら、時として、弱々しく男として守りたいと思ってしまうような庇護欲。それでいて、王国の国民のために、孤児院を立てたり、俺などに懇切丁寧に勉強を教えてくれる。
“黄金”と称される。それは分かる。だが、もしかしたら、この世界に舞い降りた女神様。ラナー様は、そんな存在なのではないだろうか。
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太陽と月は巡る。そして、新月は訪れる。
池の中から呼吸をするために水亀が静かに水面に口を出すかのごとく、タブラ・スマラグディナの意識は目覚めた。
前回の部屋とは違う。少なくとも雨風はしっかりと防げる頑丈そうな建物だ。それに、ベッドのシーツもボロ切れのようではない。
どうやら、自分の宿主の生活環境は改善されたようだ、とタブラ・スマラグディナは思う。自分が作りだしたポーションと金貨によって、生活が改善したのかは分からない。
食生活も改善したようだ。自分自身が錬金術の代価として払わなければならない宿主の血液。タブラ・スマラグディナにとっては魔力量と形容できる血液。体にその力がみなぎっている。
部屋の中の灯りが揺らいだ。タブラ・スマラグディナは上半身をゆっくりと起こす。
「あっ。ごめんなさい。起こしてしまいましたか?」
炎に照らされた部屋の奥のテーブル。そこに座っている女性の姿があった。
<まずいですね。想定外です。人がいるとは……。確かに、目覚めたときに都合よく人目が無いというのは、出来過ぎですね。それに、この宿主さんが結婚などしたら、大変不味い事態になりますね……。ともかく、ここは切り抜けねばなりません>
「大丈夫です。また、直ぐに寝れますから」
<日本語を喋ったつもりですが、口の動きと合ってないですね。やはり、自動翻訳ですね。相手の言葉を理解できた時点で、そうだとは思いましたが>
「ごめんなさい。カシュバさんの部屋に忘れ物をして、それを取りに来たのですが……。ここから見える月が綺麗だったので……」
<なるほど。この宿主の名前はカシュバですか。分かりました。この女性とは、親しい間柄なようですね。ただ、名前を聞くのはまずいでしょうね>
「気にしないでください。眠たいので、また寝ますね」
<兎にも角にも、この女性が部屋から出て行ってくれるのを待つだけですね。この宿主に成りすますのであれば、口調なども整合性があるようにしなければなりませんが、宿主がどんな口調なのか、知る術は無さそうですね……>
「実は私、少し寝付けなくて……。少しで良いのでお話をしませんか?」
<そう来ましたか……>
「すみません。とても眠たくて……。本当に申し訳ありません」
「そうですか……。残念です。取りに来た忘れ物は見つかりました。これです」
女性が小さな箱を開けると、そこから何かが飛び出してきた。そして、暗い床にポトンと落ちる。
<箱を開けた瞬間に、何かが飛び出す仕掛けの玩具ですかね……。この女性、外見は成人に近い年齢のようですが、中身は子供なのでしょうか?>
「びっくりしました?」
<期待に満ちているといったような表情ですね……>
「えぇ。びっくりしました。眠気が取れるほどではありませんが……」
「そうですか。そうですか。そうだ。眠たい所申し訳ないですが、この前約束した、鍵のかかった箱を開けてくれるって話。いま、その箱を今持って来ているので、開けてもらってよいですか?」
<女性の上目使い……。魅力的ですね。それに、この女性、美人ですね……。私の宿主も、隅に置けないということでしょうか。宿主との約束ですか。無下にできませんね……>
「いいですよ」
「この箱なんです。私、どうやってこれを開けるのか分からなくて……」
<魔力を感じますね……。魔法によって封印されている箱。この程度の封印であるならば、私の錬金術で開けることは造作もないことですが……さすがに、ナイフで血を流してというようなことをこの女性の前でやるのは不味いですね……。なっ! この紋章は……偶然の一致はあり得……無いですね。アインズ・ウール・ゴウンのメンバーの誰かが、私と同じようにこの世界に来ている……? 異世界にやってきた。自分だけが、都合よくやってきたとは考えにくい。そうすれば、仲間を探すという行動を当然とる。アインズ・ウール・ゴウンの紋章。ギルドのメンバーはもちろんのこと、悪名が高過ぎて、他のプレイヤーもこの紋章に見覚えはある方が多いでしょうね>
「どうしました?」
<そんなに顔を覗きこまれると……。胸の谷間というのを初めて生で見ましたね。とっ、そういうことを考えている場合ではありませんね。問題は、この女性が、アインズ・ウール・ゴウンの関係者であるかどうか。どうも、プレイヤーでは無いように思えますね。かと言って、NPCというような存在でもないでしょうし……>
「この箱を開けるのには、時間が掛かりそうですね。朝までには開けておくようにしておきます」
<ギルドのメンバーを探しているなら、おそらく、宝物殿を開く合言葉などで開くでしょう。また、プレイヤーを探しているのなら、簡単な封印解除の魔法でこの箱は開けられる可能性が高い。そして、箱の中身は、某かの連絡手段が入っている可能性が高い>
「そうですか……。じゃあ、開ける様子を見ていてもよいですか? 私、寝付けそうにありませんし……」
<そう来ますか……>
「いえ。これを開けるのには集中が必要なので……申し訳ないですが……」
「そうですか。私としても、それを持ち逃げされると困ったことになるので、確実に中身を確保したいのですが……」
<ん? 持ち逃げ?>
「そんなことはしませんよ。中身は、ちゃんとお渡ししますよ」
「そんな言葉を鵜呑みにするほど私は愚か者ではないですよ。では、取引をしましょう。“ぷれいやー”さん」