かごの大錬金術師 作:Menschsein
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仕事から帰ってきたら、急激な眠気が襲った。そして夕飯も食べずにそのまま汚れた身体のままでベッドに潜り込んだ。
窓から差し込む朝日が眩しく、カシュバは目を覚ました。あの悪夢を見ないほどぐっすりと眠ることが出来た。だが、身体は重い。身体が鉛のように重かった。
カシュバは、まだ太陽がまだ地平線から顔を出した時刻であることを確認し、木製の雨戸を閉めた。まだ、今日の仕事の時刻には早い。もう少し眠りたい。そう思って、またベッドへと向かっている時に、テーブルに見慣れない物が置かれていることに気付く。
綺麗なガラス瓶。細工が細かい。自分が食事用に使っている端が欠けた皿とは格が違う。だが、中に入っているのは血の様に赤い液体。
「なんだこれ? 気持ち悪い」
誰のか知らないが、俺の家にあるのだから俺の物で良いだろう。この部屋に盗みに入った盗人か何かが、忘れていった物だろうか。こんなおんぼろの、価値があるものを置いていない部屋に忍び込み、挙げ句の果てにこんか高価そうな物を置き忘れていく。
親は既に死んだ。知り合いも皆死んだ。知人が自分を尋ねて来て、これを置いていったということは考えられない。滞納しがちの家賃も払ったばかりだ。
中身を捨てて、ガラス瓶だけなら、銀貨一枚くらいにはなるのではないか?
それだけあれば、新しい木靴、冬用の服が買えるのではないか? それに、水に大豆を浮かべて塩を入れたような料理ではなく、肉を久しぶりに食べれる。
夕飯を食べていないカシュバは、去年屋台で買って食べた豚肉の串焼きの味を思い出す。そして、お腹がぐうぅとなった。
この綺麗なガラス瓶を朝市で売って、屋台で美味しい物を食べよう。だが、その前に二度寝しよう。そう思って、ガラス瓶を机に戻したとき、チャリという金属音がした。
ん? カシュバは、ガラス瓶の底にぶつかった金属片を持ち上げる。それは、予想外に重い。そして、円形……。
急いで、先ほど閉じた雨戸を開けて、太陽の光を室内へと招き入れる。そして、太陽の光で輝く金属片。
「これ……金貨?」
カシュバは金貨など見たことなど無い。だが、“金色”という色が何色であるかは知っている。
そして朝陽が照らすその硬貨の色は、間違い無く金色であった。
「こ、これが金貨だったら……この部屋に死ぬまで住める家賃分になるんじゃないか……」
カシュバは、その金貨をポケットの奥へとしまう。そして窓から身を乗り出して、外を確認する。
よし、誰も見られていない……。
もはや、驚きのあまり眠気など何処かへと消し飛んでしまった。二度寝をする眠気などもはや無い。
小さな金貨。これは、どこにでも隠すことができる。王都の何処かに埋めてさえしまえば自分しか分からないだろう。
だが……。ガラス瓶は隠すことが難しい……。早く売った方が良いだろう。下手に隠して、割られたりしたら大損になってしまうではないか……。
だが、ふとカシュバは思う。このガラス瓶も金貨と同等の価値があるのではないかと。
もしかしたら、このガラス瓶の中の、気色の悪い赤い液体。これも価値があるのでは? 高く売れるのでは?
カシュバは、そのガラス瓶の蓋を開け、恐る恐る匂いを嗅いだ。
そして香ってきたのは柑橘形の果物の香りだ。これは、何かの飲み物だ。そうカシュバは直感的に思う。
もしかしたら中身も高く売れるかも知れない? もし、そうであるなら、早く隠しやすい硬貨に換えるべきだ。部屋に残しておいても、ろくに鍵も掛からない部屋だ。仕事をしている間に誰かに盗まれるかもしれない。
だが、普通の店に持ち込むのは危険だ。金貨らしき物と一緒に置かれていた品。同等の価値がある可能性がある。それを、自分が持ち込んで売ったら、盗品だと疑われる。朝起きたら、部屋に置いてあったなど、誰が信じるだろうか。王都の貴族の屋敷から盗み出したものだと疑いの目を向けられる可能性が高い。
それなら、闇市に売ろう。入手した経路などは尋ねられない。その分、値段は下がるが、もともと、拾った幸運だ。
カシュバは、ベッドの上に広げてあるタオルケットでガラス瓶を丁寧にくるみ、そして闇市へと駆け出した。
・
王都リ・エスティーゼの裏路にある看板も出されていない店。そこが、訳ありの品を売ることができる店。窓もなく、ただ頑丈そうな分厚い木の扉があるだけだ。
カシュバは、その扉をゆっくりと開ける。
この店に来たのはいつ以来であろうか。真っ当な生活をしている者であれば、こんな店に足を踏み入れることなど一生ないであろう。王都の人間でこの店の存在を知っているのは、盗賊や強盗などであろうか。
カシュバも仕事を真っ当にしている、善良な方の市民だろう。金があれば酒を飲むかも知れないが、金がないので酒なども飲まない。賭博所や売春宿にも、足を踏み入れたりはしない。もちろん、金があれば別であったかも知れないが……。
カシュバの仕事。それは、王都リ・エスティーゼの貴族の屋敷などから出るゴミを集めて、所定の場所へと運ぶ仕事だ。贅沢な暮らしをしている貴族の屋敷では、毎日大量のゴミが出る。そのゴミを集めて、焼却場へと持っていく仕事だ。焼却場に持っていけば、あとは
そんな仕事をしていると、たまに拾い物をすることがある。要らなくなって捨てたのか、誤ってゴミに混じってしまったのか。カシュバが一度そのゴミの中から拾ったのは、小さな宝石が付いたイヤリングだった。そして厄介なことにその貴族の家紋が小さく掘られていた。
おそらく、誤って捨てた方の可能性が高いことはカシュバにも分かった。だが、それをカシュバは闇市へと流した。それが前回この店にやってきた時のことだ。
正規の宝石買い取りの店の相場の十分の一くらいであるかも知れない。だが、正規の店に流したとしたら、足が付く可能性がある。それはその貴族に、これを拾いましたが、と正直に名乗り出ることと同じくらい愚かなことだ。正直に名乗ったとしても、盗人扱いされるのが関の山だからだ。
だが、その売った金、銀貨一枚以下であったが、その金で冬の寒さを凌ぐことができる毛布を買えたことはカシュバにとって大きな幸運だった。
今、それ以上の幸運が自分に舞い込んできた可能性が高い……。
「品は?」
薄暗い部屋のカウンターに座っている男が無愛想に言う。闇の取引には言葉など要らない。
カシュバは黙ってガラス瓶をカウンターの上へと置く。
「少し待っていろ」
ガラス瓶を持って受付の男は奥の部屋へと消えて行く。前回の時と同じだ。カシュバはほと息を飲み込む。おそらく、部屋の奥に鑑定をすることができる人間がいるのであろう。もしかしたら、受付に座っていた男がそれをできるのかも知れない。だが、それはカシュバにとっては関係が無い。代価として渡す金を受け取り、そして遠回りをして職場に行くだけ。それだけだ。
「金貨二枚だ。それでお前の名は?」
カシュバは金貨二枚という高額に驚くが、それ以上に名前を尋ねられたことが奇怪だ。これはあくまで匿名と匿名の取引でしかないはずだ。
「名乗る必要があるのか?」
「名乗っておいた方が身の為だぞ?」
「くっ……。メルノカ通りのカシュバ……」
「受け取れ……」
カウンターから出てきた男が投げてよこした金貨二枚を受け取る。
「ん? これが金貨?」
カシュバは二枚の金貨を掌で眺める。自分の家にあった金貨、いま自分のポケットに入っている金貨とは大きさが違う。渡された二枚の金貨は小ぶりで直径が小さい。
「旧帝国金貨の方がいいのか? それならそっちで払ってもいいぞ? だが、価値は同じだぞ?」
「い、一枚だけそっちの金貨でいいですか?」
「変わった奴だ……。魔導国では金貨の代わりに紙切れを通貨として使い始めたらしいぞ。旧帝国金貨も、そのうち旧帝国で使えなくなると噂されているから、早めに使っておけよ」
男の話を聞き流しながら、カシュバは旧帝国金貨を眺める。やはり、家にあった金貨とは違う……。これも、闇市に流すか? いや、これ以上の危険は避けた方が良い。そうカシュバは判断し、足早に闇市を去った。
・
貴族の屋敷のゴミを集める。これはきつい仕事である。古くなった家具など、大型のゴミなどもある。そして、屋敷周辺の美観を損なうために、急ぎ回収をしなくてはならない。夏など、悪臭を放ってそれが貴族の鼻にでも入ったとしたら、鞭を受ける。
貴族の屋敷周辺から王都の焼却場まで、何度も往復する。やっと自分の勤務を終えて帰宅する。通るものなど稀の寂れた通り。だが、自分の部屋の建物の前に、白銀の鎧を着た騎士が立っている。
「あなたがカシュバさんですか? 私は、王国騎士のクライムと申します」
自分と同じくらいの年齢だろうか。だが、自分のような痩せ細った体ではなく、屈強そうな男。厄介事である。おそらく、朝の闇市の件であることは間違いがない。逃げるか……。だが、この丈夫そうな男から逃げれる脚力はなさそうだ。
カシュバは諦めて「そうです」と答えた。