苦ですら楽しむ、という感覚になったら勝ちなんです。
(中島健人,1994-)
アイドルのプロフェッショナル・中島健人
平均年齢14.2歳とジャニーズ史上最年少のグループSexy Zoneのメンバーとして2011年にCDデビュー。メンバー最年長としてグループを牽引し、今年の24時間テレビではメインパーソナリティーを務めるまでになりました。その一方で、主演映画だけで5本、ドラマもこの10月から3本目となる連続ドラマ主演を控えるなど、活躍の場を広げています。そんな中島健人は、常に“アイドルである自分”を意識し続ける、アイドルのプロフェッショナル中のプロフェッショナルと呼ぶのにふさわしい男です。
役割を与えられたときに、中途半端な意識で遂行する人と、極端とも言える完璧な意識で遂行する人。意識の差なので、すぐには、そして傍目には差がわかりにくいかもしれません。しかし、時の重なりとともに、その意識の差は本質的な差として表れてくるように思います。自らを律し、何かを我慢して、プロフェッショナルとしての道を邁進している人には、その我慢や努力の事実を周囲に知られずとも、プロフェッショナルとしての風格が滲み出てくるものです。
Sexy Zoneの結成から7年、事務所入りから10年が経ち24歳になった中島も、極端とも言える、我慢と行動で生きてきたプロフェッショナルのひとり。現在の中島には、その高い意識と自分を律する行動が重なることで作り上げられた風格があるように思えます。
ジャニーズのトップに立つのが目標
まず驚くのは、その意識の高さです。ジャニーズJr.入りした後の中学3年生のときに、プライベートで女子と接することをやめる、と決めたといいます。最も女子のことが気になってくる、思春期のまっただ中に、この決断。
表向きなものと思われるもしれませんが、
「ジャニーズでトップに立つのが目標だったし、寄り道なんかしている暇はないんだと言い聞かせて」と語る言葉からは、決意の強さがうかがえます。
もちろん、スキャンダルはゼロ。それでいて、仕事の場では、お芝居の中で、コンサート中に、握手会で……全女子を喜ばせる言葉を発することができる。本当に漫画の王子様が現実に現れたかのような稀有な存在。それが、中島健人なのです。
貪欲な向上心
その意識の高さが、Jr時代はけむたがられることもありました。先輩のバックで踊るときも、「ひとりだけカメラ目線で踊っている」と怒られたり、「メインより目立つな!」と怒鳴られたりすることも。ただ言い換えれば、たとえ位置的にはバックでも、彼の中では常に自分がメインであるとセルフイメージを高く持っていた、ともいえます。
その意識の高さは、普段のコミュニケーションにもあらわれます。テレビ番組収録後にはひとりで楽屋に残って自分にダメ出し。スタッフを捕まえてアドバイスを求めます。
主演映画の撮影の際には、ハードスケジュールで疲れていても、いつも周りと話をします。そこでは照明部と仲良くなり、そのスタッフが照明を担当した作品を聞いて携帯でメモを取り、そのあとにちゃんと観てくる……といった要領で、周りのスタッフともコミュニケーションをとりながら、知見を溜めていきます。自分が成長するために、周りの大人から吸収できることは全部吸収していくのです。
高い意識を言葉にする
さらに、中島健人は、この時代に珍しい、ちゃんと目標を宣言する若者でもあります。「NO.1にならなくてもいい」と先輩グループが歌い、流行らせた時代のちょっとあとに思春期を迎えた彼の口癖は「NO.1になる」。インタビューでも、先に引用した「ジャニーズでトップに立つのが目標」といった発言や「時代のアイコンになりたい」「周りには絶対負けたくない」など、他の若者だったら思っていても言わないような言葉もきちんと口にします。
それは、きっと、ジャニーズのトップアイドルとしてのセルフ・イメージを強く高く持ち続けている証拠。その常に高く持っている自分へのイメージは、ときに芝居のときには、消せずに苦労することも。映画のリハーサルの時に、歩き方がモデルウォークになりすぎていたり、キラキラしたオーラが消せなかったり。そんな“アイドルでいすぎる”日常が仇となり『銀の匙』というイケていない高校生役を演じる映画では最初は現場がザワついたようです。
そんな自ら職業病と称するアイドル風モデルウォークも、実はセルフ・イメージの結晶。友人や母親に応募書類を送られた人が多いという事務所のなかで中島は、ジャニーズに入る前からジャニーズが好きで、自ら応募してジャニーズに入ったという珍しいタイプ。事務所への入所前に参加したピアノの発表会では、既にかっこつけて歩くモデルウォークの中島がうつっています。それは入所前から、きちんとアイドルとしての自分をイメージできていた証拠でもあるのではないでしょうか。
もちろん先輩である堂本剛のように、自らの闇を吐露していく共感の得方もありますが、それはある程度の人気を得たあとの話。剛も通ってきた道であるように、まずは主に10代の少女たちの人気を得る必要があるアイドルの場合は、きちんとアイドルとしての振る舞いをすることが人気に直結していきます。中島は仕事でもプライベートでもそれを一貫して貫いていったのです。
プロフェッショナルの本質はふとした瞬間に滲む
そんなアイドルとしてのプロフェッショナルな姿勢は、ドラマの撮影中や、雑誌のインタビュー中だけではありません。中島は、握手会でのファンへの対応が神対応、ということでも有名です。必ず女子をキュンとさせる上に、どんな話しかけられ方をしても、きちんと返すという神業を持っています。
例えば、ファンに「好きです」と言われると、中島はこう返します。
「俺は好きじゃないよ。愛してるよ」
そして「結婚してください」と言われると……
「バカ、俺から言わせろよ」
ときには丸一日かかるようなこともある握手会。それでも、数々のセリフが瞬時に出てくるというのは、仕事の時間以外も、きちんとアイドルとして生きている裏返しでしょう。やはり、プロフェッショナルとして生きていると、ふとした瞬間にも、その本質が滲み出てくるものなのです。
男が行くとどうなるのか、と思う方もいるかもしれませんが、男である私が行った時には「ありがとう!僕たちは、結婚だけができないね」というセリフをくれ、プロフェッショナルとしての意識の高さを感じました。
もちろん、あまりに日常では出てこないセリフに、違う世界や時代を生きている人かのような感覚を覚える人もいるかもしれません。しかし、中島健人は一生をかけて、そして覚悟を持って、アイドルという青春を生き続けている男であるような気がするのです。その証拠にこんな発言をしています。
「僕は人生100年のすべてが青春だと考えています。いつだって学ぶことはできるし、なりたい自分に近づくのに遅すぎることはない」
中島健人は、青春を生き続け、なりたい自分に常に近づこうと努力をし続けるプロフェッショナルなのです。
中島健人Style:「極端」とも思える割り切りや執着こそが一流としての器を作る
中島健人(なかじま・けんと):1994年3月生まれ。東京都出身。中学2年生の終わりに、同い年でもあるHeySayJUMP!の山田涼介のデビューを見て「行かなきゃ」と思い、自ら履歴書を送る。Jr時代から月9ドラマ『大切なことはすべて君が教えてくれた』に出演するなどして活躍。17歳の時に、当時平均年齢14.2歳のジャニーズ史上最年少デビューグループ・Sexy Zoneの最年長メンバーとしてデビューを果たす。その後、映画『銀の匙SilverSpoon』や『黒崎くんの言いなりになんてならない』、ドラマ『黒服物語』などで主演を務める。家には父親が書いた『叶えたい夢をイメージする』という家訓が貼ってあった。「父親の通っていた大学に通いたい」という思いから明治学院大学への受験を決意。締め切り5分前に、父親と一緒にすべり込みで願書を提出。無事、合格を果たす。留年について触れられると「青春をもう1年分」と返して、結果5年をかけて卒業。ドラマと映画のプロデュースをするのが夢。ゲンかつぎとして、ドラマや映画の台本にはキスをしてから撮影に臨む。その言葉の独特なチョイスはラブホリ王子とも呼ばれ、『JMK 中島健人ラブホリ王子様』として、バラエティ番組にもなった。
イラスト:須山奈津希
参考:
anan 2009年11月11日号
Como 2012年6月号
サンデー毎日 2014年3月2日号
ピクトアップ 2014年4月号
MORE 2014年4月号
STORY 2014年12月号
nonono 2015年1月号
キネマ旬報 2016年3月1日号
サンデー毎日 2016年2月28日号
朝日新聞 2018年3月29日
TOKYO FM『よんぱち〜WEEKEND MEISTER〜』 2016年11月11日
BRUTUS 2017年3月1日号
フジテレビTOKIOカケル 2017年6月28日