Autos

凝った改造車がずらり 日本のローライダー文化に出会う

装飾を凝らした大型のアメ車が一列に並ぶ。その底面はアスファルトにくっつきそうだ。ホンダやトヨタ、日産、スバルの車があふれかえる中で、こうしたアメ車は異彩を放っている。

「スフィンクス」と名付けられた金色の1954年製シボレー210の脇には、クリーミーグリーンの1936年製ダッジ・セダン「エルテソロ」と、鮮やかなピンクの1954年製マーキュリー・モントレー「ラビダロサ」が並ぶ。3台はいずれも、日本有数の歴史を持つローライダークラブ「ファラオス」に所属するカスタム車だ。

ローライダーが最初に普及したのは1940年代のカリフォルニア南部。メキシコ系米国人が色鮮やかな塗装を米国車に施し、「ローアンドスロー」で走行するよう改造した。

第2次世界大戦後にローライダー文化が米国各地に広まる中、その魅力は海外でも増していった。

バブル経済の絶頂にあった1980年代半ばの日本では、愛好家がインパラやフォード・マーキュリーといったモデルの輸入を始めた。そこにはチカーノ(メキシコ系米国人)特有の装飾や車高の調節を可能にする「ハイドロ」が満載されていた。

ファラオスのメンバーであるウシダ・ヒサシさんは「クルーザーの運転も楽しいが、カスタム化にともなう興奮もある」と語る=Luke Dorsett
ファラオスのメンバーであるウシダ・ヒサシさんは「クルーザーの運転も楽しいが、カスタム化にともなう興奮もある」と語る=Luke Dorsett

ファラオスのメンバー(「スフィンクス」の持ち主でもある)、ウシダ・ヒサシさん(46)が名古屋の路上で初めてローライダーを見たのは高校生のとき。即座にとりこになったのを覚えているが、当時はアメ車にお金をつぎ込む余裕がなかった。

ウシダさんは電話インタビューで、「代わりに小さなトラックを買い、ローライダー風に改造しようとした」と振り返る。取り組みが本格的になったのは、輸入と改造を手がけるガレージ「パラダイスロード」の店長、シモダイラ・ジュンイチさん(58)と出会ってからだ。

太平洋をまたぐ絆

シモダイラさんは太平洋両岸のローライダーサークルで先駆者と考えられている。1980年代前半をカリフォルニア南部で過ごした後、名古屋に戻り、ファラオスを設立した。

名古屋は当時すでにトヨタ車の拠点として知られていた。しかしシモダイラさんは名古屋でカスタム車の普及に尽力し、同市の路上に新たな趣向と車文化をもたらした。

ファラオスのメンバーが定期的に集まっているのは、クラブの歴史の表れだ。「クルージングやピクニックに行ったり、時には会合やパーティー、他のカークラブとのバーベキューも開いたりしている」(ウシダさん)

「ローライダー文化が日本で最初に始まったとき、あちらに行った車は米国内とまるで同じ外観になった。大きな改造や変更はなく、車の装飾はチカーノのもののようだった」(ドーセット氏)=Hisashi Ushida
「ローライダー文化が日本で最初に始まったとき、あちらに行った車は米国内とまるで同じ外観になった。大きな改造や変更はなく、車の装飾はチカーノのもののようだった」(ドーセット氏)=Hisashi Ushida

ファラオスのメンバーは25人ほど。人気は2000年前後がピークだったというが、その文化には今でも根強い支持者いるようで、03年にはウシダさんが名古屋で「チョロスカスタム」を開設した。

ウシダさんにとってローライダーには二重の魅力がある。「クルーザーの運転も楽しいが、改造にともなう興奮もある」

「精神的なつながり」

01年から日本のローライダー文化を記録してきた写真家のルーク・ドーセット氏(38)によれば、国内で現在活動中のクラブは200ほどだ。

ドーセット氏は日本のローライダーについて、ロサンゼルス東部の場合と同様、仲間同士の一体感や自分らしさの感覚をもたらしていると指摘。チカーノと日本の文化の間には「精神的なつながり」が見て取れると話す。

ファラオスのウチダ・ヒサシさんによれば、改造の入り口はたいてい小型トラックだ=Luke Dorsett
ファラオスのウシダ・ヒサシさんによれば、改造の入り口はたいてい小型トラックだ=Luke Dorsett

アリゾナ州フェニックスに拠点を置く同氏は電話インタビューで、「どちらの文化でも手作りの芸術に情熱を注いでいる」「細部へのこだわりがすごい」と語った。

日本は当初、カリフォルニアのローライダー文化を丸ごと輸入していた。しかし最終的には、そのモチーフやシンボルは日本的な色合いを深めていったという。

日本におけるローライダーの集まり。ショータイムだ=Luke Dorsett
日本におけるローライダーの集まり。ショータイムだ=Luke Dorsett

「ローライダー文化が日本で最初に始まったとき、あちらに行った車は米国内とまるで同じ外観になった。大きな改造や変更はなく、車の装飾はチカーノのもののようだった」

「やがて持ち主のあり方を表現する装飾が出てきた。自分なりの趣向を加え始めたわけで、その様子は見ていて刺激的だった」

カルチャークラブ

日本でも米国と同様、ローライダーは車以上のものだ。大阪県豊中市にカスタム車のショップを持つサトウ・シゲルさん(49)の場合、自身のクラブ「スタイリッシュ・カー・クラブ」を立ち上げるきっかけとなったのはローライダーを取り巻く幅広い文化だった。

「米国ではローライダー文化の影響は車の改造だけでなく、ファッションや音楽、家族にも及んでいる」(サトウさん)

息子もローライダーだというサトウさんにとって、世代間のつながりはとりわけ重要だ。


「米国ではローライダー文化の影響は車の改造だけでなく、ファッションや音楽、家族にも及んでいる」(サトウ・シゲルさん)=Hisashi Ushida
「米国ではローライダー文化の影響は車の改造だけでなく、ファッションや音楽、家族にも及んでいる」(サトウ・シゲルさん)=Hisashi Ushida

サトウさんが20年前に設立したスタイリッシュ・カー・クラブでは、車だけでなく、文化を共有するという感覚を大事にしている。新メンバーはこの原則を守ることが前提だ。

「加入する人には必ず、この文化に芯まで浸ってもらいたいと思っている」「車の改造を楽しむだけでなく、ファッションや音楽にも親しんでほしい」

ただサトウさんも認めるように、ローライダーにとってはやはり、改造した車を周囲に見せるのが重要な儀式だ。

「ローライダーは注目を浴びるのが好き」「混雑していて見物人が集まる大阪・道頓堀まで走行していくことも多い。少しギャングのように見えるかもしれないが、みな家族や仕事を持っている。ローライダー文化を尊敬しているだけだ」  

注目ニュース

編集部セレクト

このサイトでは、利用状況の把握や広告配信などのために、Cookieなどを使用してアクセスデータを取得・利用しています。 これ以降ページを遷移した場合、Cookieなどの設定や使用に同意したことになります。
Cookieなどの設定や使用の詳細、オプトアウトについては詳細をご覧ください。
[ 閉じる ]